穴埋め小説「ムービーパラダイス」01

 教室へ入ると、尾崎が落ち込んでいた。それはもうひどい落ち込みようで、顔をしかめて微動だにせず座っている。
「どうした?」
 後ろから話しかけると、尾崎は妙に緩慢な動きで俺の方に振り返る。
「ああ、聞いてくれよ……昨日の事なんだが――」
「どうしたナリか?」
 尾崎が話を始めようとした時、岡田君が会話に加わってきた。
「朝から落ち込んでいたら良いSchool Lifeが営めないナリよ」
「そうだな……確かに岡田君の言う通りかも知れねぇ。これくらいの事で落ち込んでる場合じゃねえな。一杯食わされたってもんよ」
 その言葉は微妙に用法が違う気がする。
「目が覚めたぜ、ありがとうよ」
「No Problemナリ」
 岡田君がびしっと指を立てたところで、予鈴が鳴った。
「それじゃあ、今日も楽しく過ごそうナリ!」
 妙な言葉で締められて微妙な気分になりつつも、自分の席に戻っていった。


 昼食の時間。
 隣のクラスからやってきた安藤も加わって、いつものように四人で昼食を食べる事になった。いない人の机を適当にくっつけて四人分の席を確保している。
 俺と尾崎は購買で買ってきたパンを食い、岡田君と安藤は弁当を食べている。岡田君の弁当はにぎりめしを何かの植物の皮で包んだ侍っぽいもので、安藤のは普通の弁当だ。
 一人暮らしをしていて自分で料理をするような性格では無い安藤だが、毎日きちんと弁当を持ってきているのが非常に謎である。
「そう言えば尾崎、朝は何を落ち込んでいたんだ?」
「昨日、ちょっとな……いや、大したことじゃねぇんだが……」
「なんだ、その歯に物が挟まったような物言いは!」
 安藤が箸の先をびしりと尾崎に向ける。声を荒げたせいか他のクラスメートがちらりとこちらを見たが、声の主が安藤だと悟ってまた普段通りに戻る。
「我輩が気になるから語れ。調教でもあるまいし、焦らす必要はあるまい」
 ちなみに安藤は、普通に高校に通ってはいるが自称『調教師』だ。
「本当に大した事じゃないぜ。それでもいいのか?」
「語れ」
 単刀直入に言う安藤に、尾崎は苦笑した。
「ああ…昨日の事なんだけどよ、ちょっとした失敗をしちまったんだ」
「失敗ナリか?」
「そうさ、失敗だ。つっても大した事じゃねぇ、誰でもよくやるような、ちょっとした失敗よ」
「前置きが長い、さっさと本題を話さぬか」
「ああ、そうだな。すまねぇ」
 安藤に叱責され、尾崎はようやく本題に入る。
「昨日の深夜、テレビでやっていた映画を見逃したのよ」
「テレビ?」
 全員が怪訝な表情で尾崎に注目する。
「ああ、そうよ。映画を見逃しちまっただけだ」
「そんな事で、あんなに落ち込んでいたのか?」
「そんな事っつってもなぁ、昔の映画だから普通のビデオ屋にゃ置いてねぇんだよ。録画してる奴も滅多にいねぇだろうし、絶望的な状況ってわけよ」
「ふむ……確かにそれは大問題だな」
 予想に反して安藤は尾崎の話に同意したようだ。そんな下らぬ事、とか切り捨てるかと思ったが。
「初物の間にしか愉しめぬプレイというものもある。散らしてしまった後にやり残しに気づいた時の心境、それはもう――」
 目を閉じ、安藤は沈痛な面もちで顔を左右に振る。眼鏡の奥の目が本当に切なそうだ。
「そう言う事だな、尾崎」
「ああ、そうかも知れねぇな。俺ぁ調教の事は良く知らねぇが、そんなモンだろ」
 妙なところで通じ合ったらしく、安藤と尾崎は小さく頷きあう。
「尾崎……そんな事で落ち込んでいたナリか?」
 それまで静観していた岡田君が、少し前に俺がしたのとほぼ同じ質問を繰り返す。
「そんな事っつってもなぁ、昔の映画だから普通のビデオ屋にゃ置いてねぇんだよ。録画してる奴も滅多にいねぇだろうし、絶望的な状況ってわけよ」
 ループしてるし。
「確かにそうナリ」
 こくこくと頷く岡田君。
「確かに普通のビデオ屋には無いナリが、拙者はありそうな場所を知っているナリ」
「え――なんだって?」
 尾崎が身を乗り出した。
「ありそうな場所を知ってるって?」
「そうナリ。ムービーパラダイスなら、きっとあるナリ」
「ムービーパラダイスって……あの黄色い看板の?」
「そうそう、あれナリよ」
 その店とは、通学路の途中にある小さなセルビデオ屋の事だ。昔からある潰れかけたような小さなビデオ屋で、とても入る気が起きないような小汚い店だ。
「あんな店に……?」
「あんな店とは失礼ナリ。実際に入ってみれば、ムパラの良さがわかるナリよ!」
 岡田君は妙に熱心な口調で主張する。ムパラとは、恐らくムービーパラダイスの略称なのだろう。そんな略称がすんなり出てくるほど、岡田君はムービーパラダイスを利用しているのだろうか。
「その話が本当だっつーなら、帰りにでも寄って帰らねぇとな」
「ふむ、あそこがそんな店だったとはな……掘り出し物があるかも知れぬな」
 安藤もムービーパラダイスに興味を持ったようだ。
「それでは帰りとは言わず、今から行ってみるか」
「今から?」
「うむ、どうせ午後は体育だから出る必要はなかろう。このまま帰っても問題あるまい」
 安藤と俺達のクラスは体育が合同で行われるのだが、今日の午後は一緒に体育の授業となっている。体育は確かに他の授業と違って、授業を休んだところで取り残されたりするような事はない。
「帰るって……拙者は皆勤賞を狙っているナリよ、そんなわけにはいかないナリ」
「それについては問題無い、少し待っておれ」
 と言うと、安藤は丁寧に袋にしまった弁当を持ち、教室を出ていく。
「一体……何が大丈夫なんだ?」
 俺の呟きに、二人は無言で首を傾げる。そのまま気にせず食事を続けていると、ふらりと安藤が戻ってきた。
「今日の体育は自由時間だそうだ。出欠の確認が終わったら帰るから用意しておけ。着替える必要はないので、このまま行くぞ」
 どんな交渉が行われたかは謎だが、どうやら安藤はそのような提案を教師に受け入れさせたらしい。
「それでは、さっさと出欠とらせてムビパラに行くぞ。ぐずぐずするな馬鹿者!」
 安藤が横柄に叫んだ。ムパビラとは、恐らくムービーパラダイスの略称なのだろう。
「今から行くのか? まだ授業には時間あるだろ」
「問題ない。教師は既に待機している」
 どうやら安藤はそこまで承諾させたらしい。底の読めない男だ。


