今日の長門有希SS

 一口に忘れ物と言っても、その意味するところは様々だ。
 出かける先に持って行くべき物を家に忘れてしまった場合、もちろんそれは忘れ物だ。宿題をやったノートや携帯電話を家に忘れたことに気が付いた時の感覚は、他では言い表せないものである。
 逆に、家に持って帰るべきものを学校などに置き忘れた場合も忘れ物と呼ぶ。宿題が出ていた教科の教科書を忘れた場合は少々困ることもあるが、大抵は長門の部屋に寄るので問題はない。仮に長門も持っていなかったとしても、同じマンションに朝倉もいるしな。朝倉は俺と同じクラスに在籍しているので当然同じ宿題を出されており、なおかつ真面目に宿題をこなすような性格をしているのでまず間違いなく借りることができる。
 このケースで最も問題となるのは洗濯するつもりだったジャージや体操着などを忘れてしまった場合だ。それらは誰かの物を借りて洗濯するわけにはいかない。いや、もし洗濯したければ長門は喜んで貸してくれるだろうが、長門の体操着を洗ったとしても学校にある俺の体操着が綺麗になるわけじゃないので何の意味もない。
 夏場、そして週末ならば最悪だ。汗を吸って湿った衣類を暑いロッカーの中なんかに放置する……何か菌糸類が生えてしまいそうな環境だ。もちろん実際にそう言った物が生えることはないが、顕微鏡レベルでは何が起きていることやら。
 まあ、ジャージや体操着ならまだいい。特にまずいのは水着だ。水着を教室に置き忘れてしまったら……それはもう、取りに帰るしかないよな。
 だが、これらのケースもまだいい。例え忘れてしまったとしてもそれが失われてしまうわけではないからだ。所有物をどこかに忘れてしまった時、大抵の場合その物はもう戻ってこない。
 電車などに置き忘れられる物の定番と言えば傘だ。それほど高価な物でないこともあるので、わざわざ苦労して探したり駅に問い合わせる者は少ないだろう。財布などの貴重品であれば話は別だが、それもまた帰ってくる保証はない。まあ財布ならば大抵は落とし主の情報が詰まっていることもあるが、中身が抜かれている覚悟はしておくべきだろう。
 ともかく、忘れ物には様々なものがある、ということだ。
 そして、目の前にあるこれも忘れ物なのだろう。
「……」
 買い物が終わり、レジを通した商品を袋に詰めようとカゴを置いたところにそれがあった。
「苺?」
「そうだな」
 大抵の店では買った物を袋に入れるためにレジの奥にテーブルが設置されているが、そこに苺があった。透明なパックに入った苺だ。一つ一つの粒が大きく、買ったらそれなりの値段になるはずだ。
 そのテーブルには俺たちの他に誰もいない。誰かが買って、詰め替える際に入れ忘れてそのまま帰ってしまったらしい。
「……」
 どうするか、と無言で長門は問いかけてくる。だが俺にはどうすることもできない。この苺には買った人物を特定するような情報は含まれていないし、仮に誰が買ったか知ったとしても、これを俺が届けたらおかしな顔をされるだろう。
「置いておくしかないな」
 買った人物が置き忘れたことに気づいて取りに来ればいい。だが、一般的に家に帰るまで買い物袋の中身などは確認しないので、気が付くのは恐らく家に到着してからになる。果たして、家に戻ってしまった落とし主がここまで戻ってくるだろうか。
 苺は高価な物だが貴重品ではない。この苺でなければいけないというわけではない。恐らく店員が片づけるまでこのままここに放置されるだろう。
「……」
 長門はじっとその苺を見つめている。何やら悲しげな色が見え隠れするのは、置き忘れてしまった人物のことを気の毒に思っているからだろうか。もしこれを買った人物が苺を食べることを楽しみにしていたとしたら……ああ、そりゃ残念だろうな。
「もし、わたしが買った物を置き忘れたことに後から気が付いたら、あなたはどうする?」
「取りに言ってやるよ」
「本当に?」
「ああ」
 断言する。長門のためであれば、それくらい簡単なことだ。
「まあ、電車を乗り継いで行かなきゃいけないようなところは勘弁して欲しいけどな。近所なら任せとけ」
「わかった」
 長門に限って忘れることなんてなさそうだけどな。きっとそんなことは滅多に起きないさ。


 それから数日後のことである。
「買った物を忘れてしまった」
「マジで?」
 滅多に起きないと思っていたことが起きてしまった。もしかすると、油断をしてしまうってことはそれだけ俺を頼りにしてくれているからかも知れない。そう考えると少しだけ誇らしい。
「どこに何を忘れたんだ?」
「あなたとも何度か行ったことがある服屋」
 へえ、長門が一人で服を買いに行くとは珍しいな。
「わかった、取りに行ってくる。ところでどんな物を忘れたんだ?」
 そもそも忘れたのが長門なので、店員が確保していた場合、俺が取りに行ってもすぐには返してくれないだろう。内容を把握しておけば大丈夫だろうが。
「レシートがある」
 ああ、それならきっと問題ない。何か聞かれてもこのレシートを見せれば大丈夫。
「どれどれ……」
 そこに書かれていた物を見て絶句する。
「お願い」
 長門がじっと俺の顔を見つめてくる。何かを望むように。
 レシートにずらずらと書かれていたのは、大量の、女性物の下着類だった。