今日の長門有希SS

キョンー、ちょっと見てくれよ」
 ある日の休み時間、ニヤニヤとゆるんだ表情の谷口が俺のところにやって来た。
「ここに、何の変哲もない百円玉があるだろ」
 谷口が手の中に握り込んでいた小銭を取り出し、俺の目の前に突き出す。確かに何の変哲もない。
「これを、こうしてだな……」
 谷口はそれを握り込み、
アジャラモクレン!」
 妙な奇声を発すると、その手を開いた。
「ほら、どうだキョン
 こちらに手を開いて見せると、手の中に入っていたはずの百円玉は消えていた。
 だが、谷口がこちらに向けている手の指は、力が入っているように不自然にピンと突っ張っていた。
「ここだろ?」
 手首をトンと叩くと裏側から百円玉が机に落ちた。
「くそ、なんでわかったんだよ」
 谷口は机に落ちた百円玉を拾うと指に挟んで右手の裏に隠す。
「見えてないよな?」
 まあ百円玉そのものは確かに見えていないのだが、そこまで指が伸びていると何かやっているのはバレバレだ。左手は普通に指の隙間が空いているから不自然すぎる。
「やっぱり向いてないんじゃない?」
 いつの間にか来ていた国木田が苦笑する。確かに谷口には手品のように細かい事は似合わない気がするな。
「そもそも、どうして手品なんだ?」
「ほら、アメリカの有名なマジシャンがいるだろ。カタカナ二文字くらいの」
 海外の番組を特集している番組でよく見かけるが、最近じゃ日本の番組でもよく見かけるようになった奴か。
「あいつ、モテるじゃねえか」
 やれやれ、とため息。谷口は「手品をやったら俺もモテるんじゃないか」などと言いながらひたすら百円玉をいじりまわして練習しているが、あのマジシャンの場合はそもそも顔がいい。俺達一般人とはそもそも資質が違うのだ。お前の場合は手品が出来ても耳が大きくなる芸人くらいの扱いにしかならないと思うが。
 しかし、こいつはどの段階で手品をしようというのか。このクラスでは谷口のキャラは知れ渡っており、手品が出来たからって今からモテ始める事は無いだろう。ナンパが成功して喫茶店にでも連れて行ってから手品を見せるとしても、それでは「なんだコイツ?」と思われて終わりではなかろうか。
 それに、だ。
 教室を見渡すと、谷口が珍妙な呪文を唱えたせいで、遠巻きにこちらを見て苦笑しているクラスメイトが目に入る。あの呪文は、正直ナシだろう。
「国民的な人気のロボット漫画でも使われている由緒正しき呪文でな」
 知らないけどな、俺は。
「あんた達、何やってんの?」
 トイレかどこかから戻ってきたハルヒが眉をひそめている。
「廊下まで谷口の声が聞こえたけど」
 そりゃ、眉をひそめても仕方ないな。
「谷口が手品をしてるんだ。百円玉を消す手品をな」
「ふうん」
 ハルヒが谷口の手から百円玉をひょいっとひったくり、
「こう?」
 次の瞬間にはその手から無くなっていた。
 運動や勉強が出来るのは知っていたが、こいつにはこんな特技もあったのか。谷口よりもテクニックはかなり上だ。
 ハルヒは百円玉を消してしまうと、興味が無くなったように自分の席に座り、窓の外をぼーっと眺めている。
「って、俺の百円どこやったんだよ涼宮!」
「ん? 消したんだから無いわよ」
 などと当然のように言う。
「そんなっ、アレは俺のなけなしの!」
 百円がか。
「うっさいわねえ。ほら、これでいいんでしょ」
 指を弾くようにするとハルヒの手から百円玉が孤を描いて谷口の手の中へ。
「あ、ああ……って、涼宮、お前どうやってるんだ?」
「消して出してるだけよ」
 あくまで当然の事のようにハルヒが言い捨て、再び視線は窓の外。
 ええと、それってもしや――
「ねえキョンくん、ちょっといい?」
 谷口と国木田の間を割るようにして朝倉が入ってきた。顔にはうっすらと困ったような苦笑。
「えっと、ちょっと廊下で、ね」
 俺の手を掴むと、スタスタと廊下に向かう。一体どうしたのかと思ったが、ドアの向こうに長門がスタンバイしているのを見て納得した。
「どうしたんだ?」
 それでも念のために聞いてみると、
「この教室で小規模な情報改変に近い現象が発生したのを観測した」
「隣のクラスの長門さんでも観測できたのね」
「距離は関係ない」
 つまり、ハルヒのやったのはどういう事だったんだ? いや、聞かなくてもだいたいわかるんだが。
「消失と生成」
「涼宮さんは百円玉を本当に消しちゃったのね。そして、また作り出した」
 ハルヒはそんな錬金術みたいな事をやらかしたってわけか。
「地球上の原子数が一時的に減少した」
 いや、それどころの問題じゃなかったのか。ハルヒは科学者が聞いたら卒倒しそうなほど、あらゆる物理法則をねじ曲げてしまったようだ。
「なんでこんな事になったんだ?」
「たぶん、涼宮さんは手品に種があるって思ってないのかも知れないわね。子供の頃にテレビの真似をしてみたら、本当に出来ちゃったとか?」
「あり得る」
 困った話だな、それ。
「大丈夫。涼宮さんは手品に興味がないみたいだから、下手に刺激しなければ大丈夫ね」
「本当か、長門
「そう」
 首を僅かに振る。
「もし興味を示したらどうする?」
「どうにかする」
 長門がそう言ってくれるなら安心だろう。とりあえずは、そんな事が無いように祈ろう。
「そろそろ授業が始まりそうだから戻るか。またな、長門
「そうね」
「また後で」
 ヒラヒラと手を振る長門を残して教室に戻ると、
「ねえキョン。あんた箱に入ってくれない? ノコギリで切るから」
 どうやら、思ったよりも早く困ったことになってしまったようだった。