今日の長門有希SS

 8/228/248/319/28/6の続きです。


 二回戦が始まるという時になって、明らかに会場がざわめき始めた。
 最初に出てきた魔女は大食い番組くらいでしか見かけないのでそれほど知名度があるわけではないが、二人目に登場したそいつを知っている奴は多いはずだ。
「まさか彼女は……」
 このような事態は想定していなかったのであろう。明らかに古泉の顔が強ばり、いつもの結婚詐欺でも働きそうないかがわしい笑顔も維持できていない。
「魔女の次はあいつか」
 二人目はギャルとか呼ばれているフードファイターだ。芸能事務所に所属しているれっきとした芸能人で、様々なバラエティ番組で見かける。芸能人なのでそれほど暇ではないはずだが、一体なぜこのような大会に参加しているのだろうか。
「募集期間をごく短くしたので、まさかそんな実力者が来るはずがないと思っていました」
「彼女の出身地はここからそう遠くない。たまたま見つけて参加を決めた可能性は否定できない」
 なんというご都合主義的展開。
「って、詳しいな長門
ウィキペディアにアクセスした」
 そうかい。
 と、悠長にしてはいられない。俺たちは今のところフードファイターチームに二点差をつけてリードしているが、ここで仮に朝比奈さんが点数を取れずにギャルが一位になると、逆転された上に三点もリードされてしまう。そうなってしまえば、三回戦ハルヒが一位になったとしても負けてしまう可能性があるわけだ。
 ちなみに今回の食材はカニ。茹でた脚が皿にのって出てくるわけだが、それを殻から外して食べなければいけない。
「この食材ならば、純粋に食べるスピードだけの勝負にはならないので朝比奈さんが三位くらいに入ってもおかしくないかと思いまして……そもそも、我々の計画では一般の参加者を想定していなかったものですから」
 もし他の参加者が全て『機関』の者であればいくらでも順位を調整できるだろう。他の食材ならともかくカニなら体格のいい者がそれほど食べられなくても不自然には見えないだろうしな。
 だが、実際には三位に入った朝倉たちもいるし、フードファイターまで来てしまった。勝負がどうなるかわかったもんじゃない。
「うまく妨害できないのか? 例えば食べ終わった後に追加のカニを出すタイミングを遅らせるとか」
「その程度でどうにかなる相手ではないかと」
 だろうな。
「仕方ない。こうなったら彼女に期待してみるか」
「……それしかありませんね」
 俺たちは朝比奈さんの隣に座る、にこやかに微笑む緑髪の先輩に視線を向けていた。
 それからしばらくして、勝負が始まった。
 朝比奈さんはハサミやカニフォークを使ってちまちまと身を取り出そうとしているが、なかなか取り出せないようだ。ハサミで殻に切れ目を入れることすらおぼつかない。
「みくるちゃん! バカとハサミは使いようよ!」
 なんだそのアドバイス
「ふえぇ、わかりましたぁ」
 何がわかったんですか朝比奈さん。
 そして、注目のギャルはさすがにてきぱきとしている。一皿分の脚から身を全て取り出してから、それをあっと言う間に片づけていく。手際のよさも食べるスピードも、どちらもフードファイターとして申し分のないものだ。他の参加者とは明らかに違っており、彼女が二位になるのはほぼ確実だ。
 そして、一位になるのが確実であろうそのお方は、一風変わった食い方をしていた。
「殻って食べられたのね」
 ハルヒがぽかんと口を開けるのも無理はない。朝比奈さんの隣に座る喜緑さんは、まるでスナック菓子を食べるかのごとく殻ごとぽりぽりと食べていた。
「今度、あたしも試してみようかしら」
 やめてくれ。もしお前がカニをそうやって食うのが当たり前だと思ってしまったら、世界中のカニスナック感覚で食われることになる。
「アレは特別な技術を要するんだ。素人が真似しても口を怪我するのがオチだぞ」
「そう……」
 それはともかく二回戦が終わった。
 朝比奈さんは丁寧にやりすぎたせいか一皿も食べきることができず、小学生の参加者にすら負けるという結果になった。もちろん三位以内に入れたはずはない。
 一位はダントツで喜緑さんで、三位だった朝倉とあわせて六点。二位は例のギャルで、あのチームは先ほども二位だったのでこちらも六点。三位は古泉の仕込みの体格のいいチームだが、一回戦で点数をとっていないので一点であり優勝に絡むことはない。
 俺たちは現時点で五点で、上位二チームに一点差で負けているのだが、今回の大会において一点差というのは特に意味はない。
「予定とは違いましたが、いい感じの得点になりましたね」
 古泉は明らかにほっとした顔をしている。三回戦の結果によって優勝が左右されることになったからだ。同点決勝になることもなく、すっきり終わらせることもできる。
「勝負はお前次第だな。優勝を期待してるぞ、ハルヒ
「偉そうなこと言ってるんじゃないわよ。あんたに言われなくたって勝つに決まってるでしょ」
 そう言ってハルヒは一番の席についた。
 隣にいる鶴屋さんは、前の二人ほど大量には食わないだろう。こういうにぎやかな場が好きなだけで、特におかしな能力を持っているわけじゃない。


