穴埋め小説「ムービーパラダイス」36

 まずは空気椅子をし、自分の前方で肩くらいの高さに両手を伸ばす。そして、両手を軽く握りこむようにする。
 非常に辛い姿勢だが、しばらくはこのままの体勢でコントをしなければならない。いや、コントではなく人物模倣だが。
 ひとまず、宣言しようか。
タクシードライバー
 この場合、既に客が乗っているシチュエーションよりは、途中で客が乗ってくるというシチュエーションの方が面白くしやすいだろう。
 そんなわけで、俺はまず客が入ってくる場面から始めることにした。
 ちらりと左斜め前方を見、ああ、と何かを見つけたような表情を浮かべる。ギアチェンジをする俺=尾形。サイドブレーキを引き、後部座席のドアを開けるボタンを押す。
「お客さん、どちらまで?」
 ハンドルを握ったまま、斜め後方を見る俺=尾形。小さくうなづき、小声で相づちを打つ。
「はい、わかりました」
 前を向き、左手でギアを一速に入れる俺=尾形。アクセルをゆっくりと踏み込む。
 ゆっくりと動き出すタクシーが俺には感じられた。他の人間には見えないかも知れないが、俺には静かな滑り出しで動き出すタクシーが見える。
 ギアを徐々にあげて行き、しばらく走行してトップギアになる。速度はおよそ60キロメートル。
 しばらく走行すると、先の方に渋滞が見えてくる。
「あ……渋滞してますね、お客さん。どうしますか?」
 ミラー越しに客の表情をうかがう尾形。全てがのんびりとした動作で、急いでいる客ならば苛立つような雰囲気である。
「ああ、大丈夫ですよ。裏道を通れば大丈夫ですから……」
 と言って尾形がハンドルを切ると、車は左の小道に入っていく。しかしその小道の先も車が連なっており、渋滞から脱出したとは言えない。
「安心して下さい、他にも道はありますから」
 と、タクシーは更に細かい路地に入り込む。この道はかなり狭く、対向車とすれ違うのが困難であるほどだ。
 客は急いでいるというのに、この状況で対向車が来たら大変な事になる。ああそれなのに、見よ、タクシーの前方からは道を塞ぐほどの大きさの外車が向かって来るではないか。
 タクシーは路肩に停車し、前方から来る対向車を待つ。双方が譲らなければかえって時間がかかるだろうという考えだ。だがその対向車を見よ。向かってくる事は無く、対向車も同様に路肩に止めているではないか。
 しばらくして対向車が進み、のろのろとタクシーの横を抜けていった。運転手が片手をあげて感謝の意を示したりなんかするが、それがかえって客の神経を逆なでする。


 その情景はどうやら俺にしか見えていないようだが、とりあえず俺は気にしないで続ける事にした。