今日の長門有希SS

「どうしたのよ」
 いつもと違う一日。登校したばかりの俺にかけられたその言葉にドキリと胸が高鳴る。
 俺は小さく息を吐き、呼吸を整えてからハルヒの顔を見る。その顔からは言葉の意図は掴めない。
「どういう意味だ?」
「いつもとちょっと違うような気がしただけよ。楽しいことでもあった?」
「別に、わざわざ他人に話して回るようなことはない」
「ふうん」
 まるで興味がなくなったみたいに俺から目をそらすハルヒ。それ以上、そのことについて聞いてくることもないだろう。
「あ、忘れてたわ。おはよ」
「ああ、おはよう」
 窓の方に顔を向けたままのハルヒにそう言ってから俺は椅子に腰掛ける。
 鞄を机の横に引っかけてから、深く溜息。そっと手を当てると鼓動はまだ早くなっていた。
 始める前から勘付かれそうになるとは予想外だった。やはり、今回の試みはハルヒが一番の難関だと思われる。
 もし気づかれたら……そう思うと鼓動が更に加速する。それを抑えつけるようと、俺はポケットの中で手を握りしめた。


 一時間目が終わった後、教室から出た俺は長門と遭遇した。
「……」
 お互い言葉を発することはないが、歩き出した俺の後ろを長門が着いてくる。教室の並んでいるところを抜け、屋上へ向かう階段を上る。
 さて、唐突だが世の中には数多くのアダルトグッズが存在する。世の中には様々な性癖を持つ者が存在し、それを満たすためにはあらゆるアイテムも必要となるわけだ。
 直接的に刺激を与える物はもちろんだが、ただ体の自由や感覚を奪うだけの物も存在する。もちろん、使い方は様々だがそのほとんどが結局のところは快楽を得るための物である。
 今、俺がポケットから出した機械も、そう言った物の一つだった。小さな楕円形のそれには、いくつかのボタンがある。
 その対となる小さな機械は既に体内にセットされている。下着を膝のあたりまで下ろした下半身からコードが伸びて、電波を受信するための機械がぶら下がっていた。
「ちゃんと動くかチェックすべき」
「ああ」
 そう言うと、俺はそのリモコンのボタンを押した。


 ぶぶぶぶぶ――


 人気のないその空間に、くぐもった振動音が響き渡る。
「……」
 長門は表情を変えることなく俺の顔を見つめていたが、その視線は普段と少し違っていた。
「ちゃんと動いているな」
「……」
 確認してからスイッチを切ると、長門はこくりと首を縦に振る。
「じゃあ、戻るか」
 それ以上何も話すことなく、俺たちは階段を下りる。誰にも見られていないことを確認してから、俺たちはまた少し離れて教室に戻っていく。
 妙に喉が渇いた俺は自販機に寄ってから教室に戻り、半分ほど残っていたコーヒーをハルヒに奪われた。


