今日の長門有希SS

 長門と二人で出かける機会は多い。集団下校の後にこっそり合流して長門のマンションに向かうこともあれば、はたまたその途中でスーパーに寄って買い物をすることもあるし、まあそんな理由がなくてもなんとなくブラブラと散歩をすることもある。
 だから、今だってそれほど特別な事情があるわけではない。買う物が多いからいつものスーパーではなく少し離れた大きな店まで行くだけだ。まあ近所の店でも揃わないこともないのだが、やはり値段の安さは魅力である。
 遠いので最初は自転車で行こうとも思ったが天気がよかったので歩いて向かうことにした。たまには散歩も悪くないだろう。
 しばらく歩いていたところで草の匂いが鼻についた。道の脇にある草の生い茂った空き地で、特に管理されているわけでもなさそうだ。
「何かあった?」
 長門が俺の顔を不思議そうに見上げている。
「いや、別に何もないんだけどな。なんとなく草の匂いが気になっただけだ」
「確かに少々強い」
 クンクンと鼻を動かす。長門ならその濃度などを正確に数値で表現できるかも知れないが、まあどうでもいいことだ。
「こういうところにはバッタがいたりしてな、子供の頃は捕まえたりもしたもんだ」
「そう」
 ほんの少し、長門が寂しそうな顔をしたような気がした。
 長門には子供だったという経験がない。最初からこのままの姿で生み出され、ずっとあの部屋にいたのだ。
「ちょっと探してみるか?」
 だから、なんとなく俺は長門と一緒にその経験をしてみたいと思った。いい年してこんなところで遊ぶのも少々照れくさいが、他人の目を気にしていてはそもそもSOS団などという集団ではやっていけない。それに、ここはそれほど人通りが多いわけでもない。
 長門の手を引いて草むらに足を踏み入れた。実際に足を踏み入れると匂いがいっそう強い。踏みつぶした草からも匂いが出ているのだろう。
「いた」
 足下から数匹のバッタが放射状に跳んだのを見て長門が声を出す。
「今逃げたのは四匹」
 一瞬だったので俺はそこまでわからなかったのだが、まあ長門ならそれもわかるのだろう。もしかするとどこに行ったかまで目で追うことが出来るのかも知れない。
「捕まえてみるか?」
「……」
 長門はじっと草の中に視線を送りながら無言で首を縦に振る。そっと足を踏み出すが、足下の草がガサリと鳴ってまた跳んでしまう。
「……」
 長門が首を回して俺の方に振り返る。残念そうな顔だ。
「ちょっと待ってろ」
 俺は少し後ろに戻ってから、右の方から大きく回って長門の方に近づいていく。ガサガサと音が鳴り、バッタが飛び跳ねるが気にしない。いや、むしろ大きく音が出るように意図している。
 俺の考えていることがわかっているのだろう。長門は腰を落として俺の足下から逃げるバッタを目で追っている。
「……」
 そのうちの一匹が長門の近くに着地する。それを確認してから長門は頭を上げて俺の方に顔を向ける。
 許可を求めるような顔をしている長門に、俺は小さく頷く。長門は再び視線を落としてから素早く手を動かした。
「どうだ?」
「……」
 近づいていくと長門はお椀のようにした右手を地面にかぶせていた。
「くすぐったい」
 バッタが手の中で逃げようとしているのだろう。
「掴んだ方がいいんじゃないか?」
 長門はゆっくりと左手をその下に入れて、かぶせていた手を外すと指の間に細長い緑色のバッタがいた。ショウリョウバッタってやつだったか。
「捕まえた」
「そうだな」
 長門はじっと見つめている。恐らく、長門にとってはこのようなことは初めてだろう。
「……」
 しばらくそれを見つめてから長門はバッタを地面に放した。バッタはすぐに草の中に跳んでいって、見えなくなった。
「楽しかったか?」
「楽しい」
 長門は俺の顔を見上げる。
「もう一回」


 それからそこで三十分ほど過ごし、気づいた頃には草の汁でズボンなどが汚れてしまっていた。本来の目的の買い物もしないで帰ったのは仕方のないことである。