今日の長門有希SS

 押入を片付けていたのは、ほんの気まぐれだ。最初は何かを探していたような気もするが、気が付くと俺は昔のものがつまったダンボール箱を引っ張り出し、中身を一個ずつ確認してはまた箱に戻すという非生産的な行動を行っていた。
 そんな中に埋まっていた一冊の絵本を発掘した。表紙にはかわいげのない猫の絵が描かれている。絵柄でてっきり外国の本だと思いこんでいたのだが、どうやらこれは日本人の作者だったようだ。
 今さら説明するほどでもない有名な作品だ。ただ猫が何度も生きて死ぬ。ぶっちゃけるとそれだけの話だ。
 その表紙をめくり、パラパラと中を見る。
 飼い主は猫が死ぬたびに泣く。しかし、猫は泣かない。
 しかし最後の一生では、愛した白猫の死を悼んで涙を流し、それから永遠の眠りにつく。
 子供の頃はこの話がよくわからなかった。いや、今でもなんとなく理解できるだけで、正確なところはよくわからない。
「あ、キョンくん懐かしいね」
 いつの間にか妹が部屋に入ってきていたらしい。勝手に入ってくるなと、何度言えばいいのだろうか。
「えー、ノックしたよー。キョンくんが気付かなかったんだもん」
 ノックに気付かないほど、集中していたとも思えないんだが……
「ねえキョンくん、昔みたいにお話聞かせて」
 あぐらをかいていた俺の足の上に、妹は素早く座ってしまった。
 やれやれ……
 俺はため息をつき、本を閉じた。表紙に描かれたぶすっとした猫の顔が飛び込んでくる。
 最後に読んでやったのは、こいつが幼稚園に行っていたくらいだろうか。
「100万回生きたねこ」
 タイトルを読み上げ、表紙をめくる。俺は数年ぶりにそれを音読してやった。


「猫はもう決して生き返りませんでした」
 そう言って本を閉じる。全てを読み終えると、妹は背中を俺の体にあずけてきた。
 こらこら、俺は座椅子じゃないぞ。
「どうして生き返らないの?」
 さあな。俺は猫じゃないからよくわからないな。ウチに住んでる三毛猫にでも聞いてみたらどうだ? あいつ、オスの三毛猫って何気に珍しい模様だから、外じゃモテモテかも知れないぞ。
「生き返って、また幸せになろうと思わないのかな?」
 もし、この主人公がメスだったらそうなっていたかもな。だがな、男って生き物は案外と未練がましいらしいぞ。フラれても男の方が引きずるって言うしな。
 それに、人生ってのは一回だからいいもんだろ。もしかしたら、最後にコイツはそう思ったんじゃないか?
「ふうん……難しいや」
 妹はそのまま、しばらくぼーっとしていた。
 たまにはこう言うのも悪くないと、俺はそれに付き合ってやる事にした。昔よりはすっかり重くなってしまったが、別に押しつぶされるほどでもない。
「なんか、キョンくんと有希ちゃんみたいだね」
 その口調は、茶化したりするようなものではなく本当に純粋な思いを述べているような雰囲気だった。だから俺は、マジになって答えちまったのかも知れない。ああ、後から考えると思い出したくないほど恥ずかしいが。
「あいつは俺にとっちゃ出来すぎたくらいの白猫だな」
 長門と付き合う前の生活は、ある程度は充実していたかも知れないが、今になって考えるとそれほど幸福感を感じていなかったような気がする。高校に入るまではどこかつまらないと思いながら生きていた。
 まあ、高校に入ってSOS団が出来たおかげでユカイな生活を送れるようになったのは事実だ。振り回されてばかりで、せわしなく、それでいて確実に楽しい日々。ハルヒには感謝しなければならない。
 だが、俺が今満たされている一番の要員は、どう考えても長門がいてくれるからだ。
「違うよ、キョンくん」
 くす、っと妹は笑った。
キョンくん、この猫みたいにモテてないでしょ」
 ほっとけ。
「有希ちゃんの方が、この猫」
 泣かない猫。感情の無かった長門。立派な猫。立派な長門
 確かにそうかも知れない。あいつなら死んでも死なない気がする。
「有希ちゃんにとっての白猫がキョンくんだと思うよ」
「そうか」
 そう言えば、俺は一度も長門の涙を見たことがない。誰も見たことがないだろう。
「じゃあねー」
 妹はスッと立ち上がり、部屋を出ていった。
 もし、俺が死んだとしたら……長門は泣いてくれるのだろうか?
 俺は携帯を取ると、発信履歴を辿ってボタンを押す。上位に入っている番号だから、アドレス帳を開くよりこっちが早い。
 数コール待ったあと、プツリと音が聞こえた。
 そして、何も言わない相手に向かって、俺はこう切り出すのだ。
「ああ長門、今から行っていいか? お前に見てもらいたい絵本があるんだが――」