 結局、安藤の言う通りに待機していた教師に出欠の確認をさせた俺達は、連れだってムービーパラダイスに向かう事にした。
「しかし、岡田君はどうしてムビライスなんかに入る気になったんだい?」
 尾崎がニヒルに問う。ムビライスとは、恐らくムービーパラダイスの略称なのだろう。
「どうしても欲しいビデオを求めて、あらゆる店を巡ったナリよ。そして、最後の望みをかけて入ったムパラで、そのビデオを見つけたナリ」
「へえ、見たい映画でもあったの?」
「映画ではないナリよ」
「映画じゃない?」
「そうナリ、拙者が探していたのは映画ではなく小学――」
「見えてきたな」
 安藤がすっと行く手を指さした。
「……やっぱり怪しいな」
 安藤の指の先を見て、俺は思わず呟いてしまった。小さな店の入り口の上に設置された黄色い看板に『ムービーパラダイス』と妙な字体の緑色の文字が印刷されている。入り口の横には黄色い旗が立ち、そちらには『奇跡の店』と緑色の妙な字体の文字が印刷されている。
 しかし、本当にこの配色は何を考えているのだろう。
 しかもこの店は半地下になっており、入り口は下半分が地面の下という仕様だ。入り口の前には短い下りの階段が設置されていて、その奥に上半分が青色のセロファンで覆われたガラス扉がある。
「では入ろうナリ」
 何のためらいも無く、岡田君は階段を下って扉に手をかける。
 カラカラカラ――
 妙に軽快な音を立てて、扉が開いていく。俺にとっては何かを封印した禁断の扉に感じられるものが、岡田君の手によって易々と。
「続こうぜ」
「うむ」
 尾崎と安藤も店の中に入って行ってしまう。俺は少しだけ躊躇したが、中に入ることにした。