今日の長門有希SS

 掃除当番が終わっていつものように部室に向かうと、中にいたのは長門だけだった。
 先に教室を出たハルヒが来ていると思ったが、またどこかで何か余計な事でもやっているんだろうか。後から巻き込まれるかも知れないと思うと気が滅入る。
 ともかく、今は珍しく長門と二人だけというわけだ。
「ちょっといいか?」
 本から目を離して俺の方に視線を向ける。
「今日の夕飯だが、何かリクエストは無いか?」
「……」
 長門は考え込んでいるのか、俺の顔を見つめたまましばらく沈黙する。
 そんなに悩む事もないぞ、長門。別に夕飯を作りに行けるのは今日だけじゃないんだ、今ちょっと食べたいと思った物でいい。
「……」
 それからしばらく目を泳がせてから、
「炒飯」
 と口にする。
「炒飯か。それじゃあ、玉ねぎが無くなってるよな。俺は家に寄ってから行くから、先にスーパーで待っててくれ」
 今や俺は、我が家の台所にある冷蔵庫よりも、長門の部屋にある冷蔵庫の中身に精通していた。と言っても、いわゆるヒモではない。俺が作る時の食費は折半にして小遣いからなんとか捻出しているのだから。
 そう言えば卵の賞味期限も迫っているはずだ。炒飯に使うだけなら余ってしまう。
「ついでに中華スープでも作るか」
「……」
 長門はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて僅かに首を振る。
「ああそうだ、ついでに明日の夕飯の分の買い物もしておこう。パトロールハルヒの機嫌で何時に終わるかわからんから、帰ってすぐ作れるように――」
 トントン。
 ノックの音に遮られた。
「すいません、よろしいですか?」
 貴重な二人っきりの時間を邪魔したのは古泉だった。これが朝比奈さんだったらまだ許せるのだが、相手が古泉となれば話は別だ。
「別によろしくはないが、入りたきゃ入れ」
「いえ、今日はちょっと急がなければならないので、このまま失礼します。みなさんによろしく」
 返事も聞かず、古泉はそのまま去ってしまった。せわしない奴め。
 ドアすら開けずに帰っていくとは、よっぽど急いでいたのだろう。どうせハルヒがらみだろうが相変わらず忙しそうだ。

 それからしばらくして朝比奈さんがやってきたが、結局ハルヒは最後まで現れなかった。いつもは俺たちが休んだらうるさく言うくせに、自分は自由に休んでいいらしい。
「ん?」
 玄関まで来たところで妙な事に気がついた。ハルヒの外靴が下駄箱に入っていたのである。
 ってことは、あいつは学校の中にいるって事だろうか。
「なあ長門ハルヒがどこにいるか知らないか?」
「……」
 何か困ったように、俺の顔を見つめる。
 今日の長門はどこか様子がおかしい。それはまるで、隠し事でもしているように。
「どうしたんだ長門、ちょっと変だぞ」
「もう大丈夫」
 何の事だ?
「口止めされていた」
 誰に……って、長門に命令するような奴は一人しかいないか。
涼宮ハルヒ
 一体、あいつは何て言ってたんだ?
「『あたしがここから出るまでみんなには内緒にして。ナイスアイディアでしょ、みんなの驚く顔が目に浮かぶわ。ビックリさせてやるんだから』と」
 ハルヒがどんな顔をして言ったのか、そしてその口調まで容易に想像できてしまう自分が悲しい。
 さて、その『ここ』とはどこを示す言葉だ?
「掃除用具入れ。今、涼宮ハルヒはそこから出た」
 その掃除用具入れがある場所とは、もちろん――
「部室の中」
 と言うことは、俺が二人きりだと思って長門と話していた時には既にハルヒは掃除用具入れに隠れていたというわけで、出るタイミングを逸したハルヒはそれから俺たちが適当に暇つぶしをして部室を出るまであの狭苦しい掃除用具入れのなかでモップやホウキに囲まれて過ごしていたわけだ。
 なあ長門よ、ハルヒは一体、今どうしてるんだ?
「部室の中で直立不動」
 それはそれは、想像するだけで恐ろしい光景だ。電気のついていない部室の中で、あのハルヒが何もせず突っ立っているとは。
 長門が「あ」と小さく漏らす。
「バットを持って走り出した」
 行き先は聞くまでもないよな。
「ここ向かっているものと推測できる」
 今のあいつに追いつかれたら、俺の生命があの世まで場外ホームランにされるかも知れん。
「逃げるぞ、長門
「その方が賢明」
 俺は素早く靴を履き替えると、長門の手を掴んで走り出した。