今日の長門有希SS

「どうしたんだ、電気も付けないで」
 その言葉で、窓際に立っていた長門有希が振り返る。
 窓に片手をつけたまま、首だけを回して。
 一糸纏わぬ姿は、彫像の様に美しい。
「空を、見ていたの」
 と言って再び視線は窓の外。
 横に並んで、肩に腕を回す。
「……」
 ぼんやりと星空を見上げる横顔。その顔からは、感情は読みとれない。
「綺麗だな」
「星も、月も綺麗」
「お前の事だ」
 少しだけ、顔が赤くなった気がする。
 薄暗い中で、そんなのは見えるはずがないと言われたら反論は出来ない。でも、そう思ったんだから仕方がない。
「……」
 ふと、その体が小刻みに震えている事に気が付く。
「怖いのか?」
「少しだけ」
 ポツリと呟いた。
「こんなの、初めてだから」
 その言葉にクスリと笑って。
「俺もだ」
 と、首に回した腕に力を入れ、顔を引き寄せる。
「だめ」
 スッと顔を背けて、
「月が、見ているから」
「見せつけてやろうぜ」
 と、その唇に、唇を重ねた――


「って、感じだったと思うの」
 と、息を荒げているのは朝倉涼子。その向かいに座っている一学年上の先輩は、おっとりした動きでお茶を口に運び、熱の入った話に耳を傾けていた。
「わたしね、キョンくんはクールそうに見えて意外とロマンチックだと思うの。だから、最初の時はちょっと雰囲気に気を遣うのね」
 空になってしまっていたコップにプラスチック容器から麦茶を注ぎ、口を湿らせる。
「でねでね、そのままお姫様だっこをして天蓋付きのベッドまで抱いていくの。そして、耳元で愛を囁くのよ。有希、お前はあの月や星よりも輝いている。俺にしてみりゃ、天に輝くあの星々よりも、お前が俺の中で輝いてくれる方がいい……なーんて言うの、いいなあ」
 朝倉は自分の言葉にうっとりとし、赤い顔をして惚ける。
「あなたはどう思う?」
「そうですね」
 迎えに座った少女は、唇に人差し指を添え、視線を宙に向けて、
「こんなのはどうでしょう」


 風呂上がり、バスタオルでがしがしと水分を含んだ髪を拭きながら、冷蔵庫を開ける。
 ひんやりとした冷気が心地良い。そして、冷蔵庫の中を一瞥し、
「なあ長門、買ってあったプリンが無いんだが」
 間違いなくここにあったはずのプリンが無くなっていた。
 チラリと視線を向けると、長門有希は気まずそうに顔を背ける。
「なあ、お前もしかして食ったのか?」
「記憶にない」
 政治家みたいな事を言う。その正面に行くと、スイと顔を反対側に向けた。
「やれやれ、風呂上がりの楽しみにしてたんだけどな」
 風呂上がりに食べる冷たいものというのは格別だ。大人ならビールをきゅっと傾けるところなのだろうが、生憎と自分は高校生の身。未成年は飲酒したらいけないぜ。
「……」
 すまなそうな目つきで見つめてくる。
 そんな顔するな、怒ってないさ。
 態度で示すため、唇を軽く重ねた。
「ん? ちょっと甘いな」
 すると、少しだけ何かを考えるように視線を宙に彷徨わせてから、
「口の中なら、もっと残っているかも知れない」
 目をつぶって、唇をゆるく開いた。
「そうだな」
 その味を堪能するため、唇を重ね、口内に舌を――


「そっ、そのっ、その後はどうなるの?」
 息を荒げ、朝倉はテーブルの上に身を乗り出す。
「その後、こう言うんです。うまかったよ、こっちのプリンも食っていいか? そして、男物のワイシャツのボタンをプチプチと外して、このプリンには可愛いサクランボがのっているんだな、と。そして、そのまま胸に口を――」
「きゃぁぁぁぁぁっ! えっちィィッ!」
 朝倉は、頬に両手を当ててイヤイヤと首を振る。
「でも、最初の時からそんなに積極的だったのッ!? 生後3年のくせに! 3歳児なのに!」
「ああ見えて意外と奥手ですから、女の子から積極的にアプローチしないとなかなか進展しないと思うんです」
「うん、わかるわかる」
 ガクガクと壊れた人形のように首を上下に振る。
「あなたわかってるっ! もう師匠って呼んじゃうわ! よっ、エロ師匠!」
 その言葉に、満更でも無いという風にニコリと笑い、お茶に口を付ける。
「でも、実際のところは本人じゃないとわかりませんよね」
 と言うと、その先輩はこちらに顔を向け、
「どうだったんですか?」
 更に、朝倉もこちらに顔を向け、
「そうよ、教えてよキョンくん」
 と、二人して俺を見つめてくる。
「言えるか」
 ここは長門の部屋。
 朝倉と喜緑さんがお土産を持ってやって来て、コタツに座ってその土産を食べながら雑談していたのだが、何故だか話題が俺達の初体験の話題になり、朝倉と喜緑さんが勝手に妄想を語り合っていたわけだ。
 あまりの出来事に俺は絶句し、口を挟むことも出来ずにその光景を眺めていた。全く、本人を目の前にして好き勝手に言ってくれたもんだ。
 向かいにいる長門は無表情。自分の話だというのに、我関せずという風に土産の菓子をぱくついていた。
「良いじゃない、減るもんじゃないんだし」
「そうです。2人の体験談を4人で共有したら、ある意味快楽も2倍ですよ」
 意味がわからない。
「話せるわけがないだろ、そんな事」
 あれは、俺と長門だけの大切な記憶だ。そう易々と他人に話してたまるか。
「なあ、長門からもなんとか言ってくれよ」
「……」
 すると長門は、無言でスッと何かを置いた。
 それは水色の小さな冊子。表紙には半裸の長門のイラストが描かれていて、その右には『今夜の長門有希』との文字が躍っている。
「なあ、なんだそれは」
「わたし達の初体験の事ならここに書いてあるから勝手に読んで」
「おい、ちょっと待――」
「もらったっ!」
 それを死守しようとすると、さっと朝倉がその冊子をひったくった。
 くそっ、そんなもん見られてたまるか!
 俺は冊子を持っている朝倉に飛びかか――えっ?
「最初からこうしておけばよかった」
 その言葉で俺は空中に静止し、身体を動かせなくなっているのを知る。アリかよ! 反則だ。
「じゃあ、読ませて」


 それからおよそ15分後、
キョンくん、長門さん、あなた達は少しエッチすぎると思うの」
 俺達は正座をさせられ、悲しそうにその太い眉の間にシワを寄せた朝倉に説教を受けていた。さすが、天性の委員長属性を持つ女。
長門さんはちょっと積極的すぎるし……」
 確かに、最初の方は長門にリードされっぱなしだった記憶があるな。
「知識はあったから」
 長門はどんな事でもスーパーマンだ。性に於いても頂点に立つ腕前であってもおかしくはない。
「それにあの、し、しきゅ、子宮が――」
 朝倉は、ぶんぶんと首を振る。
「喜緑さん、あなたからも二人に何か言ってあげて下さい」
「この場所で、最初にキスしたんですね」
 本を開いたまま、ニコニコと俺達に笑顔を向け、
「具体的にはどのあたりですか?」
 ああ、思い出が凌辱されていく……


 その日は、そんな散々な休日だった。