今日の長門有希SS

 四コマ漫画は新聞のテレビ欄の裏に必ずと言っていいほど配置されているもので、誰もが一度は目にしたことがあるはずだ。四つのコマで一つのエピソードが語られるのだが、それはいわゆる起承転結という言葉で表される。
 起は物語の始まり。大抵の四コマ漫画ではこれを見るだけで物語の状況がわかるようになっている。登場人物は誰なのか、場所はどこなのか、そう言った情報が最初に述べられる。
 承は起から転へ繋ぐための部分。転で話を一度ひっくり返さねばならないのだが、起から突然ではなく徐々にそこへ進めていくために必要だ。
 転は先に述べたように、物語の転換点である。それまで語られた状況が一転し、何かが起きるのはここになる。ある意味、物語の中で最も重要なポイントになるのがこの部分だと言えるだろう。
 そして結がある。文字通りそれは結末で、転で起きたことによってどのように話が展開したのかが描かれる。
 しかしながら、最近の四コマ漫画はこのような流れになっていないこともある。新聞などではなく、雑誌の場合では一本の漫画でストーリーが完結しないこともあり、そう言った場合はいくつかの四コマ漫画が組合わさって一つの物語になる。場合によってはその回に掲載された全てを合わせて一つの話になることもあるだろう。
 そう言った場合、それぞれの話に転換点はなくても、一つの流れの中のどこかにはあるだろう。
 さて、起承転結があるのはもちろん四コマ漫画に限らない。四コマ漫画ではない小説はもちろん、長編小説に短編小説、映画やドラマやアニメなどの映像作品、そう言ったあらゆる物語に起承転結の要素が含まれているだろう。
 特にそれが顕著なのはミステリーやサスペンスなどだ。この二つは混同されることも多いが、実は明確な違いがある。ミステリーは真相が明かされるのが結末に近い部分であり、読者は視聴者にはその結末を予想する楽しみが与えられる。犯人を推理する作品などが典型的な例だろう。
 サスペンスはそれとは違い、最初から真相や犯人が明らかにされており、こちらでは真相を推理するという楽しみはない。だが、それがどのように発覚するか、またはそれがどのようにして起きるかなどを楽しむものである。
 ともかく、どちらにも共通しているのは転の部分が重要であるということだろう。ミステリーやサスペンスは大抵において予想を覆すような部分があり、これが転である。
 だから、推理モノで最初から怪しい奴が犯人であることはあまりなく、大抵は意外な奴が犯人になるものだ。なぜなら、本当に怪しい奴が犯人というのはあまりにも予想通りで面白くないからだ。
 例えば、物語の冒頭で殺人事件があったとして、その傍らに血の付いたナイフを持った男が立っていたらどうだろう。まあ作品においてその男は最初から犯人扱いを受けるが、普通はそいつの他に真犯人がどこかにいるものだ。仮にその男が本当に犯人であるとしたらあまりにも面白みに欠けるだろう?


 つまり、俺が言いたいのはこういうことだ。ズボンを脱いでエロ本を読んでいたからと言って、必ずしもいかがわしいことをしようとしていたとは――なに「そのまま続けて」だって? いや、確かにそれも悪くはないが、俺はまずこの状況が誤解だとわかってもらわないと――