今日の長門有希SS

 前回の続きです。


 放課後、部室に入った俺は鞄を置くとまた廊下に出る。
 あれから数日、水をやることすら飽きてしまったハルヒに代わって俺が植木鉢の面倒を見るようになっていた。ハルヒは湯飲みなどの容器で適当に水を汲んでどばどばとかけていたが、種が流れてしまう可能性があるのでこの段階で勢いよく水をやるのは得策ではない。ハルヒが大丈夫だと思えば水道から直に水をかけようがバケツに種をばらまいて水栽培にしようが問題なく成長するのだろうが、わざと過酷な環境に置く必要はないだろう。
 そういったわけで、俺は片手に霧吹きを持って水飲み場に向かっている。文化系の部活ばかり集まるこの部室棟では一度部室に入った者は活動終了まで籠もっていることが多く、廊下も人が少ない。だから他の奴に出くわすことは滅多にない。
「やあどうも」
「こんなところで何をやっているんだ」
「少々喉が渇いてしまったんですよ。今日は体育があったものですから」
 聞いちゃいない。そして顔が近い。
「おや、今日も植木鉢のお手入れですか」
「あいつは自分で持ってきたことすら忘れちまったみたいだからな。放っておくわけにもいかないだろ」
「忘れてしまった、ですか」
「なんだ、言いたいことでもあるならはっきりしろ」
「いえ、ご自分で持ってきたことは忘れてしまったのかも知れませんが、存在していること自体は忘れていらっしゃらないようですね。たまに様子を見ているようですから」
 だとしたら自分できっちり世話をして欲しいもんだ。乾かないように湿った状態を維持するのは意外と気を使うんだぜ。一日で使い切るわけじゃないが、こうして定期的に水を汲みに出てこなければならないってのも面倒だ。
「でしたら我々が預かりましょうか。発芽したらまた持ってきますよ」
「いらん」
 ここまで手をかけてしまった手前、中途半端に投げ出すのは気が引ける。それに、こいつに預けるのはいまいち信用できない。
 古泉を引き連れて部室に戻ると、先ほどは来ていなかったハルヒの姿があった。
「どうしたんだ?」
 ハルヒはいつもの団長席ではなく、机の横に突っ立っていた。その視線の先にあるのは例の植木鉢だ。
「芽が出てるのよ。小さいけど」
「どれどれ」
 ハルヒの言うとおり、土を持ち上げるようにして小さく緑色のものが顔を出していた。
 水を汲みに行く前には出ていなかったはずだが、この短時間で芽を出したらしい。ハルヒがそう望んだからか? いや、芽が出ていなかったというのは確実な記憶ではないから、もしかすると最初から芽が出ていたことも考えられる。
「なかなかやるじゃない」
 お前がそんなことを言ってくれるとは珍しいじゃないか。
「今まで生存競争を生き残ってきた植物はやっぱりひと味違うわね」
 そっちかよ。


 活動が終わると、例によって俺たちは全員で下校する。学校から解散場所までは遠く、だらだらと歩いている。
 歩道の脇に生えている木々を見て、ふと疑問がわいた。
「ちょっといいか」
 隣を歩く長門に声をかける。
「お前は植物の種類とか詳しいか?」
「それなりに」
 ま、この時点で知っていなかったとしても、長門なら問題ないだろうけどな。
「俺が育ててたあれ、結局なんの植物なんだ?」
「……」
 長門はしばらく前を向いたまま沈黙してから、ゆっくりと俺の方に顔を向けた。
「桃」