今日の長門有希SS

 俺の前には三つの選択肢があった。選択によってその後に与える影響はそれほど大きくはないが、全くないわけではない。間違った選択をすれば……いや、何が正しくて何が間違いなのか答えのない選択だが、どれを選ぶかによってその後の食生活にはそれなりに影響がある。
 俺はとある食料品店にいた。普通のスーパーとはちょっと違い、輸入食品などを主に扱う店だ。そして俺の目の前に陳列されているのは真っ赤な缶で、その中身は中華料理に使われる半固形の鶏ガラスープの素。これをお湯で薄めると、中華料理屋でよく出てくるあの中華スープの味になる。
 同じような鶏ガラスープの素が三種類あるわけではなく、選択肢はどれも同じ商品だ。俺が選択しなければならないのはその量だ。
 少ない物から二百五十グラム、五百グラム、千グラムの三種類。だが値段は必ずしもその分量に比例しないのが問題だ。商品の値段とは中身だけではなく、容器や輸送量や販売する者の賃金など、様々な要素によって決定される。
 具体的な値段だが、二百五十グラムのものは七百円強で五百グラムになると千円弱になる。量が倍になったのに、金額的には五割増しにも満たない。そして、五百グラムと千グラムを比べると、千グラムの商品は千七百円程度であり七割増し程度なので、千グラムがそれほど格安とは言えない。
 これだけを考えると五百グラムを買えばいいと思われるかも知れないが、話はそう単純ではない。
 この鶏ガラスープの素は中華スープ一杯分で四グラム使う。つまり五百グラムを買ってしまうと、中華スープならば百二十五杯を飲まなければならない。もちろん料理によって使う量は違うのだが、これ一つでかなりの中華料理を作れることになる。
 値段に対する量として格安だと思われる方もいらっしゃるかも知れないが、必ずしも多いことがいいとは限らない。
 長門のマンションで食事をする時は主に二人だ。二人で割ったとしても、中華スープ約六十杯分。今までの人生で飲んできた中華スープの量を考えると、この缶を消費し尽くすまでにはかなりの年月を要することがわかる。もちろん中華スープだけで消費するわけではないのだが、チャーハンなど他の料理で使うにしてもそれなりの回数を経る必要がある。
 だから、この五百グラムを買うことは損なのではないかという可能性がある。この商品がどれほど長持ちするのかよくわからないが、使い切れないのならばいくら量あたりの値段が格安であっても無駄になる。仮に半分も使い切らずに断念してしまうとすれば、最初から二百五十のものを買っていればよかったことになる。
 だが、その逆もある。この鶏ガラスープの素があまりにも美味く、毎日中華スープを飲みつつ中華料理を作ったとしたら、二百五十グラムなどあっという間になくなってしまうに違いない。その時は新たに五百グラムや千グラムを買うことになるが、その時に俺は「どうしてこうなった! どうしてこうなった!」と後悔するだろう。
 だから、この選択はその後の運命を左右するほどではないが、全く重要ではないわけではないのだ。
 俺だけでは決められない。こういう時には別の意見が必要だ。
「なあ、長門
 ようやく俺は、棚の前でぼうっと立っている俺にずっと付き添ってくれている長門に声をかけた。
「どれがいいと思う?」
「そんなことより早く帰って食事がしたい」


 俺たちは五百グラムの商品を手にして店を出たのだが、半分ほど使ったところで食傷気味になって朝倉に譲ることになるなんてこの時の俺たちには全く想像のできないことだった。