今日の長門有希SS

 今さら言うまでもないことだが、涼宮ハルヒは横暴である。出会った頃ほど傍若無人ではないが、それでも一般的な基準で考えると十分だろう。ごく一部に例外はいるが、ハルヒが持ち前の我が儘っぷりを発揮する対象はSOS団内外を問わない。とにかくハルヒはやりたいことをやりたいようにやるだけだ。
 しかしながら、無言でいきなり襟首を掴むのは少々やりすぎではないだろうか。真正面のハルヒから目を離すことのできない状態だが、教室中の視線が集まっているのは見るまでもない。ハルヒの行動に慣れたクラスメイトの目にも、今のハルヒはさすがに常軌を逸しているように映るだろう。
キョン、あんたたるんでるわ」
「そうかい」
 確かに俺はあまりシャキシャキとした方ではないが、こんな風に首根っこ掴まれるようなした覚えはないぜ。
「取れるわよ」
 一体なんのことだ。俺には心当たりがないんだが。
「ボタンよ。ワイシャツのボタンが取れかかってるわ」
「なるほどな」
 それでハルヒの奇行に納得がいった。いや、ボタンが取れかけている相手にこのような振る舞いをするのはあまり普通の振る舞いとは思えないが、全く理由がないわけではないということだけはわかる。
 だが、俺は取れかけたボタンを修繕する道具なんざ持っちゃいない。家に帰るまで外れなければ親にでも頼んで付け直すことができるのだが、それまで糸が持ちこたえてくれるだろうか。それとも、知らない間に落として紛失しまうことのないように千切ってしまう方がいいかも知れない。
「なあ、ハサミを持ってたら貸してくれないか?」
「あるけどダメよ」
「なんでだ?」
「今から使うもの」
 俺を椅子に座らせると、ハルヒは鞄から小さなポーチを取り出した。中には小さなハサミだけでなく、糸や針などがぎっしり収められている。
 いわゆる、ソーイングセットってやつだ。
「刺されたくなかったら動くんじゃないわよ」
 言うとハルヒは、小さなハサミを俺の首元に近づけてくる。もちろんハルヒのしようとしていることを曲解などしているわけじゃないが、心配にはなる。
「お前、そう言うの得意なのか?」
「あたしを誰だと思ってんのよ」
 勉強もできてスポーツ万能のハルヒなら、手先が起用であってもおかしくない。この状態でボタンを留めるくらい難しいことではないはずだ。
 だが、こうしてハサミの先端を突きつけられると、口に溜まっただ液をごくりと飲み込んでしまうのは仕方がないと言えよう。
「動くと刺さるわよ」
 物騒なことを言わないでくれ。てか、刺さるって針じゃなくてハサミの話だったのか。ハサミが刺さるとかかなり大事じゃないのか。
「喉を動かさないでよ」
 しゃべるなってことかよ。俺は小さく溜息をつく。
「だから動かすなって言ってるでしょ」
 呼吸もかよ。


 まだ視線が集まっているように感じ、俺は便所に行くふりをして教室を抜け出した。
 散々な目に遭ったものだ。服を脱げば安全にボタンを付け替えることはできたのだが、そのことに気づいたのは全てが終わった後だ。最初から最後まであまりにも急展開だったからな。
 まあ、気が付いていたとしても脱いでいたかどうかはわからない。下に何も着ていなかったから上半身裸になってしまうのは避けたいことだし、そもそもハルヒのプライドを傷つける可能性がある。
「なによ、あたしが信用できないっての?」
 だとか言ってへそを曲げることは目に見えている。信用できているかどうか聞かれれば半々と言ったところだが、それを口に出せば更にまずい自体になるだろう。
「おっと」
 便所から出た正面に長門が立っていた。長門は俺に気が付くと、すたすたと近寄ってくる。
「……」
 一瞬俺を見つめた後、長門は俺の首のあたりに手を伸ばしてまた戻した。
「どうしたんだ?」
「糸くずがついていた」
「そうか。ありがとよ」
「いい」
 ちょうどチャイムがなり、休み時間が終了する。少し急がなければならない。
「走るぞ」
「……」
 静かに首を縦に振る長門と共に、俺は足早に教室に向かうことにした。