 ここで一人の英雄の話をしよう。
 今から数百年前のフランスとイングランドの戦い、百年戦争をご存じだろうか。世界史の教科書に載るほど有名な戦争だが、その戦いを左右したある女性がいた。
 オルレアンの乙女と呼ばれた彼女は、何者かの声を聞き、戦い、果てた。その生き様は様々な小説や映画などでよく知られているだろう。
 ジャンヌ・ダルク――彼女の業績は知らなくても、その名を知らぬ者は少ない。


「バカな……引退したんじゃなかったのか?」
 七番の席に座っていたのは、そんな英雄と同じ名を持つ存在だった。かつて大食い界に女王として君臨し、数多くの男たちを破ってきたその姿にはその名に恥じないだけの力がある。現役を退いて久しいが、それが何の気休めにもならないことを俺は知っている。
 さて、肝心のテーマは桃である。そもそも今回のこの料理大会はハルヒに大量の桃を食わせてもういいと思わせるのが目的である。半ば忘れかけていたことをここに告白しよう。
 殻のままだったカニと違い、桃は既に皮の剥かれた状態である。まるでリンゴのようにカットされた桃が皿にのせられている。
 勝負が始まると、やはりジャンヌ・ダルクの独壇場だった。横に置かれたフォークを使うことなく、カットされた桃をまとめて掴んで口に放り込み、口の端から汁を滴らせながら租借する。それは『食べる』と言うより『貪る』と表現したほうが適切だ。
 ハルヒ鶴屋さんも一般的に見ればかなりのハイペースで食っているはずなのだが、ジャンヌ・ダルクに比べるとスローフードを満喫しているようにしか見えない。
 ハルヒはスポーツも勉強も人並み以上にこなせるスーパーマンみたいなやつだが、それでもジャンヌ・ダルクに敵うはずがない。ジャンヌ・ダルクは英雄であり、他の者とは存在そのものが違っているのだから。
 五分が過ぎた頃、ハルヒ鶴屋さんのペースが徐々に落ち始めた。無理もない、二人とも大食いに慣れているわけではないから食べる配分がわかっていないはずだ。最初に食べ過ぎてペースダウンするのは初心者にありがちなミスだと言える。どちらかと言えば、大食い経験がなくても時間いっぱい黙々と食べられる長門のほうが異常なのだ。
 これまでの規定時間である十分が経過したが、まだ終わらない。決勝の時間は今までと違って十五分に設定されているからだ。十分程度ではハルヒが満足しないだろうということでこの設定になったらしいが、こうなってしまえばいたずらに苦痛を引き延ばしているだけに過ぎない。
 この時点でハルヒジャンヌ・ダルクの間にはかなりの枚数の差がついている。鶴屋さんは少し前に脱落したが、ハルヒはまだ諦めていないらしく苦悶の表情を浮かべながら食べ続けている。
 勝敗自体を気にせず参加していたような小学生なども既に飽きたらしく、まだ食べ続けているのはハルヒジャンヌ・ダルクの二人だけ。
 だが、勝負は絶望的だ。ジャンヌ・ダルクのペースは全く衰えない。最初から今までハルヒがリードしていた瞬間はなく、このままではどうやっても勝てない。
