今日の長門有希SS

7/25の長門有希SSが関係あるかも知れません


 俺の長門は、ボートが好きで、いつもぷかぷかぷか。
 そんなフレーズが頭をよぎった。なぜだろうね、そんな昔の歌を聞いた世代じゃないんだけどな。
 ともかく、俺は長門と向き合ってボートに乗っていた。オールを持つのが俺、それを黙って見ているのが長門。こういうのは、男が漕ぐもんだろう。
 優雅に見えるが、ボートってのは意外と力を使うもんだ。コツを掴んでいないせいだろうか。いや、足を踏ん張れないせいか。
 水の上だから涼しいはずなのに、汗が吹き出てくる。
「……」
 それに気付いた長門がハンカチを手に立ち上がり、こちらに近寄ってくる。
 ボートが少しだけ傾く。水面に大きな波紋が拡がり、バシャッと派手な水音が上がった。
 そして、僅かに悪寒。
 長門、そんなに近寄ると危ないぞ。


 さて、話は前日に遡る。
 金曜という事もあり、俺は少しだけ浮かれた気分で登校した。何しろ明日から週末だ。浮かれない学生の方が少数派だろう。
 教室に入ると、頬杖をついてぼんやりしているハルヒが目に入った。
「明日はパトロール中止だから」
 挨拶もそこそこに、俺に気付いたハルヒはそのように宣言した。
 用事でも出来たか、もしくは体調でも悪いのだろうか。ハルヒは何か考え込むようにぼんやりとしているのだ。
 何にせよ、明日がフリーになるのはありがたい事だった。普段は土曜日が必ずといっていいほどパトロールで潰れているからな。退屈ってわけじゃないが、毎度のように財布の中身が軽くなるのが痛手だ。
 そうだ。せっかく休みが続くのなら、前に長門と約束したあそこに行ってみるのもいいかも知れない。
 よし、そうと決まれば昼休みにでも長門に伝えておこう。
「――って、ちょっと聞いてるのキョン?」
 気が付くとハルヒが頬をふくらませて俺をにらみ付けていた。
 ああすまん、聞いてなかった。
「……」
 それから担任がやってくるまで、ハルヒはムスっとした表情でポカポカと俺の頭を叩き続けた。
 それから適当に教師の話を聞き流しつつノートを取っているうちに、何事もなく午前中の授業は終了。
 昼休みは例によって部室で過ごす。
「……」
 長門は相変わらずの良い食べっぷりだ。米や野菜を作った農家の方々も、魚を捕った漁師の方々も、この様子を見たら涙を流して喜ぶだろう。
「ああそうだ」
 お茶を飲んで一段落したところで、朝の話を思いだした。
ハルヒが言ってたんだが、明日はパトロールが中止らしい」
「……」
 首を横に傾け、不思議そうに俺を見つめてくる。
「だからな、明日はあの公園に行かないか? 乗りたかったんだろ、ボート」
「行く」
 カクカクと首を前後に振る。
「楽しみ」
 表情こそ変わらないものの、長門の目が輝いている。そう楽しみにしてもらえると、こちらとしても提案した甲斐があるというものだ。
 これで週末がいつも以上に楽しみになった。早く授業が終わって欲しいもんだ。


