今日の長門有希SS

 ぴん、ぽーん。


「いい」
 ベルが鳴り、立ち上がりかけた俺は長門の声を聞いて動きを止める。ここは長門の部屋だが、家主である長門が読書中だったため俺が代わりに出ようとしていたわけだ。まあ、手が離せない用事ならともかく、今回は長門が出るべきなんだろうな。
 長門が壁のインターホンではなく玄関に直接向かうのは、新聞の勧誘のような断ることが前提の相手ではないとわかっているからだろう。
 ドアの開く音に続いて、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ちょっと頼みがあるの」
 そう言う朝倉の手には包丁が握られていた。
「なんだお前は、礼儀正しい押し込み強盗か」
「強盗って……あ、料理をしていたの」
 料理をしていたことと、包丁を持ったまま部屋にやってくることの関連性はわからない。朝倉は同じマンションに住んでいるとは言え、別の階だから階段やエレベーターを使わねばならない。他の奴に遭遇したらどうするつもりだ。
「あ、何人かご近所さんとすれ違ったから挨拶してきたよ」
 一体、どのように思われたのか考えないようにしておく。
「で、頼みってなんだ?」
「お味噌を貸してくれない? 料理の最中で切らしていることに気づいちゃって」
 包丁を持っているところをみると、材料を切っている最中だったはずだ。何を作っていたのかは知らないが、その段階で改めて買い物に行かねばならないとなったら気が滅入る。俺だって経験がないわけじゃない。
「味噌なら切らしてないよな?」
「半分ほど残っている。大量に使う料理でなければ足りるはず」
 味噌を半パックほど使う料理があるとは思えないが、常識的な量なら問題ない。
「何に使う予定?」
「あ、豚汁を作っていたの」
 豚汁ってのは、説明するまでもないと思うが豚肉と野菜を具にした汁物の名前だ。出汁と味噌の汁の中に具が入っていると言う点は味噌汁と同じだが、その具の多さから豚汁はやや特殊な存在とされている。飲食店でも味噌汁に比べて値段が高いのが常だ。
 ちなみに、豚汁には地方によって「とんじる」と「ぶたじる」の二通りの読み方があるらしい。どうでもいいことではあるが。
「豚汁の他に味噌を使う料理は?」
「ないよ。今日は豚汁だけ」
 一般的に、ご飯と汁物だけという組合せの食事は珍しいが、豚汁の場合においてはその限りではない。通常の味噌汁と違って豚汁がそれだけでおかずとなりうるものであるのは、飲食店で豚汁定食というメニューが成立していることからもわかる。
「具は?」
「ええと、豚肉と人参と大根とゴボウとこんにゃくかな」
 王道だった。
「あ、あと椎茸もちょっとだけ」
「……味噌を貸すには条件がある」
 長門はそう言って朝倉の顔を見上げる。
「なあに?」
「わたしの分も作ること」


 その日の食事は三人で朝倉の部屋で行った。