今日の長門有希SS

 5/155/16の続きです。


「行くわよ!」
 ハルヒがテーブルをバンと叩いて立ち上がる。
「ちょっと、みくるちゃんしっかりしなさい」
 ハルヒに促されても朝比奈さんはなかなか立ち上がろうとしない。ハルヒをあそこに向かわせたくないようにという意識ももしかしたらあるのかも知れないが、顔色がよくないので普通に立てなくなっているのだろう。
「もう!」
 隣に座る朝比奈さんを押しのけ、ハルヒが店を出ていく。
「待て!」
 一人で行かせれば何をしでかすかわかったもんじゃない。ハルヒを追いかけ、ぞろぞろと俺たちは店を出る。
「おい、どうするつもりだ」
「放っといたら犯人が逃げちゃうじゃない。捕まえるのよ!」
 ハルヒの腕を握ったまま引き留める。もしこいつを行かせたら、あそこで腰を抜かしている店員が本当に犯人だったことになりかねない。事実かどうかは関係ない、ハルヒがそう思って捕まえてしまうことが問題なのだ。
「犯人かどうかの判断は警察とかに任せるべきだろ。それに、もし万が一あれが事件現場だったとしたら、勝手に荒らしたら後で問題になる」
「一刻を争う事態なのよ! あとでどうにでもなるわ」
 暴れるハルヒは今にも俺の手を振り解きかねない。助けを求めて周囲を見回すが、最初に目に付いた朝比奈さんは生まれたての子鹿のように足下がおぼつかないので戦力になりそうにない。他の団員の姿は見あたらない。
「あ――」
 俺の手からハルヒの腕がすり抜けた。一瞬、前につんのめったハルヒだが持ち前の運動神経で転んだりすることはなく、そのままマネキン改め死体の転がってるところに向かおうと――
「え?」
 ハルヒの足がぴたりと止まる。どうしたのかと顔を上げると、店の奥からタキシードに身を包んだ女性が現れた。頭にはシルクハット、顔にはゴーグルのような形のサングラス。意味がわからない。
「イッツ・ショータイム!」
 現れた女性は、ぽかんとする俺たちに投げキスをすると、どこからともなく真っ赤な布を取り出した。その布は女性が空中で振ると大きく広がり、ふわっと転がっていた死体やらへたり込んでいた店員を覆い尽くす。
 どこからともなくドラムロールの音が聞こえる。
「ワン・ツー・スリー!」
 そして女性が布を空中に持ち上げると、そこにあったはずの死体などは跡形もなく消えていて、代わりにサングラスをかけた初老の紳士が横たわっていた。白髪交じりの髪、女性と同じサングラス――黄色のレオタードだけが異様だった。
「どうも、通りすがりのマジシャンです。お騒がせしました」
 女性の方がそう宣言する。
「マジ……シャン?」
 後頭部しか見えていないが、俺には困惑するハルヒの表情が見えているようだった。
「ブラボー!」
 どう反応していいか戸惑う俺たちに拍手喝采が耳に入ってくる。その主は古泉で、路上なので当たり前だがスタンディングオベーションの真っ最中。その拍手っぷりが妙に様になっているので、俺たちもブラボーブラボーと叫びながらつい拍手をしてしまう。
「それでは、またいずこかでお目にかかりましょう」
 女性と初老の男性、二人が揃って頭を下げるとポンと小さな爆発。煙が消えるとそこには何もなくなっていた。
「いやあ、素晴らしい手品でしたね」
「あ……そうね、手品だったのね。まあそうそう殺人事件なんて起きるはずないわよね」
 町中で突然手品が行われるほうが確率としては低いのかも知れないが、それを口にすることはまた厄介な事態を招きそうなのでやめておこう。
 ともかく、これで町中に死体が転がるような事態は避けられた。マジシャンが通りすがる可能性がかなり低く、今回はレアな体験だったことさえハルヒに認識させられれば問題ないだろう。
 これにて一件落着……かと思っていると不意に袖を引かれた。
「……」
 そこにいたのは長門だった。手には何やら紙切れが握られている。
「どうした?」
「今回のことを考えると、あなたに渡すのがふさわしいと思われる」
 一体何かと思いきや、それは先ほどの店の伝票だった。
 まあ、確かに俺の失言が原因だよな……と思いつつ、金も払わず出てきてしまった喫茶店に戻ることにした。