 そして放課後。
「……」
 斜め前に座った長門がじとっとした目つきで俺を見つめていた。
 ああ、俺が甘かった。この団長様が、何事もなく俺達を自由の身にするはずがないのだ。
「ちょっと、真面目に参加しなさいよキョン!」
 ホワイトボードの前に立ったハルヒが俺を怒鳴りつけてきた。
 ちなみにホワイトボードはいつもの場所ではなく、わざわざいつも団長席が置いてある場所に移動されていた。
 そして、そのホワイトボードには『SOS団遠足計画』と書かれている。
 ハルヒは朝のうちに説明していたらしいのだが、明日はパトロールではなくどこかにピクニックに行くという事だった。
 掃除が終わって一足遅く部室に来た時にはもう会議のスタンバイがされており、長門が部室に入った俺を射殺すような目つきで見つめていた。
 どうやら、長門は俺が思っていた以上に明日を楽しみにしていたらしい。
「だいたいねえ、朝のうちに行き先を考えておきなさいって言ったでしょ!」
 聞いてなかったと言ったはずだ。
 ともかく、明日の遠足は行き先がまだ決まっていない状況だ。だからまだ何をするか全く決まっておらず、会議が終わるまでハルヒに解放されないと思うと頭が痛む。
「誰か行きたい場所ないの?」
 ちなみに古泉や朝比奈さんはいくつか提案しているのだが、ハルヒがなんだかんだと難癖をつけて却下している。おかげで古泉はいつもよりニヤケ度数割減、朝比奈さんは萎縮してしまっている。
「ある」
 そんな中、長門がボソリと口を開いた。ハルヒにとっても長門が提案するとは思っていなかったのか、目を丸くしている。
「有希、どこ行きたいの?」
「それは――」
 長門が口にした行き先を聞き、俺はお茶を吹き出しそうになった。
「ちょっとキョン、変な茶々入れないでよ」
 お茶だけに茶々か、うまいこと言うなハルヒ
「いいから黙ってなさいキョン。で、有希はその公園で何がしたいの?」
「……」
 チラリと俺に視線を送ってから、
「ボートに乗りたい」
 と宣言。
 それはなんだ、当てつけか何かか。
「あらキョン、嫌なの?」
「いや」
 そんな事を言われるような顔をしてしまったのだろうか。正面を見ると、古泉が俺を見て苦笑していた。
「有希が言い出すなんて珍しいし、明日はそこにしましょうか」
 長門案。つまり長門と二人で行くはずだった予定のままに決定してしまった。


 翌朝、いつもの待ち合わせ場所で自転車の割り当てくじ引きをする。
 半ば予想していたのだが、俺と長門の組み合わせになった。
「こらキョン、有希に変な事するんじゃないわよ!」
 斜め後ろからハルヒの怒声。
 どうやって荷台に座ってる長門に変な事を出来るって言うんだろうか。
「……」
 長門は背中に密着してくる。いつもは両手に荷物をもって曲乗りをしているくせに、今日はしっかりと体を掴んできている。
「デート」
 ボソリと声が聞こえた。頼むから、他のメンバーには聞こえないようにしてくれよ。
「くっつきすぎ! キョン!」
 いや、俺にはどうしようもないだろ。
 先ほどより声が小さいような気がするのでチラリと斜め後ろを見ると、ハルヒ達は先ほどより離れた位置にいた。
 古泉はいつものニヤけた笑みのままだが、うっすらと顔に汗が浮かんでいるのが見えた。そりゃそうだ、ハルヒと朝比奈さんの二人を後ろに乗せていればそうなる。
「あれ、何とか出来ないか? さすがに古泉が気の毒だ」
「可能」
 長門の口から例のテープを早回しにしたような声が聞こえる。
 途端、ずしりという重みが感じられた。それほど重いわけじゃないが、今まで一人で乗っているような感覚だったから、かなり変わったような感じだ。
 先ほどまで後ろの自転車からは軋むような嫌な音が聞こえていたが、途端に軽快な音に変化。シャカシャカという軽快な音が近づいてくる。
「やあ、どうも」
 横に並んだ古泉が片手を上げてニヤけた笑みを浮かべている。チラリと長門を見たのは、誰の仕業か気が付いているのだろう。
 感謝しろよ。
「おっそいわねー、置いてくわよー」
 溜飲を下げたのか、ハルヒが楽しげな笑みを浮かべて遠ざかる。今度は、立場が逆になってしまった。
 なあ長門、ちょっと向こうを軽くしすぎじゃないか?
「そんなことはない。重みを対等にしただけ」
 腹に回された長門の腕に力が入る。
「負けないで」
 そんな事を言われたら頑張らないわけにいかないだろ?
 俺はサドルからケツを上げ、ペダルを強く踏みしめた。


