今日の長門有希SS
ここのところすっかり忘れていたが、世界はハルヒの認識一つでひっくり返っちまうほど脆いものである。不思議なものを求めちゃいるが、実際にそれが「ある」ことを認識してしまうとそれがありふれた物になってしまうと言う厄介な性質があり、主に古泉はそう言ったことを避けるために尽力している。
だから、鞄の中に朝倉が入っているなんて絶対に知られるわけにはいかない。俺を抹殺しようと飛び回っている様子はもちろん見せられないし、仮に運良く眠っていたとしても寝返りをする可能性があるだけでなく呼吸を止めるわけにはいかない。まあ、何にせよ見られてしまえばおしまいということだ。
「キョン、どうしたのよ。この鞄に心当たりでもあるの?」
「いや、それは……」
この場合、どう返すべきだろう。仮に俺の物だと言い張ったとすれば、そのまま持ち去ることは……難しいな。怪しまれればエロ本でも持ってきたのではないかとしつこく追求されるような気がしないでもない。
「中に名前のわかる物が入ってないかしら」
「待て!」
「なによ」
鞄に手をかけたままハルヒはじっとりとした視線を俺に向けている。
「ええとだな、不用意に開けるのはまずくないか?」
「危険な物でも入ってるっての?」
「そう……そうだな、下手に鞄を開けると何かが起きるかも知れないだろ?」
「何かって何よ」
「例えば、ええと……爆発物が入っていたらどうする?」
「爆発物? ふうん、面白そうね。だったら確認して――」
「いや、開けた瞬間にドカンといくタイプだったらどうする?」
「じゃあ、どうすんのよ。このまま爆弾処理班にでも引き渡す?」
普通なら俺たちが通報しても警察が相手にするとは思えないが、それがハルヒならば話は別だ。本当に警察に渡す必要があるとハルヒが思ってしまえば警察が来ることになり、朝倉の入った鞄を持って行かれてしまう。今の朝倉は生まれたばかりの赤ん坊に見えなくもないので、誘拐事件と勘違いされて騒動になることが予想される。
「いや……例えば、それをそこに置いたまま犯人を特定するのはどうだ?」
「犯人? あたしたちを恨んでる奴に心当たりがあるっての?」
恨んでいそうな奴なら腐るほどいるが、ここに爆弾を仕掛けるほど根性のある奴はいないだろう。
「爆弾に詳しそうな奴って言えば……コンピ研……」
いやちょっと待て、あいつらは確かにパソコンには詳しいだろうが爆弾は別物だろ。それに、そもそもこの中身が爆弾だと決まったわけじゃない。
「あんたが爆弾の可能性があるって言ったんでしょ? だったら、隣が犯人だって可能性があってもおかしくないわ」
その理屈はおかしい。
「じゃあちょっと、隣に行って問いただしてくるわ」
と言うとハルヒはドアを開けて飛び出して行った。
こうなったハルヒを止めることは俺にはできない。お隣さんには気の毒だが、ハルヒがあちらさんに乗り込んでいるうちがチャンスだ。すぐに無関係だとわかって戻ってくるだろうが、それまでにこの鞄を持って立ち去れば一安心だ。後から何を言われるかわかったものじゃないが、今この中身を見られてしまうよりはましだ。
さて、そうと決まれば善は急げだ。今のうちに――
がちゃり。
「コンピ研じゃなかったわ」
「早かったな」
「部長がいたから締め上げて聞いてきたのよ……で、あんたはその鞄を持って何やってんの?」
「ああ、もし時限式の爆弾だったらここに置いておくのも危ないかと思ってな」
「怪しいわね……あんた、もしかしてその中身に心当たりあるんじゃないの?」
「い、いや……そんなことは……」
「渡しなさい!」
言うや否やハルヒが飛びかかってくる。ハルヒに取られまいと鞄を後ろに回そうとして、手からするりと抜けた。
「あ」
どさり、と鞄が床に落ちた。
「……」
「……」
絡み合ったまま制止する俺たち。床に落ちた鞄は、じわりと赤く染まっていく。
こんな状況になれば中身だって起きているはずだが、それでもぴくりともしないのはおかしい。普段とは違って小さくなっている朝倉なら、大怪我をしていても――
「あ、あさく――」
がちゃり。
「お邪魔するよーっ。季節はずれのスイカをもらってさっ、一回ここに来てから包丁取りに行くために置いといたんだけど――おおっと、落としちゃったのかいっ!? まあ、割れても食べられるから大丈夫さっ」
「スイカ?」
「そうにょろっ、ほらねっ」
落ちていた鞄のジッパーを開けると、中には確かにスイカが入っていた。落としたせいでひびが入っているが間違いなくスイカだ。
じゃあ、朝倉はどこへ?
「……」
鶴屋さんの向こうに長門が立っているのが見えた。その手には鞄がある。
俺やハルヒが来る前、鶴屋さんが来た時にいて一緒に包丁を取りに行ったのだろうか。何も言わずじっとこちらを見ている。
「どうした?」
「それはわたしも聞きたい。一体、何を?」
何を、って……
改めて俺たちの状況を省みる。床に転がった俺と、その上にまたがるハルヒ。しかもハルヒは俺の腰のあたりに座っており、スカートがうまいこと腰のあたりを隠している。
つまり、これはいわゆる騎乗位のような体勢であり……
「も、もしかしてあたしたちはお邪魔だったのかいっ」
顔をほんのりと浅く染める鶴屋さんの向こう側、表情のないはずの長門が憤怒の形相に見えたような気がした。