C84サンプル 真央の告白 1

 放課後、GJ部の部室にはまったりとした空気が流れている。
 恵は鼻歌を歌いながらお茶の用意をして、紫音はパソコンに向かって淡々とクリック音を鳴らし、綺羅々はソファーに座って目の間に積まれた鶏肉を黙々と食べている。ぱりぱりと乾いた音が聞こえるのは、漫画を読みながらポテトチップスを食べている環だ。油と塩のついた指をぺろぺろと舐めている仕草が、どことなく猫を思わせる。
 大体いつも通りの雰囲気だが、決定的に違うところがある。
「退屈だー」
 真央はテーブルに上半身を預けて足をプラプラと揺らす。
「ったく、なんで今日はキョロいねーんだよ」
 キョロ――京夜がいない。大したことをするわけでもなく、ただ部室に集まってのんびりと時間を過ごしているGJ部だが、出席率は高く、今日のように誰かが欠けるのは珍しいことだ。
「キョロくんが今日の活動に参加できないのは、真央だって承知していたじゃないか」
「わかってるよ」
 パソコンに向かったまま呟く紫音の背中に、真央は言葉を飛ばす。
 京夜に用事があって部室に顔も出さずに帰るというのは、昨日の時点で聞いていた。今日になっていきなりさぼったのではない。
 別に今までこういうことがなかったわけではない。妹に甘い京夜は、妹がらみの用事を足すために部活を休むことがこれまでに何度かあった。
 今回は一体、どういう用事なのか。どこで誰と何をしているのだろうか。そのことが妙に気になり、京夜のことを考えると落ち着かない。
 こんな気分になるとわかっていたら、要件を聞いておくべきだった。どうせ大した用事ではないだろうし、部長命令だと言えばすんなり白状していたはずだ。
「理解はしているけど、納得はしていないといったところかな」
「あん、何が言いてーんだ?」
「キョロくんが自分の知らないところで何をしているのか気になるのだろう? でも、心配する必要はないんじゃないかな。彼が真央の意に添わない行為をするとは、とても思えないからね」
「なんだよそれ」
「そのままの意味なのだけどね」
 真央はそれ以上会話を続けようとはせず、テーブルに突っ伏す。
 紫音の言うことは間違いだらけだ。意に添わないことなら、今まさに行われている最中だ。こんな風に部長である自分をやきもきさせるのは、部員として失格ではないか。真央はそう考える。
「はい、お茶の用意ができましたよ」
 恵がそれぞれ部員達に紅茶を注いでまわる。
「今日はカモミールにしてみました。リラックスの効果があるんですよー」
 机に身を投げ出している真央にも、ハーブティーの独特な匂いが感じられる。のそりと体を起こしてカップに口を付けると、既にミルクや砂糖が入ってミルクティーになっているせいか、飲みやすい。
「お代わりはいりますか?」
 急須を持ったままの恵が、にこにこと笑顔を浮かべながら横に立っていた。
「いや、今まで口つけてないの見てただろ?」
「そうですかー。四ノ宮君がいないと、あまりお茶を淹れられないんですよねー」
 恵は他人に紅茶を入れることを趣味としている。いろいろとこだわっているようで、一般的に考えるとかなり美味しい部類に入るのだろうが、如何せん相手が飲むペースというものを考慮していない。紅茶タンクなどというおかしな異名を持っているのはそのせいだ。
 こんな時、京夜がいれば一気にカップを空にして、恵の欲求を満たしてやるのがいつものことだ。
「あーもう、なんでアイツいねーんだよ」
 半分ほど飲んで減った分の紅茶をわんこそばのように最初の量まで戻されながら、真央は再び不満を口にする。
 やはりGJ部には京夜がいないと駄目だ。あいつがいないと時間が過ぎるのが妙に長く感じられるし、恵のお茶は自分が飲んでやらないといけなくなるし、何より胸がムカムカとする。
 この苛立ちを解消するには、京夜の腕を噛むのが一番だ。もし用事を終えて現れたら噛みついてやろう――などと思ったところで、今日は顔を出さないと言っていたことを思い出し、真央は更に機嫌が悪くなる。
「キョロに会いてーな」
 無意識に、真央の口からそんな言葉が漏れた。
「――へ?」
 何かおかしい。妙な空気を感じた真央は、居住まいを正して部室を見回す。
 部室中の視線が集まっていた。パソコンに向かっていたはずの紫音は、椅子をくるりと回して体ごと向けている。恵は急須にお湯を注ぐ姿勢のまま首だけ回し、綺羅々は肉を口にほおばったまま、反応していないで本を読み続けているのは環くらいのものだ。
「珍しいね、真央がそんなことを言葉にするなんて」
 止まっていた時間を動かしたのは紫音の言葉だった。そこで真央は、自分が何を言ってしまったのか思い出した。
「なしっ――今のなし! 今のは、そ、そういうんじゃねーから!」
「それは、聞かなかったことにしてくれ、ということかな?」
「違う! 言ってない! そもそも私は、何も言っていないからな! ふふん、みんなして幻聴でも聞こえたんじゃないのか?」
「まあ……真央がそうしたいのなら、別にかまわないよ。皆もそうだろう?」
「別にいいんじゃないですかねー」
 環は興味がなさそうに、手元にある漫画に視線を落としている。話を聞いていなかったわけではないらしい。
 恵や綺羅々も同じようなもので、自分自身の時間に戻っていく。
「どうせ真央がキョロくんのことを好きなのは、今更聞かなくても、我々にとっては周知の事実だからね」
「はぁ!? なななな、なに言ってんの!? 変なこと言うなよシイ!」
「おや、変なことだったかな? 真央がキョロくんに好意を持っているのを、ここにいる皆が知っているというのは」
「みんな、知って……? いや、ちがっ、そもそも私は、キョロのこと、そんな風に考えたことなんてない!」
「ふうん」
 紫音は視線を移動させる。
「タマはどう思う」
「まーちゃんがセンパイのことをどう思ってるかですか? そりゃ、好きになんじゃないですかねー」
 漫画を読みながら、顔も上げずに答える。
「ななっ、何を根拠に言ってやがるんだ!? 私はお前に説明を要求する!」
「さっきから、何言ってやがるですか」
 環は本を置いて、怪訝な表情を浮かべている。
「恋人同士なら、好きあってるの、当然だとタマ思うですよ」
 恋人、同士?
