今日の長門有希SS

 6/156/16の続きです。


 トイレの方から戻る途中、先ほどのテーブルに人数が増えているのが見えた。連絡してまだそれほど時間は経っていない。恐らくこの近くに待機していたのだろう。
「状況はわかっています」
 久しぶりに見た古泉はやはり営業スマイルでそう言った。高校生の頃に比べるとそれなりに年を食ってはいるが、雰囲気は当時とほとんど変わっていない。
「お前も長門から聞いたのか?」
「いえ……わかってしまう、としか説明できないのですが……」
 そういや、出会った頃にもそんなことを聞いたような記憶があるな。
「知ってたなら早く教えてくれてもいいじゃないか」
「機関の者の中でもわかる者とそうでない者がおりまして、見解が少々分かれていたのです。今日、長門さんから連絡があってそれが正しかったのだと確信できました」
 長年の役割から解放されてほっとしているかと思いきや、古泉の表情はそれほど晴れやかでもなかった。
「嬉しくないのか?」
「そのはずなのですが、長く所属してきた機関が解散になると考えると、自分自身の感情がいまいち整理できません」
 こいつは高校に入る前から例の青い奴と戦ってきたんだったか。一生の半分に近い時間をそうやって過ごして、明日からそれが無くなると言われても確かに複雑だろうな。
「あたしは少し前から知っていたけど、禁則事項に該当するから誰にも言えなかったんです」
 こちらは古泉とは対照的にすっかり変わっていた。俺がかつて高校生だった頃に出会った未来の姿に近い。
 未来に帰るのだと思っていたのは俺だけで、遠くに行くと言っていたのは事実であり、ただ単に県外の大学に通っていただけだった。卒業式の様子で二度と会えないと思っていたのに、次に会ったのはその年のゴールデンウィークのことでそれから夏休みや冬休みのたびにこちらに顔を出してくれた。
 ちなみに最初に再会した時、まるで幽霊でも見たかのような反応をして、ハルヒを訝しがらせたりもした。浮気相手に久々に会ったような反応だ、と妙な勘ぐりをされたのも今となっては笑い話だ。
ハルヒの能力がなくなったらどうなるんですか?」
「あたしはこのままこの時代に留まります。TPDDの存在が消える訳じゃありませんから、必要に応じて帰ることも可能です」
 となると、俺が高校の時に会ったのは未来ではなくこの時代から来ていたってことなんだろうか。どちらもあの時点の俺にとって未来には変わりないのだが、少しだけ詐欺っぽく感じなくもない。
キョンくんはどうなんですか?」
 ハルヒの能力が無くなったら、か。
「別に変わりませんよ」
 今の俺にとってはハルヒの能力の有無なんてどうでもいいことだ。ハルヒが何者であろうと、愛すべき妻であることは揺るぎない事実だ。
 まあ、思い通りにならないことが増えて今まで以上に怒りっぽくなるかも知れないが、その時は俺がなんとかしてやりゃいい。
 長門が消滅することだけが問題だが、俺たちにはどうすることもできない。
 だから俺たちは敢えてその件には触れず、今までの思い出話をすることにした。主にハルヒのことだ。SOS団をやっていた当時はことあるごとに妙な事件が起きて、そのたびに俺たちがハルヒに気づかれぬように奮闘した。中には、長門が一人で解決していたため、今の今まで俺たちが知らなかった事件もあった。
 何も起きないこともあった。ハルヒが企画したイベントで、何かあるんじゃないかと警戒していたが、結局のところ何も起きなかった。気を張らないで楽しめば良かったと後から後悔した。
 それら全てが楽しい思い出だ。俺だけじゃなくて、他の三人も同じような心境だろう。まあ、その当時はハルヒをはり倒してやろうと思ったことは一度や二度じゃないが、後になると苦労しただけの価値はあったと思える。
 考えてみるとハルヒだけ除け者になっていた面もある。本人に知られちゃいけないから仕方ないんだが、まあ、今際の際にでも教えてやろうかね。
 ふと、長門が窓の外を見ていることに気が付いた。昼間からこの店にいたのだ、外はもう夕暮れ時になっていた。
 別れの時が近い。誰も口には出さないが、なんとなくみんな言葉少なくなっていた。
 そんな頃だった。
「わたしは幸せだった」
 ぽつり、と長門が呟いた。あまり大きな声ではなかったはずだが、その言葉ははっきりと俺の耳に届いた。
