今日の長門有希SS

 7/97/10の続きです。


「みくるちゃんもすごいのできるんでしょ!」
 教室に戻る古泉と別れ、部室にやってくるとハルヒは朝比奈さんにしがみついていた。
「なにをですかぁ」
「携帯よ! キョン、見せてあげなさい」
「はいよ」
 もはやこの展開には慣れきってしまった。無造作に手をポケットに突っ込み――
「ん」
 向きが違う。上を向いているのは折り畳まれる側であり、手の平が触れているのは表面に小型ディスプレイのある面。先ほどとは逆になっている。
キョン、どうかした」
「気にするな」
 親指と小指で軽く挟み、ポケットから携帯を引き上げる。
 開くためには縦方向に半回転させなければいけない。指二本で携帯を吊したまま手首を一度後ろに振って、反動を付けて上へ。同時に親指と小指を放し、空中に浮き上がった携帯は縦方向に回転する。
 そのままでは無駄に回りすぎてしまうので、中指を表面に触れさせて速度を調節し、半回転したところで上から抑え込むように携帯を受け止める。
 手の平に対する向きは修正できたが、腕が上がりすぎてしまっている。携帯を鷲づかみにし、ハルヒたちに掲げるような状態だ。ちょうど、有名時代劇の印籠を出したシーンを想像していただければわかりやすいはずだ。
 俺はまず肘から先をくるりと内側に半回転させる。顔の前に向いており、このまま開けば目の前にディスプレイが来る状態だが、もちろんそんな簡単に終わらせるつもりはない。
 親指を差し込んで少しだけ隙間を広げる。今回は、指で跳ね上げるわけでなく、今回は純然たる運動エネルギーを使用することにする。俺は肘と腕を使って素早く携帯を下に振り落とす。
 パチン!
 腕が地面に対し垂直になったところで携帯が開いた。あとはゆっくりと顔の前に持ち上げれば終了だ。
 もちろん携帯を使う用事などないので、人差し指を使ってぱたんと閉じる。
「そんなのもあったのね」
「まあな」
 言いながら俺は無造作に携帯をポケットに戻した。
「と、言うわけよ」
「はぁ」
 朝比奈さんは何のことかわかっていないようだ。まあ、そりゃそうだよな。
キョンの携帯の出し方見たでしょ、本人地味なのに無駄に格好いい」
 無駄言うな。
「古泉くんなんてゴミ箱から戻ってくるのよ。だったらみくるちゃんも何かできるんじゃないの?」
「で、できません」
「またまたぁ、古泉くんみたいに隠してるんじゃないの? みくるちゃんおっぱい大きいんだし、ノーブラボイン打ちとかできるんでしょ?」
「ふえぇっ、着けてますぅ」
 否定するのはそっちなのか。いやまあ朝比奈さんのサイズなら当然着けているだろうけど。
 さて、俺はどうすりゃいいんだろうな。古泉がおかしな技を使えていたことを考えると、朝比奈さんだってそうなっている可能性は高い。ハルヒがそう考えているからな。
 実際、朝比奈さんが特殊な方法で携帯を取り出せたとすると、ハルヒは「顔が美形な者は必ずそういう技を身に付けている」と認識してしまい、世界中の美形が俺より格好いい方法で携帯を取り出すようになる。それは俺たちにとって好ましい状況ではないはずだ。
 ハルヒに絡みつかれた朝比奈さんが携帯を出すのは時間の問題だが、この状況を打開するための方法は思いつかない。どうにかしなければ――
 がちゃりとノブの音が部室に響く。まだ古泉の授業は終わっていないはずだから、この時間に来るのは一人しかいない。
長門か」
 その顔を見てほっとした。俺だけではどうにもできない状況でも、長門ならなんとかしてくれる。俺には半ばそういった確信があった。
「……」
 長門は朝比奈さんと、それに抱きついているハルヒにちらりと視線を送るが、何事もなかったように本棚に向かう。
 考えてみれば、古泉が俺より携帯を格好よく取り出せるようになったことを長門は知らない。そして、朝比奈さんに形態を取り出させてしまえばまずいということも。
 ならば、今こうしてハルヒが朝比奈さんに携帯を出させようとしているのは、長門の目にはごく日常的な光景として映っているのだろう。
 ハルヒが目の前にいるから直接口頭で伝えることはできない。もどかしく見つめる俺の視線に気づくこともなく、長門は本棚から本を取りだして椅子に座り、携帯をポケットから取り出して机に置いた。
 そうだ、携帯だ。
 ポケットの中に手を入れると、そこからパチンと小さく音が鳴る。片手で開けるのはポケットから出す時だけではない。
 長門にメールを出す機会は少なくない。直接会う機会が多いので必要ないように思えるかも知れないが、ちょっとした連絡にメールは便利だ。
 俺は今の状況について簡単な説明、それからハルヒを止めるようにと打ち込んで送信する。
 携帯が振動し、机の上で大きな音を立てる。ポケットなどに入れていると周囲に音はあまり漏れないが、バイブ機能ってのは固い物の上だとよく響くんだよな。ハルヒがその音に気づいて顔を向けるが、届いたメールの内容を詮索するような奴じゃない。まあ長門なら聞かれてもうまく誤魔化してくれると思うが。
 長門は本を太股の上で開いたまま、右手をゆっくりと持ち上げる。
 パチン。
 長門が指を鳴らすと、ぱかっと携帯が開いた。そちらをじっと見つめてから、再び指を鳴らして携帯を閉じる。
「……有希、今の、何?」
「迷惑メールだった。気にするような内容ではない」
「えっと、そうじゃなくて……どうやったの?」
「特定の周波数に応じて開くようアプリケーションを入れてある。読書中の最中の着信に便利。置いたまま会話もできる」
「なーんだ、てっきり有希も古泉くんみたいにすごい技を身に付けたのかと思っちゃったわ」
 今のが技でどうにかなる物なのかどうかはよくわからんが、それを身に付けたというのはあり得ないだろう。長門は最初から何でもできるのだから。
「古泉くんの携帯の出し方、すごかったのよ。ぽーんって携帯を投げたと思ったら、ゴミ箱に入ってまた戻ってくるのよ。しかも右手にすっぽりと収まるようにね」
「それは恐らく透明なワイヤーを使用したものと思われる。携帯にワイヤーを結び、右手の腕時計の隙間を通して左手で持ち、それを引っ張れば手の中に戻る。実際に古泉一樹が練習しているのを見たことがある」
「そっか、あれは手品だったのね……」
 実際は古泉が常に携帯にワイヤーを巻き付けているはずなどないのだが、長門の説明には頷ける部分もあった。ちょうど、あの時古泉は両手を開いていたから、そのトリックを使ったと言われれば納得できる。
「じゃあキョンは? ほら、やってみてよ」
「またかよ」
 ポケットに右手を入れると先ほどメールを打った状態から開いたままになっていた。一度閉じてしまえば元に戻るのだが、それでは芸がないし、開いているものを閉じてまた開くというのは俺の美学に反する。
 だから俺はポケットの中の更に奥に手を入れる。携帯全体を持つのではなく、先端部分を軽く指で支えてポケットから引き出す。
「よっと」
 ボーリングをする時のように、手首のスナップを利かせて携帯を空中に放り投げる。横方向に回転した携帯は、胸元で待機していた左手に吸い込まれていく。
 パシッ!
 いい音が鳴った。勢いのまま顔の前まで持ち上がっていた右手を斜め方向に下ろしつつ、その途中で左手の中にある携帯に触れ、ぱたんと閉じることも忘れない。
キョン……あんたいくつ持ってんのよ」
「別に数なんて決まっちゃいない。基本の技術を組み合わせているだけだ」
「……まあいいわ。で、有希はキョンの携帯の出し方をどう思う?」
中二病


