今日の長門有希SS

 ストーリーに起伏のある物語は少なくない。小説や映画、あらゆる創作物にはどこかしら山場があるものだ。ピンチになった主人公が間一髪で逆転する……と言った流れは使い古された陳腐なものだが、未だに使われているのはそれが効果的だからだろう。
 ポイントはその落差だ。陥ったピンチが深刻であればあるほど、その後に訪れる爽快感が一層強くなる。もちろんその逆も然り。有頂天から一気に不幸のどん底に落とされるのもよくあることだ。
 そう、よくあることなのだ。
「……」
「……」
 外に出た俺たちが目にしたのは激しく降り注ぐ雨。映画は面白かったし飯は美味かった。だが、頭から冷水をぶっかけられたような気分になってしまった。いや、まだ外に出ていないから濡れちゃいないんだが、楽しい気分に水を差されたような気になったのは事実だ。
「さて、どうするかね」
 問題は自転車でここに来てしまったことだ。多少の雨なら濡れながらでも帰ることはできるが、多少の雨ではないのでなるべくならばそれは回避したいところだ。傘を差して乗るのは危険な上に完全に雨をしのげるわけでもないし、しかもコンビニなどで買わなければならない。
 自転車を諦めて電車を使えば楽に帰ることはできるが、後日また自転車を取りに来なければならないのが面倒だ。
「雨を防ぐ方法がある」
「本当か?」
 長門はごそごそと何かを取り出す。
「それは何だ?」
「これをポケットに入れると、半径二メートルの範囲でシールドを張ることができる。それで雨を防ぐことが可能」
 確かにそうすれば水が体に触れることはない。だが、そんな広い範囲で水を弾いていたら見かけた奴に怪しまれるんじゃないだろうか。
「……」
「いや、別に長門のアイディアが悪いって言ってるわけじゃないぞ。ただ、怪しまれないようにはできないのか?」
「可能。範囲を狭めればいい」
「そうか。それじゃあ頼む」
 この雨の中で自転車に乗っている時点で怪しまれるかも知れないが、それはそれだ。
 俺たちは自転車を停めたところまで行き、急いでペダルを踏む。いつものように長門が俺の背中にしがみついてきて、俺たちは自転車で風を切る。
 確かに長門の言うとおり、俺の体に雨が当たることはない。体の表面近くまで来て、弾かれるように体の横を滑る。これならば長門がおかしな技術を用いて雨を防いでいるなどとは誰も思うまい。
 十分ほどだろうか。時計は確認していないが体感的にはそんなもんだ。既に通い慣れた長門のマンションに到着し、俺たちは自転車を降りた。
「な――」
 そこで俺はようやく気が付いた。
 長門に渡された道具を持っていたのは俺だ。確認するのを忘れてしまっていた。
「なんでだよ!」
 長門の体はぐっしょりと雨で濡れている。
 それを渡して長門は大丈夫なのか、と俺は聞かねばならなかったのだ。
「怪しまれないようにするには範囲を狭めなければいけなかった」
 二メートルならば、長門も含めてすっぽりと覆っていたはずだ。長門にそうさせたのは俺だ。
「早く入るぞ。風邪を引いちまう」
 有無を言わせず長門の手を引く。自転車に鍵をかけ忘れたことに気が付いたのはエレベーターに乗ってからだが、そんなことは後でもいい。
「体温はあまり低下していない。すぐに着替えれば風邪を引く可能性は低い」
「寒いのは確かだろ? それに、可能性が低くても体を壊すかも知れないなら、さっさと温めないと……」
「それなら、あなたが温めて」


 部屋のドアを閉めた直後、俺は自分の服が濡れることなど気にせず、長門の体を抱きしめた。