今日の長門有希SS

 暦の上では春となり温かくなり始めた。そろそろ桜が咲いて花見日和だなどと言われ始めてはいるが、たまに冷え込む日も存在する。まだ防寒着は欠かせないし、部屋の中だって温かいわけじゃない。
 だから、まだコタツを片づけていなくても問題ないはずだ。まあ長門の部屋には年中コタツが設置されているわけだが、温かい時期には布団を外して単なるテーブルとして使われている。そのコタツ布団を付けたままにしておくということだ。
 コタツはいいものである。食事もできるし中に入って寝転がることもできる。そのままの状態では腰がコタツの裏側にぶつかってしまうこともあるが、脚の下に台を置いて高くすれば寝返りも打てるようになる。
 こうなってしまえばもうコタツから抜け出すことができない。朝の布団と同等かそれ以上に困難だと言ってもいいだろう。
 だから長門の部屋に入るとついこのコタツに直行して動かなければならない用事がなければずっとその中で過ごしてしまう。もはや第二の我が家と言っても差し支えのない長門の部屋の中で、このコタツは第三の我が家と言っても過言ではない。
 それほど長く入っていれば、うたた寝をしてしまうのもよくあることだ。飯を食って横になってしまうと、そのまま寝入ってしまうつもりはなくてもつい意識が朦朧としてしまう。その妙にふわふわとした感じがまたたまらない。
 当然のことながら、眠っている間は周囲で何が起きているのかわからない。ちょっとした物音や人の動く気配で目が覚めることもあるが、そのたびに時間が飛んだような感覚になることもある。
 目が覚めた時に周囲の状況が違うなどということも起こりうる。気が付けば長門の手にある本の色が変わっているなんてのは目が覚めている時でもよくあることだから、うたた寝をしていれば更にその頻度も多くなる。目を開け閉めするたびに手品のように長門の持つ物が変わっていたとしても何ら驚くことはないだろう。
 だが、違いが大きければさすがに目も覚めてしまう。
「あ、目が覚めたの?」
 体を起こした俺に声をかけて来たのは朝倉だ。
 意識のない間に朝倉が来ているくらいならばよくあることで、それだけならまだ睡魔にうち勝つことはできなかっただろう。
「もうみかんは一つしか残っていませんよ」
 机の中央に置いてあったカゴを差し出されるが、別にそれが食べたくて起きたわけでもない。
「いいです」
「そうですか。それでは最後の一つも頂いておきます」
 言って目の前に積まれた皮の山を更に高くするのは喜緑さん。外側の分厚い皮だけでなく、薄皮まで丁寧に剥いてから口に運んでいる。
 いつの間にか長門の姿がなくなっていて、更に喜緑さんまでいればおちおち寝てもいられない。このお方は何を企んでいるかわかったものではないからだ。
「やっぱり食べますか?」
「いえ」
 丁寧に皮を剥かれたみかんはまるで缶詰から取り出したかのようだ。確かあれは薬品を使っていたはずだが、よく手作業でそこまできれいにできるもんだ。
長門はどうしたんだ?」
「本を買いに行くって言ってたかな。新しいのが発売されてるはずだからって」
「そうか」
 言ってくれれば自転車を出して乗せて行ったのにな。本屋だって歩けばそれなりに時間がかかる。
「何も一人で行かなくてよかったんじゃないか。起こしてくれればよかったのに」
「よく寝てたから遠慮したんじゃない?」
 長門としては俺に気を使ってくれたのかも知れないが、一人で出かけられてしまうほうが困る。元々は長門一人で過ごしていた時間も多いわけだが、最近はいつも俺や朝倉、更にはSOS団の誰かといるから一人でどこかに出歩くことは少ない。長門はしっかりしている面もあるがやはり抜けている部分もあるので、本屋に行くだけだったとしてもやはり心配だ。おかしな奴に声をかけられていないだろうか……いや、暴力で訴えてくるような奴ならあっさり返り討ちにするだろうが、キャッチセールスなんかに声をかけられたらどうだろうか……
「どうしたの?」
「置き去りにされて拗ねてるんですね」
「違います」
 別に拗ねているわけじゃない。心配なだけだ。
「朝倉、長門が出かけてどれくらいになる?」
「うーん、十分か十五分くらいかな」
 長門が本を買いに行くような店には心当たりがある。まだ帰ってくるような時間じゃないはずだし、今から行ってもどこかで追いつけるだろう。
「迎えに行ってくる。留守番を頼む」
「あ、うん。いいけど」
 不思議そうな表情を浮かべている。本を買いに行くというだけじゃどこの店に行くかわからないだろうとでも言いたいのだろう。
 だが俺は気にせず玄関に向かう。リビングを出る時に「過保護ですねえ」と喜緑さんの声が聞こえたような気がしたが、俺はマンションから外に出て――長門と鉢合わせになった。
「なぜ?」
 それはこちらの台詞だ。帰って来るにはまだ早くないか?
「雑誌を買ってきただけ」
 本、と言うからてっきり本屋に行ったものだと思っていたのだがどうやら早合点をしてしまったようだ。
 ひょっとして二人は長門がコンビニに行っていたことを知っていたのだろうか。それならわざわざ迎えに行くなんてのはやりすぎに思えたのだろう。過保護、と言われるのもうなずける。
「……戻るか」
 なんだか妙に疲れた。くるりと体を回して中に入ろうとすると、背中に抵抗があった。
「どうした?」
「自転車を出してくれるなら行きたいところがある」
 と言うわけで、俺は先ほどまで長門を迎えに行くつもりだった本屋まで長門を連れていくことになった。