「こっ――な――ふぇ――?」
「あれ、タマ、変なこと言ったですか? 誰か説明しやがるですよ!」
「……真央はちょっと大変なようだからね、私が聞くことにしようではないか。さて、タマが言うところの恋人同士というのは、真央とキョロくんのことで間違いないのかな?」
「はぁ、他にもまだいるですか?」
「うん、ちょっとすれ違っているようだね。私たちは、タマが何を根拠に真央とキョロくんが恋人同士だと思うのか、まずそれを説明して欲しいのだよ」
「なんですかドッキリですか。タマ、騙されないですよ。どっかにセンパイ隠れてるですか?」
「いやいや違うんだ。当事者も含めて、恐らくタマ以外の認識だと、真央とキョロくんは恋人同士ではないんだよ」
「は、はぁぁぁっ!? 冗談も休み休み言いやがるです! タマが入部した時から、どう見ても二人は付き合っていたですよ!」
「……なるほど、理解したよ」
 少しだけあっけにとられたような顔をしてから、紫音は首を大きく縦に振る。
「どうやら客観的に見ると、真央とキョロくんは、恋人同士にしか見えないということのようだね。部員のタマですらそんな風に思ってしまうのだから、今までどれくらい真央がキョロくんに対して恋人同然の接し方をしていたのか、ちょっと考えた方がいいのではないのかな?」
「んなっ!」
「真央、口元がにやけているよ。悪い気はしないのかな」
「ばっ、ばか言うな! だいたいキョロだぞ! あんな情けなくて、頼りないやつ!」
「四ノ宮君優しいですよねー。お姉ちゃんがわがままを言っても怒らないし」
「真央の行為を、わがままという言葉で片づけていいかどうかはよくわからないけど……普通なら怒って退部してしまってもおかしくないようなことを真央がしても、いつも笑顔で付き合ってくれているからね。優しいという評価は正しいと私も思うよ」
 にやりと口元に笑みを浮かべる。
「その優しさは、もしかすると相手が真央だからかも知れないね」
「へっ、変なこと言ってんじゃねーっつーの!」
「ふうん……そうか、真央はキョロくんのこと、何とも思っていないのかい?」
「そうだ! 誰があんな情けない奴!」
「それなら話が変わってくる。私にもまだチャンスがあるということかな」
「へ……? シイ、お前、何言って――」
「今までは真央に遠慮していたけど、そういうことなら、ちょっとアプローチをかけさせてもらおう。少なくとも嫌われてはいないだろうし、彼が私の恋人になってくれるなら、そんなに嬉しいことはないね」
「シイ……冗談、だろ?」
「彼は今までの人生で私が出会った中で、最も恋人にしたい男性だ」
「うそ……お前、モテんじゃん。もっといろんな男、誰でも選び放題、だろ?」
「どんなに素晴らしい相手でも、恋人にしたいかというのは別問題だよ」
「う――そ、だ」
「……すまない、やりすぎてしまったようだね」
 紫音はそう言うと、ポケットからハンカチを取り出した。
「え……どういう、コト?」
「嘘は言っていないのだけどね。私はそれほど他人との出会いがあったわけじゃないし、異性の知り合いが多くはない。その中で選ぶのならキョロくんは確かにいい人ではあるけれど、真央から奪って付き合いたいと思うほどではないよ」
「奪う、って……」
「つまりね、今のように『他人に取られるかも知れない』と思っただけで真央がそうまでなってしまうのを知って、彼に手を出そうと思うような人間はこの部にはいないということだよ」
 そう言うと、紫音は真央の頬をハンカチで優しくぬぐう。
 真央の目から流れた一筋の涙の跡を。