今日の長門有希SS

 朝比奈さんの入れてくれたお茶を飲みながら古泉とオセロなんかをし、読書をしている長門の姿をチラチラと眺める。まったりとしていながらも、いつもの光景に心が休まるね。こんな風に、何もない日ってのも心が落ち着いてよいものだ。
「みんなー、良い物を持ってきたわー!」
 しかし、それも我らが団長様によって打ち砕かれた。
「じゃーん!」
 ハルヒが掲げたのは、ブタが鼻息で白い羽を飛ばしているシュール極まりない絵が描かれたパッケージの箱だった。確かこれはブタの人形から出る空気を使って羽を打ち合うという、作った人間の脳を疑いたくなるようなバドミントン風の玩具だったはずだ。二年ほど前に妹が親にねだって買ってもらったものの、数回だけ遊んで押入のどこかにしまい込んである。
 ところでハルヒ、それはどこからかっぱらって来たんだ。
「失礼ね、商店街のオモチャ屋さんが余ってるからってくれたのよ」
 また何か変な映画でも撮らされるんじゃあるまいな。
「これはこれは」
 古泉の表情には、いつものニヤケた笑みに加えて三割程度微笑ましさのようなものが込められているように感じられた。
 朝比奈さんはそもそもこれが何に使うものなのかわからないらしく首を傾げており、長門に至ってはハルヒが入ってきた時にチラリと一瞥しただけで読書に戻っている。
「みんな運動不足でたるんでるから、これで勝負しましょ!」
 運動なら間に合ってるね。高校には体育というものがあって、運動部でなくてもそれなりに体を動かしてるんだぜ。それに今日の男子の体育はマラソンだったんだ、休ませてくれ。
「うっさいわね、やると言ったらやるの!」
 やれやれ。
「そうね……ただやるだけじゃつまんないから、優勝したら何か特典があった方がいいわよね。優勝した人は、誰か一人に一つだけ命令出来るってどう?」
 それは意外と良い特典かも知れないな。もし優勝できたら、普段は他人に命令してばかりのハルヒに何か言うことを聞かせられるんだ。それに元々ハルヒの独裁政治が行われているわけで、ハルヒが勝っても何も変わらない。つまり、この特典はハルヒ以外のメンバーにとってマイナスになる事はなかろうか。
 よし乗った。
「なによ、急に張り切っちゃって。言っておくけどセクハラは禁止だからね」
 別にそんな事は考えちゃいないさ。俺の命令は「しばらく大人しくしてろ」で決定だ。
「ルールはトーナメント方式よ。5人だから……こんな感じかしら」
 ハルヒはホワイトボードにかかっていた朝比奈さんのコスプレ衣装を隅に寄せ、ボードマーカーできゅっきゅとトーナメント表を書き始めた。まず4人で戦うような形に書き、そのうち左端をさらに二股に分岐させる。意外とまともな形だな、てっきりハルヒだけシードで決勝だけ勝てば優勝とかになるのかと思っていたが。
 ハルヒがクジ作りに夢中になってる間にこっそり長門に近づき、耳元で「今日は特別な技はなし」と告げる。いつも色々やってるんだから、たまには普通に楽しんでもいいだろう。
「……」
 長門は僅かに首を振る。
「それじゃあ1枚ずつ引いてちょうだい!」
 俺の引いたクジに書かれていた数字は4。
 最初に戦うのは誰だ。ハルヒ長門は手強そうだから勘弁だな、出来れば朝比奈さんの豊満なボディを目の前で堪能したいものだが――
「いやあ、あなたですか」
 5番を引いた古泉がクジをヒラヒラさせながらニヤけていた。よりによってお前かよ。
 結局、左右のブロックに男女別になる形になった。左側のブロックでは、長門と朝比奈さんが最初に勝負をし、長門――いや、勝った方がハルヒと戦う事になる。
 箱には幅1メートルほどのネットが入っていたのだが、ハルヒはそれには不満だったらしく、回転箒やら紐やらを使って即席のネットをこしらえてしまった。
「ほら、そこ空けなさいよ」
 へいへい。
 俺と古泉で机や椅子を邪魔にならないように壁際に寄せていると、ハルヒが即的ネットを部室の真ん中に置いて床にチョークでコートを作っていく。どうでもいいが床の後始末はちゃんと自分でやれよ。
「それじゃ、最初は有希とみくるちゃんね。5点先取で勝ちでいいかしら」
