今日の長門有希SS

 人が本を買う場合、最初から決めていた商品を買う場合と、その場で気になって買ってしまう場合がある。平積みにされたり、表紙が見える状態で棚に置かれているのは後者の売れ方を促進するためであり、特に雑誌などはそのような陳列方法が多い。特に週刊誌などは購買意欲を煽るような見出しが表紙に書かれているものが多く、これは完全に衝動的に買わせることを目的としているからだろう。その逆に、漫画や小説などは背表紙しか見えない状態で陳列されている物が大半なのは、こちらが雑誌などに比べて前者の売れ方が見込めるためである。
 もちろん、漫画や小説などでも表紙が見える状態で陳列されていることがある。漫画の単行本の場合は人気のある最新刊が平積みされていることが多いが、テレビドラマやアニメ化した作品の場合でもそのような状況がある。その他にも店員がその作品を個人的に好きだったり店の方針だったりと理由は様々だとは思うが、誰かが売りたいと思った作品がそのように陳列されるのだろう。
 そして俺はそんな店の戦略にまんまとはまり、紙袋を抱えて書店を出る。集めている漫画の最新刊もあるのだが、たまたま店内をうろついている時に表紙に目を引かれてしまったせいだ。他に買う物が無ければそのまま素通りしてしまったかも知れないが、既に一冊買うことが決定しているわけだし、ついでという意識が働いたのだろう。
 家に帰る道すがら、なんとなく長門の蔵書を思い出す。部室に、長門の部屋に、入りきらない分は朝倉の部屋にと分散されているが、絵のない硬派なSF小説が多い。もちろんそれだけではないのだが、長門が表紙に釣られて本を買うことはあまりないだろうなと予測できる。もしかしたら、文字だけの本でも表紙のデザインが……いや、恐らくそれはないだろうな。
 長門のことを考えていたせいだろうか、俺は歩いている人混みの中に長門の後ろ姿が見えたような気がした。しかし視線を移動していた最中に視界をよぎっただけでなので、すぐにそれを見失ってしまう。長門に似た人物がいたのか、はたまた単なる見間違えなのか、それを確認するため長門に似た誰かを探す。
 本棚の背表紙や、新聞の広告欄などを眺めている時、このような状態になることがないだろうか。妙な言葉を見つけたと思った瞬間には既に別の場所を見ており、その言葉がどこにあったのか視線を戻して探すことになる。実際は見間違えである場合が多いのだが、一度目についてしまうと探さないと気になって仕方がないものである。
 しばらくして、長門によく似た後ろ姿を見つける。その髪型も、身長も、制服姿も……どう見てもそれは本人だ。
「よう」
 足早に近づき、長門の肩にぽんと手を置く。俺にとっても長門とこんなところで遭遇したのは意外だったが、長門にとってもそうらしい。
「……」
 振り返った俺はしばらく黙って俺の顔を見つめてから、ゆっくりと俺の手にある紙袋に視線を移し、それからまた俺の顔に戻した。
「本?」
「ああ」
 長門はまた黙って俺の顔を見つめる。
 別に危険なことはないだろうが、ここは道の真ん中であり、通行の妨げになっているかも知れない。そう思って道の端に移動するため手を引こうと思ったのだが、俺の手はするりと空を切った。
 長門は何も言わず歩き出していた。俺に背を向け、どことなく不機嫌そうに。
「どうした?」
 駆け寄った俺の顔をちらりと見てから、再び視線を前に戻す。
「……」
 やはり機嫌があまりよろしくないらしい。
 誘わなかったことを怒っているのだろうか。俺たちは交際していると言ってももちろんプライベートな時間などはあるが、それでも「本屋に行くのなら」と長門は思っているのだろう。
「悪かった。一緒にいる時に買うと気まずい本だったんだ」
 ぴたりと長門の足が止まった。
「……」
 長門は幾分か驚いたような視線を俺に向けている。
「性的なもの?」
「そうだ」
 こんな時は正直に言ってしまったほうがいいだろう。長門に対して妙なごまかしは通用しないのだから。
「そう」
 再び歩き出した長門に続く。それからは普段通りの雰囲気になり、いつものようにどうでもいいことを話しながら歩いていた。事情をわかってくれたのか、本についてはそれから話題に上ることはなかった。
「じゃあ」
 分かれ道。俺の家と長門のマンションへは、ここが分岐点となっている。手を上げて俺は自分の家に向かおうとして、
「……」
 無言で上着を引っ張る長門に引き留められた。
「部屋に寄って」
 時間的に余裕があって問題はないのだが、それにしても唐突だな。
「どうした?」
「それ」
 俺自身、存在を忘れかけていた紙袋を長門は指さした。
「あなたがどのような性的嗜好を持つのか改めて確認したい」
 それだったら、別に俺がいなくてもいいような気がするのだが。
「どの場面で性的興奮を感じるのか知る必要がある。だから」
 長門はじっと俺の顔を見つめる。
「わたしの目の前で読んで」