「他のインターフェースと比べ、わたしは波乱の時間を過ごした。苦労したことは少なくない。でも、それは有意義なものだった」
 こんなに饒舌に話す長門を見たのは久しぶりだ。二人とも面食らったようだったが、口を挟むことなく長門の言葉に耳を傾ける。
 長門は、ゆっくりと自分がいかに恵まれていたのかを語り続ける。助けられていたのは、どちらかというと俺たちの方だったのに。
「みんなのおかげ」
 最後に、長門はそう言った。未練はないと言っていた長門だったが、俺には無表情のはずの長門が泣いているように見えた。
 それから、しばらく俺たちは言葉を発することが出来なかった。当の本人は顔を伏せてしまっている。
 こんな時、沈黙を破れるような奴を、俺は一人しか知らない。
キョン、帰りが遅いと思ったらあたしに黙って楽しそうなことやってんじゃない」
 そう、こんな風に空気も読まず発言できるのは、ハルヒくらいのもんだ。結婚してからもたびたびこいつには苦労をさせられて来たのだが……
「って、どうしてお前がここにいるんだよ」
「あんたがどこにいるかなんてお見通しよ」
 などと言いながら、俺を押しつけるようにして無理矢理椅子に座る。
 一度、俺の体に発信器が仕込まれてないか調べた方がいいかも知れないな。心当たりがありすぎる。
「この店も懐かしいわね。最後に来たのはいつだったかしら」
 二年の時の卒業式だ。さっき長門に聞いたから間違いない。
「覚えてるわよ……だって、キョンが告白してくれた記念すべき日じゃないの」
 そう言ってハルヒは、少しだけ照れくさそうにはにかむ。いや、お前にそこで照れられると俺の方が恥ずかしいんだけどな。
「SOS団か……楽しかったわ」
 それについては否定しない。苦労も多かったが、俺たちだってそれなりに楽しんではいたからな。
「そうだ」
 遠くを見るような目をしていたハルヒだったが、不意にその目に光が宿る。何か思いついた時の顔だ。大体の場合において、俺たちに苦労を強いることになるのだが、俺は今回ばかりはそうならないと予感していた。
「みんな、大学出て何年か経ってるんだし、生活も安定してるわよね? だから、SOS団を再結成するわ!」
 店の中で大声を出すな。当時なら店員も慣れていたかも知れないが、今はお前のことを知らないやつばかりなんだぜ。
 てか、再結成だと?
「そうよ。あんただって最初は家に仕事持って帰ったりしてたけど、最近じゃ休みはゴロゴロしてることも増えたじゃない」
 そりゃ否定しないけどな。
「古泉くんたちだってそうでしょ? ま、流石に毎週とは言わないけど、月に一回はみんなでスケジュール合わせてここに集まるわよ。団長のあたしが決めたんだから、絶対に守ること! 一人でも来れなかったら罰を与えるわ、キョンに」
 俺かよ。
 てか、これはどういうことだ? 話の展開が急すぎて付いていけないのだが……
「みんなでおじいさんおばあさんになるまで続けるわよ。てか、なんで今まで思いつかなかったのかしら。逆にそっちの方が不思議だわ」
 ハルヒには願いを叶える力があって、それは今日で消滅するはずだ。
「ちょっと待て、それは長門もか?」
「当たり前じゃない、全員そろってSOS団なんだから。あんた、有希だけ仲間はずれにする気?」
 それならば、これはギリギリセーフなんだろう。これから月一回集まった時、そこに長門の姿が当然のようにあるはずだ。
 他の誰でもない、ハルヒが決めたからそうなってしまう。長門の作り主だってひっくり返すことは出来ない。
 ハルヒが叶えた最後の願い。それは、俺たちの願いでもあった。
キョン、ヘラヘラしてるけどわかってんの? その時も飲食費はあんたの小遣いから出すのよ」
 それくらい大丈夫だ。お前から支給される必要最低限の小遣いでなんとかしてやろう。
「ま、有希もそろそろいい人探した方がいいかも知れないけどさ、月イチくらいなら大丈夫でしょ? ……って、どうしたの、有希!?」
 ハルヒにつられて顔を向けると、テーブルにぽたりぽたりと水滴が落ちていた。うつむいた長門の瞳から流れるそれは、俺が、いや、俺たちが初めて見る長門の涙だった。
「ごめん、あたしなにか悪いこと言った? 気に障ったなら謝るけど……」
「違う」
 狼狽するハルヒに対し、長門は首を振って否定する。
 そして、顔を上げた長門は、涙をぬぐうことなく、
「ありがとう」
 と、ハルヒに向かって微笑んだ。