今日の長門有希SS

 放課後、いつものように部室に向かう。ドアを開けるまでもなく中の様子がだいたい予測できるようになったのは、良いことなのか悪いことなのか。
 ノックをすると、中から朝比奈さんの声で「どうぞ」と聞こえる。どうやら着替えは終わっているらしい。
 部室の中では、ハルヒがふんぞり返り、メイド姿の朝比奈さんが往来し、古泉がボードゲームを用意していたり、予想通りの光景だ。
 そして、長門は――
「……」
 本から視線を上げ、入ってきた俺を見ている。その仕草はいつも通りなのだが、持っている本が妙だった。
 電話帳くらいのサイズの本を太股の上に乗せている。一体、なんだそれは。
コミックマーケットのカタログ」
 開いたまま両端を掴んで軽々と持ち上げ、俺にその表紙を見せてくれる。表紙に白いワンピースを着たアニメタッチの女の子。お前にも似合うかも知れないな、その服。
 って、そうじゃない。一体、どうしてそんなものを読んでいるかが問題だ。
「調査のため」
 一体、そんなモンを見て何を調べるのやら……
コミックマーケットでは、わたし達SOS団のメンバーによる性行為が公開される事になる」
「なっ、なんですって!」
 バンッと両手をついてハルヒが立ち上がった。
「ちょっと有希! あ、あたしとキョ――あたし達の性行為が公開って、どういう事なの?」
「わたし達をモチーフにして、漫画及び小説が発行される。それらは性行為を含むものが多数を占める」
 そこで長門は、チラリと朝比奈さんに顔を向ける。
「初期はあなたの作品が大半を占めた」
「え、えぇ〜!?」
「その無駄に巨大な胸と多彩なコスチューム。なおかつ簡単にヤラせてくれそうな性格がアダルト作品には打ってつけ。声もアダルト。だから不特定多数の男性に性行為を強要される作品や、涼宮ハルヒに性的にいじめられる作品が多い。つまり、あなたは」
 長門はメガネを直すような仕草をする。メガネはないが。
「下半身担当。下半身さえあればいい、下半身さえあればいい、下半身さえあればいい」
 なぜ繰り返す。
「ちょっと待て長門、言い過ぎだぞ」
「確かに言い過ぎだったかも知れない。朝比奈みくるを描いた作品では胸が重要な要素を占める事が多い。つまり」
 長門は立ち上がり、腕を振り上げる。
「胸と下半身さえあればいい、胸と下半身さえあればいい、胸と下半身さえあればいい」
 あまりの事に、朝比奈さんは「きゅう」と口から音を発して失神してしまった。
「ちょっと、有希!?」
 さすがのハルヒ長門の変貌に驚いているようだ。
涼宮ハルヒ、あなたの場合――」
 チラリと長門がそちらに視線を向ける。矛先が自分に向いた事に気付き、ビクリとするハルヒ
「な、なによ」
 それでも虚勢を張るのがハルヒだ。虚勢を張るハルヒ。駄洒落じゃないぞ。
「基本的には彼との純愛作品が多く、性行為を描いたとしても和姦が主になる」
 チラリと俺を見る。
「ふん、当然じゃない。だってあたしとキョンは相思――」
「ただし、世の中にはあなたのような強気な女性を屈服させたいという欲求を持つ者も多数存在する。だから、強姦的作品での濃度は朝比奈みくるとは比べものにならない。例えば――」
 それから長門が語った事は、あまりにも専門用語が多く、更に俺の脳が理解を拒否したために何を言っているのかほとんどわからなかった。しかしながら、俺にはそれを語る長門がサディスティックな笑みを浮かべていたり、ハルヒの顔が茹で蛸のように赤くなったり、青くなったり、緑色になっている様子から、何かすごい事を話しているんだなという事だけは理解することが出来た。
 しかし何だ、銀粒子配合の黒蝋燭って。
「だ、駄目、もうやめて! 10リットルも入らない! それに穴は9個しかないのぉ!」
 何かが崩壊したらしく、目のハイライトが無くなったハルヒが泣き叫んでいる。
 一体何の事を言っているのかは俺にはわからないし、わかりたくもない。
古泉一樹は」
「おや、次のターゲットは僕ですか」
 古泉はいつもの笑みのまま肩をすくめる。朝比奈さんが失神し、ハルヒが泣きながら膀胱が云々と言っているのに、よく平然としていられるものだ。
「あなたはゲイとして描かれる事が多い」
「おやおや」
「以上」
 終わりかよ。
「不満なら具体的な説明をする」
 しまった、スルーすれば良かった。
古泉一樹は普段の性格を踏襲し、攻める際にも口数が多く描かれる。つまり、言葉責めをからめたプレイが多くなる」
 長門はニヤケた笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「おやおや、あなたのここはそうは言ってませんよ。どうしてこんな風になっているんでしょうね。男性には興味がなかったんじゃないですか?」
 妙に似ている。
「しかしながら、その口数の多さは気が弱い事を隠すためという解釈もあり、その場合は『ヘタレ攻め』と呼ばれる」
 長門は、そこで左右を向きながら、
「おい古泉、俺を脱がせてどうするつもりなんだ?」
「ええと……あなたをいただきます」
「本当に出来るのか?」
「え……あ、はい。大丈夫です……たぶん」
 古泉と誰か知らない人間を一人二役で演じて見せた。もう一人に設定された奴は災難だな。
 ゲイの世界は奥が深いようだ。いや、奥が深いってそういう意味じゃないぜ。
「いやあ、なるほど。興味深いですねえ」
 興味を持つな。
「いやあなるほど。いや、あなるほど」
 古泉はイントネーションを変えながら同じ言葉を繰り返している。無視だ無視。
「そして、問題なのはあなた」
 長門はチラリとこちらに視線を向ける。
「あなたは団員全員――だけでなく、その他の人物ともバランス良く絡んでいる。浮気者
 どうやら俺は、長門ハルヒや朝比奈さんだけでなく、鶴屋さんや朝倉、果ては妹なんかとも性交渉を重ねているらしい。なんか、そう聞くととんでもない鬼畜野郎みたいだな。
「こ…んの、絶倫キチクヤロー!!」
 古泉が何か言っているが無視をする。
「女性だけではない」
 長門のその言葉に背筋が凍り付く。真っ先に頭に浮かんだのは目の前にいる古泉だが、その他に谷口のアホ面や、ちょっと女の子っぽい国木田、野太い声の担任岡部、それらの人物の顔が去来して吐きそうになった。
「ゲイ界ではあなたは総受け。でも、基本的に強気受け」
 また要らない言葉の知識が脳に植え付けられてしまった。今日のこの記憶だけを外科手術で取り出せないものだろうか。
「で、長門はどうなんだ?」
「あなたとのカップリング以外は存在しない。キスから始まる濃密なラブラブ性交渉が描かれている。そして最後に頭を撫でて、よかったよ、と言う」
 まあそんな事も無くはないが。
「でも、たまには」
 ポッと顔を赤らめ、
「無理をしてもいい」
 そう言って、きゃっと顔を両手で覆った。その反応があまりにも可愛くて、俺はその場で長門にキスをして押し倒すのであった。


