消失の長門有希 サンプル 第二章(「涼宮ハルヒの消失」ネタバレご注意)

 学校に向かうため自転車に乗って家を出る。
 これだけを聞けば普通は自転車で学校まで行くと思うだろうが、そうではない。俺たちの通う県立北高校は山の上に位置しており、そこまで自転車で登ることが困難だからだ。
 だから、駅前の駐輪場に自転車を停めてからが本番だ。俺たちの登校はまだ始まったばかりだ――などとたわけたことでも考えていなければ、ここから延々と続くハイキングコースを登る気にはとてもなれない。
 駅からの通学路は基本的に一本道だ。住宅地を抜けて山道を通る。歩道は狭く、大きな車が通過していく時は空気の流れを感じるほどだ。そんな道をしばらく歩くと、今度は急な上り坂がある。ここを登り切ればようやく俺たちの学校にたどり着くわけだが、その頃には精も根も尽き果てている。この時ばかりは、駅からさほど離れていない高校に通うハルヒたちが羨ましくなる。
 門をくぐり、玄関に辿り着いた時点で軽くジョギングをしたような疲労感があった。俺は上履きに履き替え、さっさと体を休めようと教室に向かう。
 教室が近づくと同じクラスの奴が増える。俺の真正面から近づいてくるのもそのうちの一人だった。
 誰かとすれ違う際、そのまま真っ直ぐ進めばぶつかってしまうことがある。こういう時は左右のいずれかによけなければならないが、たまに二人が同じ方向に動こうとして通せんぼの状態になってしまうことがある。
 今、まさにそのような状態になっていた。進行方向を塞ぐそいつは、俺が右に移動すればそちらに、左に移動すればそちらに体をスライドさせる。わざとやってるんじゃないだろうな。
「話があるんだけど」
 どうやら意図的に俺の進路を妨げていたらしいそいつは、強ばった表情でそう切り出した。
「何の用だ?」
 つい、答えがぶっきらぼうになってしまうは仕方がないだろう。今のこいつには心当たりもないだろうが、俺にはあの夕暮れの教室の記憶が鮮明に残っている。
 目の前にいる朝倉涼子にナイフを向けられた、という記憶が。
「昨日、何をしたの?」
 まるで取調室で犯人に尋問をするような口調で朝倉は問いかけてくる。
「何をってなんだよ」
 授業の最中は常にこいつが後ろの席にいたし、聞いているのは恐らく放課後のことだろう。
 昨日は授業が終わって部室に行ったところですぐにハルヒがやってきた。それから夕方まで部室で特に何をすることもなく過ごし、三人で駅の方まで帰った。
 そういや確か、あいつは部室に入ってきた時に「苦労した」とか言っていたな。変装もしていなかったし、もしかするとその間に何かやらかしていたのかも知れない。クラス委員のこいつが頭を悩ませるような何かを。
「さあな」
 だが、あいつが何をしでかしたか俺は聞いていないから答えようがない。仮に知っていたとしても、こいつに言うのは得策ではないだろうが。
「とぼけないで。あなた、長門さんに何かしたんでしょ」
長門?」
 予想外の質問だった。
 どちらかというと、長門に何かをするとしたら俺よりハルヒの方だが、昨日のハルヒは特におかしなことをしていないはずだ。
長門がどうかしたのか?」
 俺の態度で隠し事をしていないことがわかったのだろう。朝倉の表情から敵対心のようなものが消える。
「本当に知らないの?」
「ああ、悪いが心当たりはない」
「そう……」
「一体どうしたんだ」
 もし解散した後に何かあったのだとしたら心配だ。長門は気が小さいので、もし変な奴にでも絡まれたら対処できそうにない。
「昨日、長門さんのところにご飯を持っていったんだけど、あんまり食欲がないみたいだったの」
「ただ単に口に合わなかっただけじゃないのか」
「違うわよ。カレーは長門さんの好物だし」
「そうか。じゃあ、どういうことだ?」
「態度には出さないようにしてたけど、ちょっと落ち込んでたように見えたわ。だから、あなたが何かしたんだと思ったんだけど」
「ちょっと待て、どうして俺が原因ってことになるんだ」
「それは……」
 朝倉は赤ん坊がどこから来るのかたずねられた母親のように沈黙して俺を見つめてから「勘よ」と呟いた。
 そうかい。
「おかしなことをしてないならいいわ。引き留めて悪かったわね」
 教室に戻っていく朝倉を見送る。散々歩いてきた上に立ち話をしたのですぐにでも座りたいところだが、俺は教室に入る前に隣のクラスを覗き込む。
 そこには長門の姿がある。席に座って分厚い本を開き、眼鏡越しにそれを読んでいる長門
 ここから見る限りおかしな様子はないが、態度には出していないと朝倉が言っていたことだし、見てわかるようなものではないのだろう。
 予鈴が鳴って廊下に出ていた生徒たちが教室に入り始めたので俺もそれに倣う。自分の席に着き、ようやく体を休めることができた。