穴埋め小説「ムービーパラダイス」02

 店の中は思ったより広かった。ビデオがぎっしりと入ったラックがすれ違うのも難しいような狭い間隔で並べられているのを想像したが、棚はかなり幅広い間隔で設置されている。大型チェーンのビデオ屋よりも余裕があるかも知れない。
 その分、収容できる数が減ると思うが。実際、棚に置いてあるのは比較的有名な名作ばかりで、これでは尾崎の求める映画があるとは思えない。
 カツ、カツ……
 店の奥から足音が近づいて来る。いや、靴音とは少し違う気がする。あの音は……
「お客さんかね?」
 店の奥から現れたのは、銀色の杖をついた黒人の男だった。コートを着た大柄な男で、髪型はぼさぼさだ。
 男は険しい表情を浮かべていたが、岡田君に気づいたのか表情を少しゆるめた。
「君か……そちらの方々はお仲間かね?」
「ははは、違うナリよイライジャ。普通の友達ナリ」
「そうか。私はまた、君の同士を連れ来たのかと思ったが……では、今日はどんなご用件かね? 展覧会まではまだ日があるが……」
「用があるのは拙者の友達ナリ」
「ふむ……どなたかね?」
 イライジャはじろりと俺達を見回す。
「俺さ」
 なんとなく話しかけづらい雰囲気をかもし出すイライジャに対し、尾崎は平然と名乗り上げる。
「俺が求めるのは昨日の深夜に放送されたアタック・オブ・ザ・キラー・トマトって映画よ。ここにアレがあるのかい?」
「1980年アメリカ、ジョン・デ・ベロ製作、監督、脚本――」
 イライジャは全く変わらぬ表情のまま、まるで何かを読むかのように映画の情報をすらすらと語りだす。
「主演――デビッド・ミラー、シャロン・テイラー、ジョージ・ウィルソン――このデビッド・ミラーは――」
 まるで機械のようによどみなく同じ調子で言葉を続けるイライジャに、俺は恐怖に似た感情を覚えた。
「ああ、それだ。あるのかい?」
「映像は単なる娯楽作品ではない。完全なフィクションは存在せず、多かれ少なかれ事実が含まれる」
 尾崎の質問には答えず、妙な事を口走るイライジャ。
「だったら、キラー・トマトも実話だってのかい?」
「全てが実話ではない。しかし、誇張はされているが、全ての映像は実際に誰かが体験した事が元になっている。私は体が弱く楽しみは映像だけだった。映像を研究しているうち、それがわかったのだ」
 淡々と奇妙な事を語るイライジャだが、あまりにも真剣な目をしており、口を挟めるような雰囲気ではない。
 俺は確信した。彼はホンモノだ。
「一理あるかも知れぬな」
 意外にも、安藤が同調した。
「世の中には調教の成果を信じぬ者がいるが、それは間違いだ。全ての雌は最終的に快楽には勝てぬ。それを、それを――愚民共がっ!」
 吐き捨てるように叫ぶ安藤に、イライジャは小さく頷く。
「君は、多少は世界の在りようを理解しているようだな」
「うむ」
 ホンモノ同士、何か感じ入るところがあったのだろうか。
「それはそうと、この者の望むキラー・トマトとやらはここにあるのかね?」
「映像媒体として公開されたもので、ここに無い映像は無い」
「ほう、それは興味深い」
 安藤の目がすっと細まった。
「本当にどのような映像でもあるのかね」
「一般に公開されたものならばな」
「なるほど――それならば、機会があったら利用させて頂こう」
 安藤は喉の奥でくくっと笑う。
 一体どんな事で利用する気なのやら……
「では、キラー・トマトを出そう。少々待っていたまえ」
 イライジャはゆっくりと振り返り、杖の音を響かせて店の奥に消えていく。
「しかし岡田君……本当に期待していいのか?」
「大丈夫ナリよ。イライジャを信用するナリ。もし無かったら拙者が切腹してお詫びしてもいいナリよ!」
 いや、切腹されても困るが。
「岡田君がそこまで言うなら大丈夫かも知れねぇな」
「安心するナリ。何しろ、ここにはあの伝説の聖少――」
「お待たせした。こちらの作品で間違いないかね?」
 イライジャの手には、いかにもB級映画といった雰囲気のパッケージが握られていた。
「ああ、そいつよ。本当にあるとは驚きだぜ」
 今まで半信半疑だった尾崎が、心底感心したように目を輝かせる。
「頼む、レンタルさせてくれや。会員証を作るには生徒手帳でいいのかい?」
「会員証はいらない。彼の友人ならば問題ないだろう」
 そこまでイライジャに信頼されている岡田君って一体……?
「世の中には映像を玩具と勘違いしているものがいるが、君達は映像が芸術であると理解しているようだ」
 別に少しもそう言うわけではないのだが、そう思っているのならそう思っていてもらう方が良いかも知れない。
「君は何か欲しい映像は無いのかね?」
「俺?」
 いきなり指名され、戸惑ってしまう。
「どんな映像でもある、って……見逃したテレビなんかもあるのか?」
「もちろんだ」
 それは……実はかなり凄い事じゃないか?
「今は特にないけど……もし何かあったら来てもいいか?」
「うむ」
「では、今日はこれで失礼するナリ。拙者はまた明日にでも来るナリ」
 毎日来てるのか。
「また来たまえ……ところで、君達は今まで学校を何日病欠したかね?」
 なんだ、その質問は?
「数えた事は無いけど……そんなに休んでいる方ではないな」
「我輩も病欠は少ない。年に一度あるか無いかだな」
 安藤の場合さぼりが多い気がする。と言っても、書類上は出席扱いになっている不思議なさぼりだが。
「俺も体は丈夫だけどな、入院で休んだ事があるぜ」
 ああ……そう言えばあったな、尾崎は事故で痔になった事が……
 あまり思い出したくない事だが。
「そうか。論理的欠陥その1――」
 俺達は何やら妙な事を呟くイライジャを無視するように、ムーパライスを後にした。