今日の長門有希SS
赤く染まり静まりかえった校舎。もはや人の気配は無い。この校内で活動している者はもうほとんどいないだろう。
聞こえるのはリノリウムの床を踏みしめ駆ける足音だけ。その音の発信源は俺の靴だ。
そう、俺は目的地を目指して駆けていた。そこへ行くことを示唆する手紙は、先ほど俺の靴箱で発見したものだ。
もっとも、こんな手紙など必要なかったかも知れない。しかし俺はそこに手紙があることを予感し、そしてそれは思った通りに実行されていた。これは俺たちにとって、一つの儀式のようなものだ。
誰もいなくなったら一年六組の教室に来て。
教室を開けると、そこには予想通りの人物が立っていた。
「今回はあまり遅くなかったね」
真っ赤な世界にぽつんと立っているそいつは、朝倉涼子に他ならない。
「入ったら?」
促され、真っ赤な世界へ踏み出す。
「どうしてなんだ?」
ノリ悪いね、と朝倉は笑う。さすがにそこまで付き合ってやれるような状況じゃないさ。
「説明しろ、朝倉」
窓からの光を受けて、朝倉が無邪気に笑う。その顔は、日だまりの中でまどろむ赤子のように無垢なもの。窓の外の、あの青い空の下で見るのが相応しい表情だ。
「キョンくん、わたしだけがいればいい、って思ってくれるよね」
こんな風に、赤く染まってしまった世界の中には相応しくない顔。いや、このような陰惨な世界の中で見るからこそ、その笑みは普段以上に美しく見えるのだろうか。
「だからね、みんな刺しちゃった。必要ないから」
救いは、ここに来るまでに俺が見た限りでは、全ての者が一撃で葬られていることだろう。朝倉はサディスティックな欲求によりこれを起こしたのではなく、ただ単純に生命活動を止めるためにこうしたのだ。だからこそ、刺された者は恐らく、苦しむこともなく一瞬で絶命した。朝倉ならそれが不可能ではない。
「ハルヒはどうした?」
「どうだったかな、忘れちゃった。いっぱい刺したから」
朝倉が生み出される原因を生んだ観察対象だったはずの相手に対して、それはあまりに無関心。しかしながら、朝倉ならば、と納得する俺がいた。
「朝比奈さんはどうした?」
「ごめん、誰だっけ」
悪気のなさそうな声に、俺は怒りすらわき上がることはなかった。
「じゃあ、長門はどうした? お前はあいつのバックアップだったんだろう?」
「ちょっとだけ苦労したよ」
ふうと息を吐く。
「でもキョンくんはたぶんちょっと誤解してる。バックアップって、性能が悪いとは限らないよね。実はわたしのほうが性能が長門さんよりずっと性能がよかったの」
しかし、あの時は長門が勝利したはずだ。
「だって、あれは演技だもん。泣いた赤鬼。あの話を元にしたお芝居」
朝倉は笑う。
「だから、本当はわたしのほうがけっこう強いの。でも長門さんはしぶとくて、切っても切っても反撃してくるから」
心底疲れたような顔で教室を見回す。
「長門はどこに行ったんだ」
「目の前。天井、壁、床……もちろんキョンくんの足下にも」
朝倉の発する言葉の意味を理解しても、俺の心はそれほど反応をしなかった。
それほどまでに、心の中の何かを感じる部分が既に死んでいる。
「一体、何がお前をそうさせたんだ?」
朝倉は、こう答えた。
「朝倉涼子オンリー」
妙な言葉が俺の耳に届いた。
「わたしだけ、ってことだよね」
だから刺したの、みんな刺したの。
「もう一つだけ教えてくれ」
「なに?」
そこで俺は、聞きたくはないが、どうしても聞かねばならないことを口にする。
「喜緑さんはどうした?」
それは俺の最愛の人の名。朝倉や長門と同類で、それなりの能力を有していると思ったが。
「ああ、それは買いかぶりすぎだよ。穏健派のインターフェースは特別な能力を持ってなくて、ほとんど人間と変わらない。だから、簡単だったよ」
「あ――」
刹那、死んでいたはずの感情に血が通う。怒り、悲しみ、絶望、それら負の感情を混ぜ合わせた何かが、俺の中で炎となる。
「あ、あア――」
稲妻が走る。比喩表現ではない、事実として落雷があった。さらに――そんな雷鳴すらも圧するほどの猛々しい咆哮。
「
「ところで喜緑さん、先ほどから何をやっているんですか?」
ある休日、自分の部屋では集中できないからとノートパソコンを持ってきて一心不乱に何事か打ち込んでいた先輩に声をかける。
「大したものじゃありませんよ」
人畜無害そうに笑うが、わかったものではない。
「あなたには関係あることです。気にしないでください」
「します」
しかしながらそれ以上追求することも出来ず、その日、喜緑さんは夜まで居座ってパソコンに何事か打ち込みながら夕飯まで食い、帰っていくのだった。