今日の長門有希SS

 授業の合間や休み時間、教室の各所では数人が集まって会話をしている光景が目に入る。椅子に座った状態で話している者もいれば、何人かで輪になっていたり、窓際で外を見ながらというのもある。
 状況は様々だが、話していることは大抵の場合において大した内容ではない。まあ人に聞かせられないような話は人目につかないような場所でしているのだろうが、それにしても高校生の雑談というのは本当に内容が薄い。
 テスト前になれば多少は状況が変わるのだが、関係ない時期にそんなことを話している者はいない。聞こえてくるのは友達がどうしたとか、昨日のテレビ番組の話など。
 目の前でしゃべってる奴は、それらに輪をかけてどうでもいい話をしている。
「女にモテるためにはお笑い番組を見ておくべきだぜ」
 内容に反して谷口の顔は妙に真剣だ。確かに男子高校生にとってモテることは重要なことかも知れないが、その方法としてお笑い番組とは一体どういうことか。
「お笑いって言ってもな、バラエティーなら何でもいいってもんじゃない。短い時間でコントや一発芸をやるような番組があるだろ、そう言う番組がいいんだ」
 谷口の言葉で何個かの番組が浮かんだが、あえて実名を述べるのはやめておこう。一分で何人笑わせるとか、カーペットがスライドして芸人が画面外に消えていくとか。
「ま、具体的に言うとエンタとかだな」
 言うな。
「深夜にやってるようなマニア向けなのはあまりよくない。ま、似たようなことばっかやってるお笑い番組よりそっちの方が面白いのは確かだが」
 面白い番組じゃダメなのか?
「ああいうお笑い番組はどっちかってーと男向けなんだよ。シュールな笑いってのは女には理解できねえんだ」
 今、人類の半数を敵に回したような気がする。そうでなかったとしても、こいつの声はでかいから教室にいる女子生徒に反感を持たれたのは間違いない。
「中にはわかってる女だっているぜ。でもな、ナンパでほいほいついてくるような女にそれが理解できると思うか? ああいう女ってのは、今流行ってるギャグをやってやればすぐにやらせてくれるもんなんだよ」
 こいつの言う「モテたい」というのは性行為をしたいということに他ならないらしい。害虫に向けられるような視線がこちらを見ているような気がするが、あくまで俺は話を聞いているだけだということはわかっていただきたいものだ。同意してるわけじゃない。
「今だったら海パンを履いてそんなの関係ねぇとか言ってるだけで十分だ」
 ちょっと古くないか?


 しかし、古いも新しいもテレビを見ていない環境では関係ない。長門の部屋には未だテレビというものが存在していないからな。趣味は読書だし、どうしても見たくなった時は同じマンションにある朝倉の部屋に転がり込むか俺の家まで来ればいいだけのことだ。それだって滅多にあることじゃない。
 だったら、長門の目にはあのギャグはどう映るのだろう。テレビで何度も繰り返されてもはやすべり芸がメインになってしまった芸人は数多くいるが、最初に見た時から面白くなかったわけではない。ブームになる一発芸とは、少なくとも最初に見た一回は度肝を抜かれたり笑ってしまったものだ。特に谷口が言っていた海パンの芸人だって悪くない。あいつも完全に間違ったことを言っているわけじゃない。
 果たして、長門はそれで笑ってくれるだろうか。長く一緒にいる俺ですら長門の表情が変わるのは見たことが皆無だ。もしそれで長門の笑顔を見ることができるかも知れないなら、挑戦してみる価値はある。
 わざわざそのためにあの海パンを買う必要はない。長門は恐らくそのその芸人自体を知らないと予想されるわけだから、他の衣装でも問題はない。BGMも必要ないはずだ。


 試す機会は意外と早く訪れた。いつものように一緒に食事をしようと部室に行った時、長門はまだ来ていなかった。俺が到着した時点で待っていることの多い長門だが、こういうことが全くないというわけではない。
 それでもやはりこういうことは少ないので、やはりこれはやってみるべきだろう。
 こんな時期に海パンを用意しているはずもない。俺は制服を脱ぐと、トランクス一丁で椅子に座る。
 寒い、いや尻が冷たい……いやその両方だ。
 だがこれも長門を笑わせるため。恐らく長門は俺の格好を見て度肝を抜かれるだろう。そして、俺が一言ギャグをやってやればいい。長門がそれで笑うかは微妙なところだが、驚いた表情は期待できる。
 それにしても寒い。温かくなり始めたと言っても、パンツ一丁でいるにはまだ早い。まあ寝室などでは下着類を身に付けないこともあるが、そう言う場合は部屋の温度を上げているものである。
 しばらく待つと、がちゃりとドアが開く。
「……」
 長門は俺をちらりと一瞥すると、すぐに目をそらしてしまった。笑いをこらえている様子もないし、驚いているようにも見えない。
 あまりの無反応っぷりに、俺はオーシャンなんとかを略した例の言葉を口にすることはできなかった。長門は微妙に俺から目をそらしながらも正面に座る。
「先に食事を」
 いたたまれなくなり制服を身につけていると、長門がそう言った。
「先に?」
「そう」
 先、とはどういうことだ。
「わたしは空腹。あなたの性欲を解消するには相応のエネルギーが必要」
 いや、トランクス一丁で待機していたのはそう言う意図があったわけじゃないんだが……まあいいか。