 それぞれ片手にブタを持った長門と朝比奈さんが対峙する。制服とメイド服の時点で、勝負は決まったようなもんだろう。それにしてもシュールな光景だなオイ。
「では、僕はラインズマンをやります」
 誰にも言われていないのに率先して古泉がコートの横に待機する。どうでもいいがスカートの中は覗くなよ。
「どちらのですか?」
 うるさい黙れ。
「真剣勝負だからね! くれぐれも手を抜いたら駄目よ!」
 それは朝比奈さんに死ねと言っているのか。
 そんなわけで試合開始。あっさり長門が勝つかと思いきや、羽が軽いせいで滞空時間が長く朝比奈さんも意外と善戦する。とはいえ、長門が飛ばしてきた羽をなんとか返すのが精一杯で、朝比奈さんはあうあう言いながらブタを必死にブーブー鳴らし、どうにか点を取られないように防いでいるってだけだ。
 しかし、その粘りも長門が3点先取したところで切れてしまい、へろへろになった朝比奈さんが「きゅう」とか言って倒れたのでドクターストップになった。
「大丈夫ですか?」
 抱き起こすと、朝比奈さんは目を回していた。顔を真っ赤にしており、メイド服も汗でしっとりとしている。写真をつけてマニアに売ったら100万は確実だろう。
「いつまで触ってんのよ! あんたは次試合なんだからね!」
 ハルヒがプリプリしながら俺から奪った朝比奈さんを椅子で休ませ、第2試合開始となった。
「手加減しませんよ」
 その言葉通り、古泉は軽快に動いて左右に羽をふってくる。本気で勝ちに来てやがるな。普段はへらへらしたやつだが、何気にスポーツマンなんだよな、こいつ。
 くそ、ちったぁ手加減しろよ。
「すいません、真剣勝負と言われてますので」
 そんなところまでイエスマンじゃなくてもいいだろうに。
キョン、情けないわよ!」
 3−0になったところで、肩で息をしていた俺にハルヒの檄が飛んでくる。お前はまだやってないからわからないかも知れないが、これ思った以上にハードだぞ。
「……」
 俺が汗だくになっているのを見かねたのか、長門がカラカラと窓を開ける。風が気持ちいい。長門自身も窓際に陣取っているので、本人も暑かったのかも知れない。
 風が吹き込んでくるようになって、試合の流れが変わった。ラインギリギリを狙っていた古泉の羽がアウトになるようになり、徐々に俺が追い上げる。それでも古泉はテクニックに頼った攻めをしてきたため、最終的には俺が勝った。
「いやあ、参りましたよ」
 にこやかに握手を求めてくる古泉を軽くスルーする。
「ほら、終わったらコートを空けなさいよ」
 即座にハルヒにコートを追い出された。今まで見ているだけだったからウズウズしているんだろう。
 まだ余力の残っている古泉に審判を任せ、窓際で休憩しながら観戦する。
 無駄のない動きで冷静に羽を返す長門に対し、ハルヒはバタバタとコートを駆け回ってブーブーとブタを鳴らせまくっている。
 限界まで握りつぶされたブタによって悲鳴のような鳴き声と共に強い鼻息が放射され、羽を勢いよく押し返す。スマッシュっていうのかね、あれは。
「これでどうだぁ!」
 やかましいことこの上ない。
 最初はハルヒが押していたが、徐々に体力が低下していき動きが緩慢になっていく。それに対して長門はペースを崩さないため、次第にハルヒが押されていく。
 長門が勝つかと思いきや、意外な事に一進一退の攻防を制したのはハルヒだった。
「やったー!」
 ハルヒが拳を振り上げてガッツポーズ。可愛そうだからブタを握りつぶすな。
「それじゃ決勝までちょっと休憩ね、逃げるんじゃないわよキョン
 と言うと、ハルヒは部室を出ていってしまった。
「……」
 試合に負けた長門が俺の横にやってきて俺を見つめてくる。
「残念」
 長門の手の中でブタが悲鳴を上げる。
涼宮ハルヒとわたしは身体的にはほぼ互角」
 ああ、俺が制限したからな。すまなかった。
 もし俺が制限していなかったらどんな事が出来たんだ?
 長門の口がぱくぱくと動き、テープを早回しにしたような声が聞こえる。
「こう」
 そのブタを俺に向けた瞬間、長門の手から轟音と共に突風が巻き起こる。
 ああ、やっぱり止めて正解だったな。さすがにそれ使ったらハルヒも何かやってるって気付くだろう。
 ところで、お前は誰に命令する気だったんだ?