 帰り道、ハルヒに向けてにこやかな顔でコインを出したり消したりする古泉を遠くに見ていた。
 二人で最後尾を歩き、他の誰にも聞こえない声で長門がささやきかけてくる。
「ああ言わなければ、あなた固有の技術であると納得させることが難しかった」
 にしても、まさか交際している相手にそんなことを言われるなんて。仮に思っていたとしても、ありのまま口にされると傷つくのは仕方ないことだろう。
 拗ねるのが筋違いだってことは俺もわかっている。元はと言えば、俺が蒔いた種なんだしな。長門はうまくまとめてくれた。
 解散場所まであと数分。飽きっぽいハルヒのことだから、今日のことなんて明日にはもう忘れているだろう。これで携帯についての心配はもうない――はずだったのだが。
「ん、誰?」
 どこからか鳴り響いた着信メロディに反応したのは先頭を歩くハルヒだった。くるりとこちらに顔を向けるが、音が聞こえるのは前方であり、俺でも長門でもない。
「あたしですぅ」
 と言ったのは、ちょうど真ん中を歩いていた朝比奈さんだ。鞄やスカートのポケットではなく、制服の胸元に手を入れる。いわゆる胸の谷間。
鶴屋さんからのメールでした……あれ、どうかしましたか?」
「みくるちゃん今の何! 携帯いつもおっぱいに挟んでるの!? 巨乳のおっぱいって四次元ポケット!? 峰不二子なの!?」


 今のが巨乳の女性全てに当てはまることではないとハルヒに納得させるまで、三十分ほどを要することになった。