「という夢を見たんです」
 長門の部屋に遊びに来た一年上の先輩は、言いたい放題に語り終えるとニコニコと笑みを浮かべて湯飲みに口を付けた。名前は確か喜緑……いや、下の名前は忘れた。
 しかし、こんな話を聞かされた俺達はどうすればいいんだろうか。
「なんだ、わたしは登場してないのね」
 残念そうに言ったのは朝倉。出ない方が良いと思う内容だったと思うのだが。
 ところでこれは一体どういう状況なんだろうな。長門の部屋で過ごしていたら、朝倉がお茶菓子を持って遊びに来て、更に「相談したい事があります」と喜緑さんもやって来たわけだ。わけがわからない。
「困りましたね」
 あなたのせいで困っているんですよ、喜緑さん。
 俺の方に顔を向け「あら」と目をぱちくりとさせる。この人、どうやら思った以上に変わったお人らしい。
「お祭りが始まるせいでしょうか」
 微妙に話が噛み合ってない気がするのは、俺だけだろうか。
「そうよね、今日からだもんね」
 朝倉は遠い目をする。
「わたしとキョン君のカップリング本とかないのかな」
「そんなもん、あってたまるか」
 即否定。
「ちぇ」
 ずるずるとお茶をすすり、
長門さん、おかわり」
「雑巾の絞り汁でいい?」
 表情こそ変わらぬものの、長門から朝倉に向けて妙なオーラが立ち上っていた。
「冗談だって、誰も長門さんからキョン君を取ろうなんて思ってないよ。ねえ、喜緑さん」
「キョ緑ってカップリング名はなかなか語呂がいいですね」
「……」
 長門の体からフォースがわき上がる。暗黒面の。
「でも、どちらかというと、攻める方が好きかも知れません。つまり喜ョン」
 あの……喜緑さん、ちょっとばかり空気を読んでいただけないでしょうか。
「ちょっと冗談が過ぎましたね。お二人の間には割り込む気はありませんよ」
「うんうん、今回の即売会でキョンくんと長門さんがメインになるのは間違いないって」
 朝倉は必死になって喜緑さんの説を支持する。こんないっぱいいっぱいの朝倉を見るのは、これが初めてかも知れない。
「そう」
 しゅーっと音が聞こえるくらい、長門の周囲を覆っていた負のオーラがしぼんでいった。
 どうにか長門の怒りは収まったらしい。
 まあ、俺は長門を愛しているのだ。他のカップリングなんてあり得ないさ。


 確かにこの時はそう思っていた……しかし、俺はそれから知るのである。俺は喜緑さんの肉体に溺れるようになり、キョン喜緑江美里というカップリングは着実に人気を得て、いずれこのジャンルの半数を占めるようになるのだと……


「って喜緑さん、変なモノローグ入れないでください」