今日の長門有希SS
小学校の夏休みと言えば、宿題がトラウマになっている人間も多いだろう。漢字や計算のドリルに始まり、作文だとか自由研究やら、かなりの量の宿題があった。
まあその辺は集中してやれば数日で終わらせる事が出来るが、厄介なのは日記や観察などの毎日やらなければならない宿題だ。一日サボるとそれからずるずるとやらなくなってしまって、大抵は夏休みの終了間際に後悔する事になる。
そしてそのたびに「来年こそはちゃんとやろう」と誓うもんだが、一年経つ頃にはすっかり忘れちまう。そして同じ事の繰り返しだ。
だが、そんなのは小学校を卒業すれば解放される。さすがに中学になれば自由研究で妙な工作を作る必要もなくなるし、熱心な優等生が傑作を作って一時的にモテたりするって事も無くなる。
そんな事をする必要は無くなったはずなのだが、
「はぁ」
ため息もつきたくなるさ。
俺は今、朝顔をスケッチしていた。
どうしてこんな事をやってるのか、それはもちろんハルヒのせいに他ならない。他にこんな珍妙な事を思いつく奴がいるもんか。
きっかけは大した事ではない。たまたま小学校の思い出を語り合っていただけだ。まあ、主にハルヒが俺を締め上げて思い出話をさせられたってのが正しいのだが、そんなのはどうでもいい。
小学校の時に植物の観察があった。1年の時が朝顔。2年の時はヒマワリ。3年以降はなんだったけな。そもそも観察自体が無かったのかも知れない。
ともかく、そんな話をしていると、長門が「やった事がない」と言った。
それを聞いたハルヒはその事に驚き、その翌日、
「今日からみんなで朝顔を育てるわよ!」
満面の笑顔で、部室に人数分の朝顔栽培セットを持ってきたというわけだ。安っぽい緑のプラスチックの鉢。何もそこまで小学生チックにしなくてもよかろう。
「これはグリーンプラっていう素材でね、地球に優しいの」
だそうだ。
それから、全員で栽培セットを持って花壇に行き、そこの土を勝手に掘ってプラスチック製の鉢に入れた。そして一粒ずつ種を植え、各自家に持って帰って観察日記をつける事になった。
その日の下校は全員で帰っている間は良かったのだが、皆と別れて一人になった後が問題だった。緑のプラスチック製の植木鉢に、ツタを絡ませるためのプラスチックの白い棒。高校生にもなって持ち運ぶものじゃない、何人に笑われた事か。
帰ってからは、外に放置してたまに玄関に置く事になった。幸い、我が家には高学年だが小学生の妹がいるため、客が見ても誤魔化すことが出来るわけだ。
「キョンくん、そろそろだねー」
猫を抱いた妹がやってくる。ああ、危ないからこっちに放すなよ。せっかくツボミまで出来たんだから。
花が咲きそうになったらきちんと観察日記をつけろとハルヒが指示をしたので、ここ何日かは玄関で朝顔をスケッチする事が朝の日課となっている。色まで塗らなきゃならんので、妹からクーピーを借りっぱなしだ。
ため息が出る。本来なら休日はゆっくり寝ていたいものだが、このツボミのせいで朝から起きなければならない。早く咲いてくれないもんだろうか。
そういえば、最初の頃にハルヒは誰が最初に花を咲かせるか競争だとか言っていた。最近「あんたまだ咲いてないでしょ」と毎日のように電話をしてくるから、向こうはそろそろ咲きそうなのかも知れない。
だが、あの様子ならまだ咲いていないのだろう。頑張れよ俺の朝顔。
と、ポケットの携帯がなった。またハルヒか。あっちはもう咲いたんだろうか。
「ハルヒ、咲いたのか?」
「……」
しかし予想に反して沈黙。てっきり勝ち誇った声が聞こえてくると思ったんだが……
「おい、どうしたハルヒ?」
「……」
耳から電話を離してディスプレイをチラリと見る。
心臓が握りつぶされた気分だ。
「あー、その……すまん長門」
「……来て」
プツリと切れる。
怒ってるな、これは。
「キョンくん……」
妹が白い目で俺を見ていた。
ああ、わかってるさ。
「行ってくる」
「うん、日記とか片付けておくね」
居間に走って鍵を取ると、家を飛び出してチャリに飛び乗った。
数分後、長門の部屋に到着。
「さっきは悪かった」
「……」
頭を下げるが、長門は黙っていた。
やっぱり、あれは怒るよな……
「まだ咲いていない?」
しかし、口を開いた長門の言葉は意外なものだった。まだ咲いていない?
「朝顔の事か?」
「そう」
「いや、まだだが……」
なぜ今、それを?
「入って」
部屋の中に入る長門の後に続く。長門はリビングの大きな窓の前に立ち、ベランダの窓を開けた。
「わたしの勝ち」
ベランダの片隅で一輪の朝顔が咲いていた。
「あなたに真っ先に見せたかった」
振り返らなくても、声を聞けばわかる。長門は機嫌が良い。
「ところで、聞きたいことが」
「ああ、なん――」
振り返り、俺は凍り付いた。
「なぜ最初に涼宮ハルヒの名を?」
目を見ればわかる。長門は機嫌が悪い。
それから弁解をする事になったのだが、俺が長門から解放されたのは一緒に昼飯を食った後だった。