今日の長門有希SS

 自転車で風を切って走るのは心地よいが、こう冷え込んでいるとその爽快感も失われる。冷たい空気に触れて指がかじかみ、手袋でもしてくれば良かったと少しだけ後悔する。
 そもそも上着だってこの寒さに耐えるほどではなく、もう少し温かい恰好をしてくるべきだったんだろうが、急いでいたのでそうもいかなかった。いや、別に急ぐ必要はないのかも知れないが、なんとなく、だ。
 チカチカ点滅する街灯の光の下を駆け抜ける。高校生が出歩くには少々遅い時間で、職務質問でも受ければ家に帰される事になるかも知れない。しかし、そんなのは今の俺にはどうでもいい事だ。
 いや、家に帰されると困るのは事実だが、そうはならないだろうなと俺は確信めいた考えを持っていた。
 なぜなら、それを望まないだろうから。


 通い慣れた道を順調に自転車で走り、俺は目的地である長門のマンションへ到着。駐輪所に自転車を停め、我が物顔で中に入って長門の部屋に向かう。
 きっかけは、寝ようと思ってベッドに横になっていた時に長門からかかってきた電話だった。
 長門からの着信と言うことで何か悪いことでも起きたのかと思ったが、実際のところは特に大きなトラブルなどもなかった。
 用件は「話をしたい」というシンプルなもの。実際、携帯越しに三十分ほど雑談をしたが、その他に用事といえるものはなかった。
 普段から話をしていないとか、二人で過ごす時間が無いわけでもなく、いつも通りに過ごしていたつもりだ。しかしながら、長門にとってはそうでなかったのかも知れない、と電話が切れた後で俺は思い――こうして部屋の前までやって来てしまったわけだ。
 しかし、ここまで来て、少しだけやりすぎなのではないかと不安がよぎる。もう日付も跨いでしまって、長門だってそろそろ眠くなっているかも知れない。冷静になると、どんどんと不安が募る。
「何をやっているんだ、俺は」
 これではまるで、ストーカーのようなものではないか。改めて自分の行動を省みて、俺は一つため息をついて、ドアに背を向け、
 カチャリ、と小さな音が響いた。昼間なら気付かなかったかも知れないほど小さな音だが、その音は俺の耳にはっきりと聞こえた。
 そして、僅かに軋むような音が聞こえて、人の気配。その正体は考えるまでもない。
「……どうして?」
 ああ、そりゃ疑問に思うだろうな。どんな顔をしているのか、なんとなく見るのが怖いような気がする。
「いや……えっと、だな……」
 どうしてかと言われると困ってしまう。ここに来た理由は自分でもよくわからないのだが、
「なんとなく、来なきゃいけないような気がしたんだ」
「そう」
「こんな時間に悪かったな。それじゃ、また明日――」
 キイと金属のこすれあう音。続いて、俺の手がきゅっと握りしめられる。
「冷たい」
 寒い中を自転車で来たからな。もっと温かい恰好をして来れば良かったよ。
「上がって」
 長門の手に力がこもる。そうでなかったとしても、長門にそう言われたら断るはずもない。
「わたしも」
 それでようやく振り返って長門の顔を見ると、
「本当は、会いたかった」
 少しだけ、嬉しそうに見えた。