今日の長門有希SS

 前回の続きです。


 廊下に出て向かった方向でなんとなく察知はしていたが、辿り着いたのは古泉のクラスだった。
「おや、お揃いでどうしたのでしょうか?」
 俺たちに気づいた古泉が雑談を中断し廊下に出てきた。
「申し訳ないのですが、僕はまだ部室には行けません」
 古泉の在籍するクラスは進学向けのコースであり、俺たちに比べて授業時間が多い日がある。ちょうど今のように俺たちが勉強から解放された後でも、授業が残っていたりすることもあるわけだ。
「大丈夫よ、授業が始まるまでには終わらせるから。キョン、見せてあげなさい」
「はいはい」
 見せろってのは考えるまでもなく携帯の出し方だろう。言われるまま、俺はポケットに手を入れてその向きを確認する。ちょうど開きやすいようになっているが、これはポケットに入れた時にそのような向きで収めたからだ。
 携帯を開く時と同じように片手で閉じてポケットに入れるわけだが、これにもちょっとコツがある。人差し指でディスプレイの側を後ろから押すのだが、これで完全に携帯が閉まることは少ない。大抵は少し浮いた状態になるので、親指を曲げて撫でるように閉じるのだ。なお、素人は薬指や小指を挟んでしまう場合があるが、これは指を巻き込むようにして携帯を持っているから発生するものであり、持ち方に気を付ければ問題ない。
 ともかく、そのように片手で閉じて腕を半回転してポケットに入れたのが今の状態である。その際はポケットの奥深くまで手を入れることなく、入り口のところでそっと手を離せばいい。そうすれば下まで直行だ。
 方向は問題なかったので俺はいつものように携帯を取り出す。親指の先端を隙間に滑り込ませ、捻りながらポケットから手を引き抜き、親指を下から上へと滑らせる。
 シャキン!
 今回、携帯が開いたのは体の横だった。そこで一瞬だけ動きを止めてから、流れるような動きで顔の前に移動させる。
「どう、古泉くん」
「これはこれは、まるで拳法の型を見ているようですね」
「でしょ!?」
 そこまで言われるほどのことじゃないんだけどな。
「で、お前はこれを古泉に見せるためだけにここに来たってのか」
「違うわ」
 じゃあ何がしたいんだ。
「思ったのよ。ほら、キョンって地味じゃない? でもそんなキョンでも、今の携帯の出し方は妙にキマってた。容姿は地味だってのに」
 ほっとけ。
「だったら、キョンよりハンサムな古泉くんにはそれに相応しい素敵な携帯の出し方があるんじゃない? どう?」
「残念ながら、彼の動きに比べてかなり地味なものになるかと思われます」
「そう。ま、いいわ……とりあえずキョンのやり方をできるようになってちょうだい。キョンがあんなに格好よく見えるんなら、古泉くんならもっと格好よさそうだし」
 言いたいことはわからんでもないが聞いてると複雑な心境だな。確かに客観的に評価すると俺が古泉に容姿の点で勝っているとは思わないが、それでもこんな俺を選んでくれる奴が確実に一人は存在しているんだぜ。
「今の動きをマスターするのは少々時間がかかりそうですね。携帯の開き方そのものはさほど難しくないように見えましたが、それぞれの動作にメリハリがありました」
 改めて分析されると妙なもんだ。俺はただ携帯を取り出しているだけで、極めて日常的な動作だと言うのに。
「ま、早くレクチャーしてあげなさいよ。教える前にチャイムが鳴っちゃったら古泉くんが練習できないでしょ?」
 お前、授業中に練習させるつもりなのか。これは教えない方がいいのだろうかね。
「いいから、さっさとしなさい」
「お願いします」
 当の本人はにこやかな笑みを浮かべている。ハルヒの機嫌を損ねないためなら授業中に携帯をパカパカならすくらい大したことじゃないんだろう、こいつにとっては。
 まあそれなら躊躇する必要はない。これでチャイムがなったら古泉が早退してバイトに行きかねん。
「じゃあ携帯を取り出せ」
「はい――おっと」
 ポケットから取り出した古泉の手から、まるで食われることを恐れて最後の抵抗をする鰻のようにするりと携帯が飛び出す。放物線を描き、宙を舞って教室の中へ。


 カッコーン。


 狙いすましたかのようにゴミ箱に吸い込まれていった。古泉はポケットから手を取りだした状態のまま固まっていたが、やれやれといった風に両手を広げる。こりゃボードゲームと同じように筋が悪いな。
 と、思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
「え?」
 ハルヒはぽかんと口を開けて古泉に顔を向けている。そしてその当の古泉は、そんなハルヒの様子など眼中になく、珍しく営業スマイルを崩して己の右手を見つめている。
 携帯が握られているその手を。
「す、すっごーい! なによ、古泉くんもこんな格好いい携帯の出し方をできるじゃないの!」
「ははは、驚いていただけてなによりです」
 空っぽの声で棒読み気味に答える古泉の顔を粒になった汗がびっしりと覆っている。少し離れた位置にいるハルヒは気づかないのかも知れないが、横にいる俺にはそれがよくわかった。
「まさか一度ゴミ箱に入った携帯が手元に戻るなんて……どう投げればあんな風に跳ね返ってくるのよ! 誰でもできることなの!?」
「いえ、実は以前から練習していたんですよ。その甲斐がありました」
「ふぅん……やっぱり顔がいいとそれなりの技を持ってるもんなのね。そうだ、あたしそろそろ行くわ! 古泉くん授業頑張ってー」
 びしっと手を上げてハルヒが風になる。追いかけるべきかとは思ったが、俺も古泉も動くことはできなかった。
「すいません」
 どこか遠くで鳴り響くチャイムの音をBGMに、古泉がゆっくりとこちらに顔を向ける。右手は携帯を持ったまま。
「そちら側のズボンのポケットにハンカチが入っています。お手数ですが取り出していただけないでしょうか」
「それくらい、自分でやればいいだろ。幼稚園児かお前は」
「そうしたいのはやまやまですが、今度はどんな技を繰り出してしまうのか自分でも全く予想ができないので」
「わかったよ」
 俺はまるで手術中の医者にするようにハンカチで顔を拭いてやってから、ハルヒの後を追うことにした。