「はぁ……はぁ……」
 頑張りすぎた。ふくらはぎと足首が痛い。
「なに最初からヘバってんのよ。これで終わりじゃないのよ?」
 ハルヒが呆れたような顔で俺を見下ろしている。
 確かに少々頑張りすぎた。だが、古泉には勝てた。
 チラリと長門を見ると、ほんの少しだけ嬉しそうに見えた。それだけで十分だ。
「それじゃ、さっさと池に向かいましょ」
 ハルヒが先頭になり、ずんずんと公園を進む。
「なあハルヒ、場所わかってるのか?」
「当然でしょ、ちゃんと下調べしたわよ。それに、昔ここに来たことあるし」
 もしかしたら、ハルヒのいた小学校でもこの公園への遠足があったのかも知れないな。
 池に到着すると、組み合わせをクジで決める事になった。
「赤がスワンボート、青が手漕ぎボート、無地が一人ね」
 楊枝の束を握ったハルヒが俺の目の前に差し出す。俺が抜いたのは先の青い楊枝だ。
「おや」
 古泉の手には無地。朝比奈さんなら転覆しないか心配だが、こいつなら一人でも問題ないだろう。
「あ、赤ですぅ」
 朝比奈さんは赤だ。スワンボートか。一番安定しているような気がするので安心だ。
 さて、問題は残りの二人だ。
 ハルヒは残り2本になった楊枝を長門に突きつける。妙に緊迫感が漂っている。
「……」
 長門が2本の楊枝の間で指をふらふらとさせて、一本引き抜いた。
「青」
 俺と長門ハルヒと朝比奈さん、古泉はソロ活動と組み合わせが完了した。
 先になって乗り込んだ長門に一つため息をついて、俺はボートを漕ぎ出した。
 進行方向が後ろなので少々不安だが、危なかったら長門が教えてくれるだろう。ゆっくりと陸地が遠ざかっていく。
「こら、待ちなさい!」
 長門ごしに、スワンボートが迫ってくるのが見えた。あれはハンドル付きでペダルを漕ぐ構造らしく、とても楽そうだ。
長門、あれじゃなくてよかったのか?」
「こっちがいい」
 何を基準に選んだのかはわからないが、長門はこの手漕ぎボートの方が良かったらしい。
「ふう」
 先ほど自転車で古泉と競り合ったせいか足に力が入らない。そう考えると、こちらのボートで正解だっただろうか。
 額に浮かぶ汗を腕で拭う。まだ始まったばかりだというのに、体力をかなり消耗してしまった。
「……」
 長門がポケットからハンカチを取り出して立ち上がる。長門がスタスタと近づいてくると、船がこちらに傾いた。
「こらキョン、有希に何させようってのよ!」
 ハルヒのスワンボートが急接近。水面が揺れる。
「おっと!」
 水柱が上がり、遠くの方で古泉のタライ船が転覆しているのが見えた。足がつく深さでよかったな。
「なんかハルヒが誤解してるぞ」
 ハルヒはあれでいて、長門の保護者気取りなところがある。長門に手を出さないか心配なのだろう。
 まあ、既に出してるんだが。
「そう」
 気にせず、長門が俺の目の前までやってきて額の汗を拭いた。
キョン、有希にセクハラしたら死刑だからね!」
 へいへい。
 それからボートを横付けしてわめき散らしていたハルヒだったが、満足するとスワンボートで池を縦横無尽に移動していた。あの無鉄砲な運転に付き合わされる朝比奈さんが少しだけ気の毒だ。
 古泉は遠くの方で浮かんでいる。自主的に移動しているのか、ただ浮かんで漂流しているのか判断しかねる。
「楽しいか?」
「もちろん」
 長門はいつもより上機嫌に見える。
 二人きりではなくSOS団で来たわけだが、長門的には本来の目標を達成できているようだ。
 のんびりとボートを動かしていると、なんだか眠くなってきた。
「交代する?」
 長門が不安そうに見つめている。
 いや、大丈夫だぞ。まだ頑張れる。
「違う」
 俺を見つめ、
「漕ぎたい」
 ああ、そういう事か。
 俺達は座る位置を交代し、長門に船の操舵を委ねる。
 船の揺れはまるでゆりかごか安楽椅子のようで、身を任せていると眠くなってくる。意識が徐々に朦朧とする。
「いい」
 ん、どうした長門
「眠ってもいい」
 ああ、悪いな。
 船に揺られ、俺は眠りに落ちていく。
 目を閉じる寸前、長門の顔が微笑んでいるように見えたのは気のせいだろうか。