「あなた」
 俺に出来る事なら帰ってからなんでも聞いてやるぞ。長門にはいつも世話になってるからな。
「なんでも」
 長門の背後にぱーっと後光が差したような気がした。
 その、なんだ……あんまり変な命令はしないでくれよ。
「お待たせー。キョン、そろそろやるわよ!」
 しばらくしてハルヒが戻ってきた。長門との戦いの疲れはもうすっかり無くなっているようだ。回復力の高いやつめ。
 とはいえ、こちらも体力は回復した。いざ勝負だ。


「そうそう、そこ気持ちいいわー」
 俺はいつもの席でふんぞり返るハルヒの肩を揉まされていた。
 ストレート勝ちしたハルヒの命令は「疲れたからマッサージして」だった。思っていたより過激な命令じゃなくて安堵した。
 やっぱりハルヒの身体能力はおかしい。その有り余る体力を運動部かなんかに入って発散しててくれれば俺たちも苦労しないんだが。
「ほら、さぼってないでしっかり揉みなさいよ」
 へいへい。
 後ろから殴ってやりたい気分だが、後から何をされるかわからないので大人しく肩をマッサージする。
 俺たちの様子を朝比奈さんは微笑ましそうに、古泉はいつも以上にニヤけた笑みで見ており、長門はと言うと――本を開いたまま、俺たちをじーっと見ていた。
 俺じゃなくてもわかるだろうが、不機嫌そうだ。
「気持ちいいわねー。肩じゃなくてこっちもマッサージしてもらおうかしら」
 ハルヒは椅子をぐるっと回して俺の方を向くと、グイッとネクタイを引っ張ってきた。バランスを崩した俺はハルヒの太股に手をついてしまう。
 先ほどあれだけ動いたため、少しだけ汗ばんだ太股はモチのような感触だった。
「んっ」
 おい、妙な声を出すな。自分で触らせたくせにビクっとするな。そして頬を赤らめるな。そんな顔されたら変な気分になるだろ。
「ほら、揉みなさいよ」
 ハルヒがぐいっと俺の手を掴む。
 これはさすがにまずいだろ。その、なんだ、ちょっと手の位置が上すぎないか。足の付け根に近いぞ。
 静かになった部室の中、パタンと何かを閉じる音が聞こえた。スタスタと足音がこちらに近づいてくる。
「有希、どうしたの?」
「……」
 長門は無言で俺の手をハルヒの足から引きはがす。
「ちょっと有希!」
「最初にセクハラ禁止と言っていた」
「ただのマッサージじゃない。こんなの、別にセクハラじゃ――」
「上下関係を利用し、下位にある者に対する性的な言動や行為を強要する事は対価型セクハラに該当する」
 長門は辞書を読むようにスラスラとセクハラの概念を説明する。
 なんとなく、長門ハルヒの間でバチリと火花が散ったような気がした。
 部室を見回すと、朝比奈さんは口元に手をあててあわあわとうろたえており、古泉の笑みも引きつっていた。これは相当やばい状況なんじゃなかろうか。
「被害者が男性の場合でも、相手が嫌がればセクハラになる」
 長門が徐々にヒートアップしていく。普段あまり見せない様子にしばらくぽかーんと口を開けて面食らっていたハルヒだが、
「あら、キョンは別に嫌がってなかったわよ。ねえ?」
 と、急に俺にふってきやがった。
「……」
 長門が俺の方を振り返った。無言だが、主張するように俺を見つめてくる。
「ほら、キョンからも有希に言ってよ」
「……」
 二人の視線が俺に集中した。
「どうなのキョン、嫌じゃなかったんでしょ?」
「……」
 勘弁してくれよ……


 帰り道。
 結局、ハルヒを不機嫌にさせる事は各方面に迷惑がかかるので「別に嫌では無かったが、さすがに足はまずい」という結論に落ち着いた。自分の主張が通った形のハルヒはあれからずっとご満悦で、妙にハイテンションで古泉や朝比奈さんと談笑している。
「……」
 一方の長門はと言うと、まさか俺があそこでハルヒの肩を持つと思っていなかったのか、あれ以来ずっと無言を貫いていた。肉眼で確認できそうなくらいの負のオーラをずっと放出しており、それは今も継続中。
 えーと、だな……長門、ちょっといいか。
「……」
 じとー、という目で俺の顔を見上げてくる。
 いや、あの場を納めるためには仕方がなかったんだ。さっきも言ったが、何でも命令を聞くから、今日のところは勘弁してくれないか。
「……」
 しばらく長門は無言で俺を見つめていたが、
「美味しいもの」
 と呟く。
 美味しいものと言っても色々あるんだが……
「……」
 長門は「自分で考えろ」と言わんばかりの目つきで俺を見つめている。どうやら、今の長門の食べたい物を推理して作らなければいけないらしい。
「あとは」
 まだあるのかよ。
「今日は泊まって」
 いや、明日は平日なんだが……はい、すいません。誰かの家に泊まるって事にします。
「朝は一緒に登校。昼はあなたが作った弁当をあなたの教室で一緒に食べる」
 さすがにそれは、色々とまずいのでは……いや、そんな目をするな。オーケイだ。
「それと」
 まだなんかあるのか。
「わたしにもマッサージを」
 ぷいっと顔をそむけた。
 結局のところ長門は、ハルヒの味方をした事よりもあれが一番気にくわなかったらしい。