 その後は何事もなく時間が経ち、気が付けば放課後になっていた。
 もちろん授業の内容なんて全く頭に入っちゃいないが、普段からなので気にすることはない。
キョン、部室行くわよ」
「ああ」
 ハルヒに引っ張られるようにして早歩きで部室に向かう。普段と同じ場所を通っているはずなのに、見え方が少しだけ違った。
 果たして部室にもう長門はいるだろうか。
「あ、速すぎた?」
「どうした?」
「息が荒いわよ」
「体育があったから少し疲れているのかもな」
「だらしないわねえ」
 何とか誤魔化すことができた。ここに来て気づかれるわけにはいかないからな。
「お待たせー!」
 部室に飛び込むハルヒの手を振り解き、廊下で待機する。朝比奈さんが着替えている最中だった時のことを懸念したのだが、中から声が聞こえてこないので大丈夫だろう。
キョン、何やってんのよ。さっさと入りなさい」
「ああ」
 そこには俺とハルヒ以外に誰もいなかった。もちろん長門の姿もない。
「みんな遅いわね」
「俺たちが早すぎたんだろ」
 何しろ授業が終わった直後に駆け付けたからな。誰もいなくて当然だ。
「まあいいわ」
 そう言うとハルヒはいつもの通りパソコンの前に腰掛けた。
「早くみくるちゃんのお茶飲みたいわねえ」
「そうだな」
 相づちを打ちながら、俺は部室のドアに視線を向ける。
 長門は……いつ来るんだ。
 だがすぐに目をそらした。ハルヒには先ほどから怪しまれているのだ、あまりドアばかり見ていると怪しまれる。他の誰に気づかれても問題だが、特にハルヒはやばい。
「さてと」
 だから俺は平静を装い、ボードゲームなどを探すことにする。この部室にはトランプや将棋やオセロなど暇をつぶせるボードゲームが揃っているが、なるべく手が震えても大丈夫なものがいい。カードゲームはやめておいた方が無難だろう。
 オセロを持って立ち上がったところでドアが開いた。
「あ、もう来てたんですね」
 現れたの朝比奈さんだった。俺はテーブルにオセロを置くと、椅子に座ることなく廊下に出ていく。
 外に出て溜息を一つ。
 落ち着け、今からこんなに緊張してどうするんだ。まだ長門すら来ていないんだぞ。
「おや、お疲れですか?」
 いつの間にか目の前に古泉がいた。こいつの目にはそう見えるのか。
「体育があったからな」
「なるほど」
 俺の答えに納得したようで、疑問を持った様子はない。たまたま体育があってよかった。
「もういいですよ」
 ドアが開いてメイド姿の朝比奈さんが姿を見せる。
「はい」
 答えながら俺は廊下の向こうをちらりと見る。
 長門の姿は、まだ、ない。


 朝比奈さんのお茶を飲みながらオセロを始める。集中力に欠けるせいかいい勝負になるが、僅差で数が勝っている。
 勝負が決する間際、ようやくドアが開いた。
「……」
 部室に入ってきた長門は、何も言わずに本棚に向かう。
 いつも通り。事情を知っている俺ですら、普段との違いは感じられない。全くの平常通りを装っている。
 呼吸が荒くなりかけて、俺は湯飲みに口を付ける。液体を口に流し込み、俺は普段より喉が渇いていたことに気づく。
「お代わりをお願いします。今日のお茶は美味しいですね」
「はぁい。キョンくんにそう言ってもらえると嬉しいですぅ」
 天使のような微笑みでお茶を注いでくれる朝比奈さん。汚れのなさそうな笑顔だ。
 まさか、俺たちがあんなことを企んでいるなんて思ってもいないだろう。
 さて、始まるのはいつだろうか。
 熟考する古泉から視線を外し、長門を見てしまう。
「……」
 いつも通り、長門は黙って読書をしている。俺の方を見ることすらない。
 まだか。
「参りました」
 一回目の勝負が終わって古泉が頭を下げる。
「次もオセロにしますか?」
「なんでもいい」
「わかりました」
 古泉はオセロ盤を畳んで立ち上がる。何を持ってくるつもりかわからないが、こちらに背を向けた。
 ポケットに、手が入った。


