今日の長門有希SS

 一般的な高校生の恋愛とは果たしてどのようなものだろうか。
 健全な、と付けばかなり控えめな関係となるだろう。手を握るだけで満足するだとか、一緒に帰宅するとか。まあ、健康的な高校生であればそれなりに性的欲求は持っているものであり、むしろそれ以上進展しない方が不健全であると言えなくもない。
 問題はどの段階で関係を深めていくかだ。いくらお互いに大人の関係を望むからと言っても、出会ってすぐそのような関係に至るのはあまり一般的ではない。まあ、世の中にはそのような者も確実に存在し、若者の性の乱れが云々と声高に叫ぶ自称識者も存在するのだが、それらはマイノリティとしておこう。
 さて、関係を深めていく場合、最初に行うのは唇と唇との接触。いわゆるキスである。
「普通の高校生なら、キスは三回目のデートの別れ際が鉄板なんだよ!」
 今日も今日とて教室の片隅で谷口が熱弁する。最初は声をひそめていたのだが、語り続けるうちヒートアップした谷口の声は徐々に大きくなっており、しかも間の悪いことになんとなく教室が静かになっていたタイミングだったから、それは教室全体に響き渡ってしまった。
 結果、女子生徒たちの一部はうんざりしたような表情をこちらに向けたり、太い眉の間にシワを寄せる者もいたり、はたまた興味津々で注目する者もいたり……まあ、何にせよ注目されていることに間違いはない。
「師匠、キスはどこまでやってもいいんですか?」
 取り巻きの一人が手を挙げて質問を投げかける。彼は俺たちのクラスメイトで、名前は……まあ、いい。とにかく彼は谷口を師匠と呼ぶ者の一人であり……ああ、彼のように谷口を慕う者は意外と多く、それらは他のクラスにも数名いる。谷口はそれらの者に対し、ナンパ方法やモテ方など男子の気になることを指南している。あたかもそれは独演会のようなものであり、今回は教室内なので人数も少なく控えめであるが、廊下に人だかりができていて何かと思ったら中心に座っていたのが谷口だったこともある。
 ともかく、そんな谷口を師と仰ぐ者の一人に問いかけられた谷口は、芝居がかかった仕草で腕を組み難しい顔をする。
「そいつは難しい質問だな。その場の雰囲気、としか言えないが……その日のデートの質にもよるだろう。仮にお前が女だとして、盛り上がらなかったデートの後に舌を入れられたらどんな気分だ? 逆に、盛り上がっていい雰囲気になったら、舌を入れたくなるだろう? そういうことだ」
「わかりました、師匠。今度の土曜日が三回目のデートなんで、決めてきます!」
「……そうか」
 谷口の弟子の中には、あまり長続きする者は少ないのだが、彼のように実際に交際に至る者も存在する。そんな報告を受けた時、師匠である谷口は目を細めどこか遠くに視線を向ける。そんな姿を見た弟子たちは「彼女ができただけではまだまだだ。精進していい仲になるんだぞ」と言われているように感じ、なおさら谷口に対する畏敬の念を深めるわけだ。
 なお、谷口にも既に彼女がいるらしいのだが、弟子たちにもその姿を見せたことはない。谷口の現在の彼女には諸説あり、本人が具体的なことを語らないので推測によるものだが、一番有力な説はこうだ。
 谷口の交際する彼女は非常に美人で性格もよく非の打ち所のない女の子なのだが、谷口はその彼女に対し容姿などではなく内面に惚れて大事にしたいと思っている。彼女を見せびらかすことが自慢になると考える師匠は、あたかも自分に彼女がいないかのように振る舞っているのだ。だから、あれだけナンパをしても彼女ができないというのは、実はあれはナンパをしているポーズを他人に見せているだけであって、少しでも相手が乗り気になると事情を説明して丁重に断るのだそうだ。中には「今の彼女と別れたらわたしと付き合って欲しい」と懇願する者もいるらしいが、それでも谷口は今の彼女と別れようとしないらしい。
 と、そのような人格者であると言われているため、谷口の弟子は日々増え続けているということだが、俺にはよくわからない。確かに、谷口と話していると加わってくる者は多いし、その顔は流動的であるから、友人が少なくないのは確かだろう。
「なあ、ところで気になってるんだが」
「どうした、キョン
「デートをする前にキスをしちゃ駄目なのか?」


「何を言ってるんだお前、少なくとも三回はデートしてからだ。いきなりキスを要求するほどガツガツしてるとすぐに嫌われちまうぜ――だとさ」
 昼休み、いつもの部室。テーブルを挟んだ位置で黙々と弁当を口に運んでいる長門に、授業の合間の話をしていた。
「デート、その後だったよな」
「……」
 淡々と箸を動かしながら少しだけ首を曲げる。
 俺たちは、付き合い始めたその日にいきなりキスやらその先に至ってしまったので、付き合ってからデートというものをしたのはそれより後の話になる。
 師匠によるとすぐに嫌われてしまうそうだが、今のところ俺も長門も相手に対し不満はないはずだ。
「すぐに別れてないよな、俺たち」
「……」
 再び長門の視線がわずかに下を向いてからまた戻る。
 さて、長門と交際を始めて果たしてどれくらいの時間が過ぎただろうか。まるで生まれた時から交際していたんじゃないかというほどこれが当たり前のことになっているので、もはや思い出すことすらできない。
「いいのかねえ、これで」
「別にいい」
 長門は手を止め、俺の顔を見上げる。
「普通の高校生である必要はない」
 そうか。
 まあ、普通じゃないしな。そもそもSOS団にいる常人は俺だけだ。
「あなたも普通ではない方がいい?」
 さあどうだろうな。一人だけ仲間外れになってる現状より、全員が普通じゃないってのも悪くないかもな。
「それならいい案がある」
 表情は変わらないものの、長門は楽しそうに俺を見る。
「在学中にパパになれば普通ではなくなる」
 ちょっと待て。
「あなたが許可すればすぐにでも」


 昼休みが終わるまで、やめてもらうように説得することになった。