今日の長門有希SS

 高校に入った時は、毎日文芸部に通う事になるなんて思いもしなかった。
 いや、正確には文芸部ではなく、そこに居座っている珍妙な団であり、そこに毎日顔を出すことになるとは文芸部に通う以上に思いも寄らなかった。
 しかし、日課というものは奇妙なもので、毎日それを繰り返し続けるうちに、その行為に疑問を持たなくなっていくものである。
 そして、今日も俺は文芸部の部室のドアノブに手をかけ扉を開き、
「――」
 ああ、そういえばノックを忘れてしまったな。気が緩んでいたのだろう。いや、そんなことよりも、何故、
「きゃあぁぁっ!」
「すいません!」
 バタンと扉を閉じる。他に誰もいなかったのが唯一の救いだろう。ハルヒにばれたら殺されるし、長門にばれたら……殺されるな、きっと。
 扉越しに、ごそごそと衣擦れの音が聞こえる。下着姿を直視してしまった。いや、そんな事より……一体、何故だ?
 しばらくして音が止まった。着替え終わったんだろうか。もったいな――いや、あの人の着替えシーンをのぞき見てしまうなんて、あってはならない。けしからんぞ俺。
 しかし……一体、何故、
 背中を預けていた扉のノブがガチャリと鳴る。突然扉が開き、後ろに倒れそうになるのを堪える。
 振り返ると、そこには、
「これ、あたしが着ても変じゃないかなっ?」
 メイド服姿の鶴屋さんが立っていた。
 いやあ、見慣れない恰好だけどよく似合っていらっしゃる。しかし、朝比奈さんのサイズに合わせているせいか、少々寸足らずなところがあるし……それに、その、胸が妙にゆったりとしている。
「さすがにここはみくるには勝てないさねっ」
 鶴屋さんはぶかぶかになっている胸の部分を触ると、その部分は紙風船のようにむなしくしぼんだ。ぷしゅ、と空気の抜ける音が聞こえたような気がする。
 決して鶴屋さんの胸が小さいとか言うことは無い。朝比奈さんの胸が規格外なだけだ。
 いや、そんな事より聞かねばならない。
鶴屋さん、一体どうしてここにいるんですか?」
「みくるがちょろっと風邪引いてさ、今日は休みだよってハルにゃんに伝えたら、お暇ならみくるのかわりに参加してくれませんか、てさっ」
 またハルヒの気まぐれか。まあ、朝比奈さんが来ない寂しさを紛らわせようって事だろう。
「コスプレもハルヒの指示ですか?」
「ん、これはあたしが着たかったからにょろよっ。なんたって、今日はみくるの代理だからねっ」
 そこで鶴屋さんはニコリと笑い、スカートの裾を持ち上げて一礼。
「ご主人様、お茶でもどうですかっ?」
 いや、朝比奈さんはそこまでやってませんよ。


 鶴屋さんは、驚くほどきちんとメイド業務をこなしていた。いや、本来のメイドがどのようなことをするのか知らないが、このSOS団内でのメイド的活動を完璧にこなしている。
「お姉さん系メイドってのもいいわね」
 ハルヒは何やらしたり顔でうんうんと頷いている。
「みくるちゃんの巨乳ドジっ娘メイドも良いけど、メイドには色々あって――」
 ハルヒは何やら古今東西のメイドについて論じているが、軽く聞き流す。どうせロクな話じゃないのはわかっているんだ。
「おかわりはどうにょろ?」
 ふわりとメイド服をなびかせ、鶴屋さんが優雅にお茶を注いでくれた。
 確かにこういう完璧メイドさんも良いかも知れない。だが、あくまでもたまにであって、この部室でメイド服が似合うのは今も昔も朝比奈さんに他ならない。
「ありがとうございます。たまには朝比奈さん以外のメイドも悪くないですね」
 茶を注がれた古泉がいつも通りのニヤけスマイルで礼を言っている。
「そこまで言うなら、たまに遊びに来ようっかなっ?」
「ええ――」
 何故か背筋が凍った。
 何だ今のは。日本刀で頭を貫かれたような感じだったぞ。
「……」
 視界の隅で長門がこちらを見ていた。絶対零度の視線。
 しかしそれも一瞬の事で、長門は開いていた本に視線を落とした。まるで、最初からこちらを見ていなかったかのように。
「あ、有希ちゃんもおかわり注ぐにょろよっ」
 長門は本に視線を向けたまま少しだけ首を傾ける。一応、礼のつもりなのだろう。
「そうそう、キョン君っ」
 鶴屋さんは耳元に口を寄せ、
「さっきの責任取ってよっ」
 ピキ――
 ラップ音、いや、違う。
「ちょっとキョン! あんた鶴屋さんに何したのよ!」
 ハルヒが掴みかかって来た。お茶まみれの手だ。おかげでこっちの制服も濡れ……って、熱っ!
「実はさっき着替えを見られちゃったのさっ。お嫁に行けなくなったらキョン君に責任とってもらうにょろよっ」
「なんですって! あ、あたしだってまだ――キョン、あんた死刑よ!」
 ハルヒは首を絞めてガクガクと俺の体を揺する。手が熱くないのか、ハルヒ
 徐々に気が遠のいて来た。ああ、これは本当にこの世からグッバイすることになるかも知れないな……


 走馬燈が見える。
 夕焼けの草原。そこを駆け回る元気な少年。
 少年の顔は泥だらけ。沢山遊んだのだろう。世界は自分を中心に回っていると思っている少年時代。
 そして、遠くから母親が呼びかける。
「そろそろ夕飯よ! ジョージ」
 いや待て、これは誰の記憶だ?


 気が付くと、俺は並べたパイプ椅子に寝かされていた。周囲には誰もいない。鶴屋さんに会ったところから全て夢を見ていた気がする。
 カチャリと音が鳴る。ゆっくりと扉が開き、隙間から見えたのは長門の姿だった。
「みんなは?」
涼宮ハルヒは手を火傷して冷やしている。二人はその付き添い」
 長門はそう言って、チラリと俺の横に目をやった。
 そこには朝比奈さん用の色々な衣装が掛かっているが、今日はメイド服の位置に鶴屋さんの制服が掛かっている。まあ、制服の持ち主が誰か知らなければ普段と全く変わらない光景ではあるのだが。
「メイド服が好き?」
 さて、ここはどう答えるべきだろう。あの時は怒っていたような気がするが、今は目を見ても全く感情が読みとれない。
「嫌いではないさ」
「そう」
 変化無し。とりあえずは及第点と言ったところだろうか。
「なら」
 長門はそこで、少しだけ言いよどんで、
「今度、わたしも着てみる」
 長門のメイド服姿を想像――脳天を打ち抜かれた気分だった。
「ここでは着るな」
 長門は首を傾げる。
 駄目だ、そんなモン絶対に他の男には見せられない。古泉の野郎にもだ。
「それなら、わたしの部屋で着て見せる」
 それはさすがに……いや、見たい。変な意味はないぞ。ただ純粋に見たい。別にそれを着た状態で楽しもうとか、そういう事じゃなくてだな……俺はただ、純粋に長門のメイド服姿を見てみたいと思うわけだ。うん。
 しかし長門は、
「……えっち」
 ボソリとそう言った。