 目が覚めた頃には、ボートを返す時間だった。
「あんた、有希に任せて寝てるなんてどうしようもないわね」
 ハルヒは呆れた様子で俺を小馬鹿にしてきた。機嫌が良さそうなのは池をスワンボートで乗り回して満足したからだろう。
「そろそろ昼食ね」
 再びハルヒ主導で移動。
「いやあ、たまにはこういう平凡な活動もいいですね」
 隣を歩く古泉は風呂上がりのように湿っていた。ほとんど乾いてはいるのだが、歩いた後にくっきりと足跡が残っているから、どうやら靴はまだ濡れているらしい。
「ここでいいかしら」
 ハルヒが芝生にビニルシートを敷く。
 ……どっかで見たような場所だな。
「さ、それじゃ弁当食べるわよ」
 ちなみに今回は遠足という事で、各自弁当持参である。土曜まで親に作らせるのもアレなので俺は菓子パンを持ってきただけだが。
「なによあんた、貧相なもん食べてんのね」
 うるせえ。
「仕方ないからめぐんであげるわ」
 ハルヒは一方的に言い放つと、自分の弁当の蓋にいくつかおかずを入れ、俺の前に置いた。
 たまーにいいやつなんだよな、ハルヒは。普段からこうならもっと良いんだが。
 しかしあれだ、箸が無いから手づかみで食わなきゃならないのか。とりあえず後回しだな。
「……」
 気が付くと、長門の顔がこちらを向いていた。
 どうかしたか?
「食べて」
 おにぎりを一つ、俺の目の前に置く。こちらはアルミホイルに包まれているので、素手でも問題はない。
「悪いな」
 甘いパンを食っていたので、おにぎりに入っていた鮭の塩辛さがありがたい。
 ん?
 何か妙な雰囲気だ。朝比奈さんが狼狽して、古泉の笑顔が張り付いている。
「あ、ちょっと席を外します」
 古泉がポケットから携帯を出しながら立ち上がる。小走りで消えていく。
 相変わらず、機関の用事だろうか。ご苦労なこった。
 おにぎりが無くなったので、今度はハルヒのくれたおかずを食う事にした。肉やら卵焼きやら、なかなか魅力的なラインナップだ。気が利くじゃないか。
 手づかみで卵焼きを口に運ぶ。
「なかなかうまいな。ありがとよ」
 ハルヒが作ったとは思えないが、一応礼を言っておく。
「ふん、当然でしょ!」
 鼻を鳴らしてそっぽを向くハルヒ。相変わらず偉そうな奴だ。
 しばらくして、古泉が戻ってきた。
「古泉君、なんか急用だったの?」
「いえいえ、バイトに助っ人が欲しいという事だったのですが、大丈夫になったみたいです」
 なぜか古泉は俺の方をチラリと見て苦笑した。なんだ、お前に食わせる飯はないぞ。


 それからダラダラとボール遊びなどをして、日が傾き始めた頃に遠足終了となった。
 帰りも来た時と同じようにくじ引きで組み合わせを決定らしい。
 俺は長門の横に素早く近寄った。
「なあ長門、わかってるよな?」
 ここまで2連続で俺と長門のコンビになっている。さすがに今回はまずい。
「大丈夫」
 長門はコクリと首を傾けた。
 これで安心だ。
「さ、それじゃクジ引いて」
 帰りの組み合わせはというと、
「あんた、有希にイタズラしようとしてイカサマしてんじゃないでしょうね?」
 ハルヒが怪訝そうに俺を見る。
「してねえよ」
 どうやら長門はわかっていなかったらしい。
 ともかく、それで俺達の遠足は終了となった。帰りは長門がどちらの自転車も軽くしてくれたようで、楽に帰る事が出来た。ありがたい限りだ。
「家に帰るまでが遠足なんだからね!」
 ハルヒのお約束のような宣言により解散となった。たまにはこういうのもいいもんだと一人になった後で俺は思った。
 いや、長門と過ごしてばかりだった気がしないでも無いんだけどな。