 ぶぶぶぶぶ――


 振動音が部室に響いた。
「なに?」
 まずい。思ったよりも音がでかい。
「誰かの携帯鳴ってんじゃないの?」
 ハルヒはそう思ってくれたらしい。
 一番、部室で電話が鳴る機会が多い古泉に自然と視線が集まる。
「僕のではありませんね」
 俺は、体のふるえをこらえて鞄に手を入れ、やや不自然に思われるかも知れないがゆっくりとその中身をかき回す。
 ぴたりとその音が止まった。
「ああ、俺だった」
「なんだ、あんただったの」
「迷惑メールだ」
「ま、あんたはこんな時間にメールしてくる友達とかいないでしょ」
「ほっとけ」
 俺にだってそんな相手が全くいないわけじゃないが、SOS団で活動してる時間が大半なのでそれほど友人が多いとは言えないのも事実だった。そして、そいつらは俺がこの時間は部室にいることを知っているのでメールを送ってくることもないだろう。だからハルヒの言っていることはある意味で間違ってはいない。
「次はウノにしましょう」
「ウノか。二人じゃつまらないんだよな」
 本音はカードを持つ手が震えてしまうことを防ぐためだが、実際にウノは二人でやるには退屈なゲームだ。
「それならあたしもやるわ。せっかくだしみくるちゃんと有希も参加ね」
 ハルヒの言葉に心臓が跳ねる。五人でテーブルを囲むということは、俺や長門が妙な動きをした時に気づかれてしまう可能性が高まる。
「マジか」
「ははーん、あたしが入ると負けるから嫌なんでしょ」
「言ってろ」
 ハルヒが違った方向に誤解してくれたので少しだけ平静を取り戻すことができた。
 古泉がカードを配り、ゲームが始まった。ウノは座り順によってかなり勝敗が左右されるわけだが、隣にハルヒが来た俺はあまりいい場所とは言えないだろう。もっともウノは右回りと左回りが頻繁に入れ替わるので、ハルヒの被害を被るのは俺だけではないのだが。
「ちょっと、ドローフォー出さないでよ」
 かなり強烈な攻撃を仕掛けて来るくせに、自分が食らうと文句を言うのか。
 溜息をつき、顔を上げる。
 長門と目が合う。
 ポケットに、手が入った。


 ぶぶぶぶぶ――


 またも振動音が部室に響いた。視線は自然と俺に集まる。
「ちょっと、またあんたなの?」
 音が止まったところで携帯を取り出した俺にハルヒが不機嫌そうな声を上げる。
「なによ」
「また迷惑メールだ」
「もう、電源切っちゃいなさいよ」
「ああ」
 言われたとおり、俺は携帯の電源を切る。
 これでもう、今の言い訳は使えなくなってしまった。どうする?
「……」
 長門はじっと俺を見ている。何かを求めるように。
 そうして、ポケットに、手が入った。


 ぶぶぶぶぶ――


 全員の目が俺に集中する。
「切ったんでしょ?」
「あ、ああ……」
 ディスプレイを確認するように携帯を見る。
「間違いない。切れてる」
「じゃあなんでバイブの音がするのよ」
 バイブ、という言葉に俺は倒れそうになる。ハルヒ……間違っちゃいないよ。お前はそう言う意味で言ったわけじゃないだろうが、実際のところそれは的確だった。
「その理由は簡単」
 突然、口を開いた長門に視線が集まる。
「今回はわたしにメールが来ているから」


 乗り切った。
 活動時間が終わった時、俺はどっと疲れていた。いつものハイキングコースが余計にきつく感じられた。
「じゃあ解散。キョン、なんか疲れてるみたいだけどさっさと寝なさいよ」
 ハルヒの宣言で俺たちは別れる。別れ際「体に気を付けてね」と言ってくれる朝比奈さんにひどく罪悪感があった。
 あんなことをしていたなんて知ったら、朝比奈さんは軽蔑するだろうか。
「……」
 しばらくして俺たちは合流し、いつものように長門のマンションに向かう。
「……」
「……」
 お互い、無言だった。言葉はいらなかった。
 エレベータを上がり、廊下を歩き、長門の部屋に辿り着く。
 もう、我慢する必要はない。
長門。もう限界だ」
 寝室に移動するのももどかしい。身に付けていた服を廊下に脱ぎ散らかす。
 そして、下着を下げるとコードと電波を受信する機会がぶら下がった。
「外すぞ」
「待って」
 言うと長門は、ポケットからリモコンを取り出してスイッチを押す。


 ぶぶぶぶぶ――


「くっ――」
 もう声を我慢する必要はない。俺は長門の肩に手を置き、うめき声を漏らしながら倒れないように体重を支える。
「それを付けたまま夕飯の買い物に行きたい」
 そう言うと、長門は俺の下着をそっと戻した。


 まだ、終わらない。


 俺はぞくりと震えた。