今日の長門有希SS

 朝、清々しく目覚められる高校生は果たして全国でどれくらいいるだろうか。
 一般的な高校生にとって夜更かしは魅力的なものである。バラエティー番組、深夜ラジオ、若者向けの娯楽は夜中に集中している。まあそれらは文明の利器を活用し録画や録音することで後日堪能することもできるのだが、最初だけなどと手を付けたのが運の尽き、気が付けば終了時間まで視聴してしまう。
 そして、あまり一般的とは言えない俺にとって夜更かしは一般的な高校生に比べて更に魅力的である。テレビやラジオのない環境では起きている意味などないように思われるかも知れないが、それを補ってあまりあるのが長門の存在だ。健康的な男子となれば精力旺盛であるのが当然だろう。健康的な女子である長門も俺以上に精力旺盛であり、お互いに精力旺盛であるが故に夜の過ごし方は決まっている。
 とまあ、そんなわけであるからあまり寝起きがいいとは言えない。深夜まで思う存分に体力を消費して眠り、目覚めた時には多少の疲れが残っているものだ。更に高校のある坂の上までは強制ハイキングコースが待っており、憂鬱にもなるだろう。
 だからと言って俺たち高校生には休むことが許されない。特にSOS団に所属する俺は多少の体調不良では欠席することができない。軽い風邪程度で休んだことを知ればハルヒがなんて言うかわからない。


「ふう」
 校門に辿り着いて息を吐く。振り返ると小さくなった町並みが見え、登ってきた距離を思い出してどっと疲れが増す。上から見下ろすと登校中の奴らがまるでゲームに登場するゾンビの集団のように見えるが、やはり皆疲れているのだろう。
 玄関をくぐり教室に入ると見慣れた後ろ姿が目に入った。ハルヒを覆うように立っているのは委員長でナイフマニアで宇宙人の作ったヒューマノイドインターフェースであるところの朝倉涼子だ。
 元々はハルヒに対して観測するという目的を持っていた朝倉だが、今となっては個人的興味だけで交友関係を結んでいる。ハルヒの中でSOS団の次くらいに近いポジションを勝ち取った朝倉は始業前や授業の合間などにハルヒや俺の机のあたりにいることが多い。
 また余計なことを話しているんじゃないかと思いながら近づいていくと、予想に反して余計なことを話している様子はなかった。というより、何も話していなかった。
「あ、キョンくん」
 気配を感じたらしく声をかける前に振り返った朝倉の手には棒状の何かがあった。俺の視線に気づいた朝倉はさっとそれを隠す。
「何やってんだお前は」
「あ、涼宮さんが寝てるから静かにね」
 そちらに視線を向けるとハルヒは机に突っ伏してぐーすかと居眠りをしている。疲れている俺としては夢の中にいて現在進行形で体力を回復しているハルヒが非常に羨ましく思えて鞄を机の横に引っかけて即座に同じ行動に移りたいところだが、気になる点を解決しなければ眠ることはできないだろう。
「何を隠したんだ?」
「え? 何のこと?」
 朝倉の右手はあからさまに背中の後ろに回っている。
「ちょっと見せろ」
「あんっ、ダメよキョンくん。みんな見てる」
 手を伸ばしただけなのだが、その言葉に周囲を見回すとこちらに視線が集中しているのがわかった。ハルヒと違い朝倉の本性はこの教室ではあまり知れ渡っておらず、まるで俺が朝倉にいけないことをしているかのような印象を与えているであろうことがこちらを向く奴らの表情からうかがえる。
 どう弁解したものかと戸惑っていると予鈴がなった。俺たちを見ていた奴らも慌ただしく自分の席に戻り授業の準備を始めるので、それどころではなくなっているようだ。
「じゃあね」
 俺の手に何かを握らせてから、朝倉はひらひらと手を振って席に戻っていく。引き留めることもできずに見送ってから手の中にあったものを確認すると、それは一本のサインペンだった。
キョン、何持ってんのよ」
 うっすらと目を開けたハルヒが睨むように俺の顔を見上げていた。
「これは朝倉がだな――」
「涼子? 何言ってんのよ。あんた、まさかあたしの顔にイタズラ描きしたんじゃないでしょうね」
 仮にハルヒの顔に何かが描かれていたとしても、犯人は恐らく俺になってしまうだろう。現在サインペンが俺の手にあるという状況証拠と、ハルヒのなんとなくという判断でそうなることは明確だ。
「いや、何も描かれてない」
 ハルヒの顔にはそれらしきものは見えない。まぶたに目が描かれたりしてもいないし、眉毛が繋がってもいない。
「まあいいわ、体育の時に起こして」
 どうやら授業をまともに聞くつもりはないようだ。再び眠りに落ちるハルヒに溜息をつきながら、最初の授業の準備をする。


 体育の授業は隣のクラスとの合同になっている。ハルヒを起こし体操着入れを持って教室を出たところで長門に出会った。
「眠いのか?」
「……」
 ミリ単位で首を動かす。今、俺の質問に長門が肯定したことも、そもそも長門が眠そうにしていることも、他の奴にはわからないだろう。朝倉はともかく、ハルヒだってそれに気が付くかどうかは微妙なラインだ。
「あなたもそう見える」
「そうか」
 俺も長門も同じ理由である。
「気を付けて」
「ああ」
 朝から寝ていて体力の回復しているであろうハルヒ、そもそもポテンシャルが常人とは違う長門とは違って俺は一般人である上に消耗している。油断をすると怪我をするかも知れないな。
「ありがとな、体育が始まったら気を引き締める」
「そうではない」
「ん?」
「今」
 何のことなのかと首を傾げた直後、教室の中から「キョン!」とけたたましい叫び声が聞こえる。こんな声を発する奴を俺は一人しか知らない。
「なんてことするのよ!」
 教室の入り口を壊しそうな勢いで登場したのは、片手にブルマをひっつかみ鬼のような形相で俺を睨むハルヒだ。
「どうした」
「どうしたもこうしたもないでしょ! あんた、あ、あたしの、あたしのっ!」
 俺はブルマに何かした覚えはない。
「これは関係ないわよ!」
 じゃあなんで持っているかというと、恐らくそれには意味がないのだろう。火事になって貴重品ではなく枕を持って逃げ出した話を聞いたことがある。冗談かも知れないが。
「ここよ!」
 言うとハルヒは己のスカートに手をかけて持ち上げる。
「って、何をしてるんだお前は!」
 そんなことをしたら下着が丸見えになってしまう。果たしてこれは端から見ると一体どんな状況に見えるのだろうか。怒鳴りつけた女がスカートを持ち上げて下着を見せる? 痴話喧嘩以外の何物でもない。
 だがしかし、ハルヒの手は下着が見えるか見えないかのところで止まる。絶妙な高さだ。今のこのハルヒの姿を象形文字にするなら誘惑という意味になるだろう。
「あんたでしょ、これ」
 ハルヒはスカートを持ったまま器用に太股の一点を指差す。かろうじて下着にかかっていないそこにはナイフがあった。
 いや、そこにあるとしか思えないほど精巧に描かれたナイフの絵。妙に立体感がある。
「何であたしをトリックアートで峰不二子にしてんのよ」
 峰不二子とは上手く言ったものだ。座布団を与えてもいい。
「感心してんじゃないわよ!」


 ハルヒの誤解が解けるのは、体育が終わって皆が帰ってきたころだった。