今日の長門有希SS

 登校して教室に入ったところで、不機嫌そうなハルヒを目にするのはよくあることだ。入学当初に比べるとクラスの中でも談笑する相手が増えその頻度は減ったのだが、あからさまに不機嫌オーラを放っていることがたまにある。現在のハルヒがまさにそのような状況で、恐らくそのためにクラスの女子も話しかけるのをためらっているのだろう。
 触らぬ神にたたり無し、と昔の人はうまいことを言ったものだ。ごく一部で神扱いされているハルヒもその例に漏れず、余計な刺激は与えないほうがいい。機嫌のいい時だって妙な提案を突然持ち出すこともあるのだから、機嫌の悪いときは尚更である。
 と、瞬時に状況を分析し、機嫌をこれ以上こじらせないよう静かに席に座ったのだが、
キョン
 当の本人から話しかけられて思惑が外れてしまった。
「なんかあったのか」
「携帯を忘れたのよ」
 そんなことか、と溜息が漏れる。
「別に授業中に使えるわけじゃないし、大して困ることもないだろ」
「いつ何時、SOS団に助けを求めて連絡してくる人がいるかわからないじゃない!」
 今までもそんな頻繁にあったわけじゃないのだから、たまたま今日その依頼がやってくる可能性は果てしなく低いだろう。
「それだけじゃないわ。ほら、あれよ、UFOとか見つけた時に写真を撮れなかったら困るじゃない」
 それも滅多にあることではない。今までお前は何か奇妙なものを目撃して写真に納めてきたのか。
「もし今日、携帯が無いのにすっごいシャッターチャンスがあったとしたら、一生後悔するわ」
 まあ確かに、ハルヒの気持ちもわからないことはない。たまたま携帯を家に忘れたときに限って、急を要する電話が来ていたこともある。
 ただ、極めて確率が低いことなので心配する必要などないと思うのだが、ハルヒにとってはそうではないのだろう。
「あーもう、携帯取りに帰ろうかしら」
「そこまでしなくていいだろ」
 今から戻ったら一時間目の授業には間に合わない。まあハルヒにとっては授業を一回休むのは大したことじゃないかも知れないが、その理由が携帯を取りに帰るためとは少々もったいなくはないだろうか。
「……」
 ハルヒは俺の言葉に口を尖らせ、うんうんとうなっている。
「ま、いいわ」
 ぷいと顔を窓の方に向ける。これで打ち切り、ということだろう。
 ハルヒの機嫌とは裏腹に雲一つ無い青空。俺はそんな窓の外を眺めながら、UFOがいたとしても今だけは飛んでくれるなよと祈った。


 結局朝からずっと機嫌のよろしくなかったハルヒだが、昼休みになると教室を飛び出し足音を鳴らして廊下を駆けて行った。いつものように食堂に向かったのだろう。早く行かなければ席が無くなると聞いたことがあるような気がする。
 それから少し遅れ、騒がしくなったところで俺は弁当を持って教室を出る。以前一緒に弁当を食っていた谷口や国木田もそんな俺に気にした様子はない。
 もはや、これはいつものことになっていた。長門と飯を食うと知っているのはクラスに誰も……いや、一人だけいるが、そのことを吹聴して回るような危険性はない。
 長門と一緒に昼を過ごすのは日課となっている。放課後も長門の部屋で過ごすことは多いのだが、それよりもこっちのほうが多いだろう。何しろテスト期間以外で学校に来ている時は必ず昼食を必要としているのだから。
「……」
 部室のドアを開けると長門の視線が俺を迎えた。本を閉じて待っていたのは、いつもより少々遅くなって待ちわびていたのだろうか。
「すぐにお茶を」
 長門がお茶を用意し、食事開始。
 しばらくは二人して黙々と箸を動かしていたのだが、ふと思い出したことを口にする。
「UFOっているのか?」
「……」
 いささか唐突だったかも知れない。宇宙人関係の話題なら知り合いの中で長門が一番強いかと思って聞いてみたのだが、さすがに質問の意図がわからないようだ。
 俺が今朝の出来事を説明するのを最後まで聞いてから、長門は箸を止めた。
「UFOとは未確認飛行物体を意味している。仮に飛行機でも、確認ができなければUFOになる」
 いや、そういう問題じゃないんだが。まあ長門たちなら別に空飛ぶ円盤に乗らなくても地球にやってくるかも知れないな。
「そういう問題」
 長門は箸を止めたまま俺の顔を見つめている。
涼宮ハルヒが確認できなければ、飛行機が未確認飛行物体になる可能性は否定できない」
 やれやれ、相変わらず厄介な話だ。携帯を忘れて写真を撮れない時にUFOが出たら困ると言っていたからそう望んじゃいないだろうが、万が一……などと考えると恐ろしい想像になる。
 俺にはどうしようもないので、頭を抱えるだけだ。
「ところで、長門は携帯とか忘れても大丈夫なのか?」
 そもそも忘れることがなさそうだが、仮に忘れたとしても何か他の技術で対応できるかも知れない。
「少しだけ困る。あなたやあなたの家族や他の団員からの連絡が受けられない」
 極めて限られた範囲でしか使用していないようだ。SOS団よりも俺の家族の優先順位が高いってのはちょっと照れくさいな。
「ただ、緊急の場合には他の伝達方法もある」
「どうするんだ?」
「対象の鼓膜を直接振動させ、声を相手に届ける」
 確かに長門なら可能かも知れない。
「うまく左右の鼓膜の振動を調整すれば立体音響も可能」
 そりゃすごいな。
「携帯電話の電波を受信することも不可能ではない」
 それは一体どうやるんだ?
「……」
 長門は自分の携帯をポケットから取り出して俺の目の前で電源を切って見せた。
「かけてみて」
 通常ならば、電波の届かないところにあるとかアナウンスが入る状態だ。発信履歴から長門の番号を探し、発信ボタンを押す。
 受話器から聞こえるぷつぷつと発信音の後、
「とぅるるるる……とぅるるるる……」
 長門の口から着メロらしきものが聞こえた。俺のほうからも発信中の音が聞こえているので、このまま長門が着信したら会話が成立するのだろう。
 その光景を想像すると少し微妙なので、俺は長門が電話を取る前に発信を切った。
「まあ……電話は出来るかも知れないが、さすがに写真の代わりはないよな」
「わたしにとって覚えておきたいものは、この目で心に焼き付ける」
 長門はじっとこちらを見つめ、
「例えば、あなたの表情全て」
 照れくさいながらも、それなら俺も携帯で写真を撮る必要はないなと思った。


 ちなみにその放課後、部室にデジカメがあったことを思い出して機嫌を直したハルヒがデジカメをいじくり回していたのだが、それはまた別の話。