穴埋め小説「ムービーパラダイス」63

「あれ、あれ?」
 指がすり抜ける。あれほど慣れていたはずなのに、俺はまた物体に触ることができなくなっていた。
「どうかしたのかね?」
「どうもしていないナリ! もう帰ってくれナリ!」
 臨の質問は俺に対するものなのだが、岡田君は自分に対するものだと思っているらしい。俺の声が岡田君には聞こえないわけだから、そう思うのは仕方がないが。
 ともかく、状況は良くない。岡田君はかなりイライラとしており、放っておけば日本刀だ。
 まあ、怪しい教祖の一人や二人死んでも悪いことは何もなく、むしろ社会の為には良いという功利主義的にとっては素晴らしい事なのだが、岡田君に人殺しになられると困る。俺達の評判が。
「くそ――」
 どうにかしなければならない。しかしながら、俺は硬貨を動かすことができないのだった。焦れば焦るほど、俺の意識が指に集中してしまう。
 それでは駄目なのだ。何の気なく、硬貨に触れなくてはならない。それこそ、それが当然であるかのように、あたかもジャージでコンビニに出かけるような心境で触れなくてはならないのだ。意識を他に集中させるのは難しい。
 例えば指の方向を定め、手を動かす段になってからよそ見をしてみるというのはどうか。
「……だめか」
 失敗。指は通り過ぎていた。
「焦るな、先ほどはできていただろう」
 臨の声。
「貴様にはアラーの神がついている」
 ついていない。
「いい加減にするナリよ!」
 ついに岡田君がキレた。玄関の隅に置かれた傘立てから桐の棒を取り出すと、左腰に構えた。ちなみに傘立てには日本刀しか入っていないのだから、正確には日本刀立てと言うべきだったか。
 岡田君は左手で棒の中間部分を握り締め、右手で端の方を持つ。そして、ゆっくりと腰を落とした。
 居合――
 いや、岡田君は居合いはそれほど得意ではないはずだ。岡田君が得意なのは、鞘を滑らせて加速した刀身で相手に斬りつける居合いではなく、上段構えからの斬撃であったはずだが。
 しかし、居合いもできるのは事実のはずだ。俺が居合いの達人を知っているから岡田君に居合いのイメージがないだけで、岡田君自体はあらゆる剣術が可能であるのだ。
 それはそうと、臨の生命がピンチだった。ついでに言うと、俺達の未来もピンチであるのだが。
 じりじりと扉に近寄る岡田君。放っておけば、このまま扉ごと臨の首が真っ二つになりそうだ。
「くそ――」
 最後のチャンス。これで失敗したら岡田君は斬りつけてしまうだろう。
 しかし、心を落ち着けて、俺は指を硬貨にそえる。こうなったら覚悟を決めよう、深呼吸して、指を――
「ご、ご主人様!」
 刹那、さくらの声がかかる。今までその存在を忘れていたのは、硬貨に集中していた事と、臨のインパクトの強さによるものだろう。
「さく――」
 目を上げて、その光景に絶句する。
「み、見て下さい……」
 何事か秘め事が行われたかのような、ぐしゃぐしゃに着くずれた着物。涙目の貌。そして、足下にぽたぽたと――
「――――」
 俺はもはや無言だった。自分の顔に狂気じみた笑みが浮かんでいるのがわかる。それはどんな顔か、そう、立馬国造に一杯食わせた時の、浜岡先生の様な笑顔である。


 そんな事があったら、もちろん、自分が何をしているわけか忘れるわけで――


「Oh! Horrorナリ!」
 岡田君が絶叫する。目線の先には俺の指、そして、ずるずると地面を動くドル硬貨があるのだった。