「古泉、もういいだろ。ハルヒだってもうしばらく桃を食いたいなんて思わないはずだ。やめさせることはできないのか」
「本人が諦める以外、途中で終わらせるルールはありません。仮にできたとしても、涼宮さんがそれを望むでしょうか」
 あいつがそんな奴じゃないことを知っている。俺も、俺たちもだ。
「勝負はまだ終わってねえ!
 思わず椅子から立ち上がり、あらん限りの声で叫んでいた。素人がジャンヌ・ダルクに勝てるはずなどないが、まだ終わったわけじゃない。勝負は最後の一瞬までわからない。
 俺たちの声援が聞こえているのかどうかわからないが、まだ諦めてはいないようで、ハルヒは力を振り絞るように食べ続ける。心なしか少しだけ持ち直したように見える。
 だが、今から追い上げても時間が足りるだろうか。残り時間はあと五分――あと五分だって?
「ちょっと待て、さっき十分経過していなかったか? 時間が進んでいないぞ」
「それは本当ですか? もしや……」
「どうした?」
「涼宮さんが負けることを望んでいないからかも知れません。今のまま制限時間になってしまえば我々の負けが決定してしまうから、いつまで経っても終わらないのです」
 想定していた時間を超えたせいか、ジャンヌ・ダルクの食べるペースが明らかに落ち始めた。対するハルヒは着実に皿を積み上げていき、ジャンヌ・ダルクとの差を詰めていく。
「ファイト! ファイト! ハルヒ!」
「がんばれ! がんばれ! ハルヒ!」
 諦めようとしない姿に心を打たれたのだろう。俺たち以外の観客もハルヒを応援し始める。
 そうだハルヒ、お前はエースなんだ。
「がんばれ! がんばれ!」


 十五分が経過した。
 ハルヒジャンヌ・ダルクとの差はわずか。ハルヒは皿の上に顔を埋めるようにしており、ジャンヌ・ダルクは口に桃を詰め込んだまま虚空を見上げている。
 積み上げた皿の数は互角。だがハルヒが上半身を起こすと、その口から桃がぶら下がっている。最後まで諦めなかった結果だが、その口に入った部分が決め手となり、勝敗が決した。
「優勝は一番のSOS団さんです」
 アナウンスが結果を告げた。
「ハルにゃん、やったにょろ!」
 隣の席の鶴屋さんが祝福するものの、ハルヒはぐったりと放心状態だ。もう動く気力もないのだろう。
「優勝したSOS団さんには桃を一年分お送りします!」
「もう桃は食べたくないわよ!」


 その翌日の放課後、部室に行くと先に長門が来ていた。
「これ、どうなったんだ?」
「桃ができることはない。今のところ、何かハーブ的な植物になる可能性が高い」
「どういうことだ」
涼宮ハルヒは、とりあえず桃はしばらく食べたくないと思っている。何を食べたいかは決まっていない」
 なるほどね。何か無難な物が食いたいと思わせてやればいいのか。
「そう」
 まだやることが残っていたのか。だが、それくらいならなんとかなるだろ。
「それより、聞きたいことがある」
「なんだ?」
涼宮ハルヒの試合の途中、あなたはわたしを異常だと言っていたような気がする」
 ……こっちの機嫌も直す必要があるようだ。
 やれやれ。