裸の太陽

 紫吹蘭は紙箱を片手に、ホテルの廊下を歩いていた。
 現在はソレイユツアーの真っ最中だが、蘭は東京に戻ってスパイシーアゲハの打ち合わせに参加してから、次のツアー先のホテルにやってきた。
 半年間の全国ツアーに専念している状態ではあるが、他の仕事を全くしないわけではない。長いこと調整をしたおかげで、全員がツアーの移動日をかねて別々の仕事ができる状態になっている。
 いちごはこのツアーのためにレギュラーラジオをリニューアルして時間と曜日を変更したし、あおいのイケナイ警視総監もスピンオフドラマが放送されていて、あおいの出番はかなり少なくなっている。
 ソレイユの全国ツアーは、半分くらいは自分たちの我が儘だ。それに周囲を巻き込んで迷惑をかけている形になってしまっているのは、蘭としても心苦しい。ファッションショーの日程も、ソレイユの都合に合わせて決めてもらっている。
 しかしこれは『三人がどうしてもやりたかったこと』だ。それぞれ売れているのはありがたいことであるが、そのせいで疎遠になってしまうのは、どうしても避けられなかった。
 カードキーの番号を確認して、蘭は足を止めた。
 このツアーでこだわったことの一つに、滞在先のホテルでは同じ部屋で寝泊まりする、というものがある。
 三人ともアイドルとしてそれなりに売れているので、それぞれ別室をもらっても不思議ではないが、敢えて三人部屋にしてもらった。
 いちごとあおいは、ルームメイトなのでどんなに忙しくても、一緒に過ごす時間は捻出できる。だからこのツアーは、二人が蘭のためを思って、一緒に過ごす時間を増やせるように考えてくれた側面もあるだろう。蘭はそのことについて、二人に深く感謝している。
「二人とも喜ぶかな」
 蘭は手に持った紙箱に目を落としてから、カードキーを差し込んだ。
 今日は仕事が普段より早く終わり、駅ビルにあった有名な洋菓子店でシュークリームを買った。本来ならば体型をキープするため夜はあまり甘い物を食べない蘭ではあるが、珍しく早く戻ってこられたこともあって、思わず買ってきてしまった。
 甘い物を好きないちごは特に喜ぶはずだ。
 口元に笑みを浮かべながら、蘭は部屋に入った。
「ただい――」
 中に入って、蘭の足が止まる。
 正面に金色のものがあった。肌色の何かに挟まれた、もじゃもじゃとした塊を見て、最初は蘭にもその正体がわからなかった。
 蘭の手から紙箱が滑り、床に落ちてどさっと音を立てた。
 それはいちごの頭だった。
 ベッドの上で、裸のいちごが同じく裸のあおいに覆い被さっていて、それぞれが逆の向きで、いちごが頭を埋めているのはあおいの太股の間だ。
 ただ裸でいるだけなら何かの勘違いである可能性があったが、その体勢が、ぴちゃぴちゃと聞こえてくる音が、紛れもなく「そういう行為」をしているのを蘭に知覚させた。
「え――あれ、蘭?」
 ようやく蘭の存在に気付いたように、いちごはゆっくりと顔を上げた。
 どこかぼうっとした顔は、真っ赤に染まっていて、グロスでも塗ったように口の周りがヌラヌラと光っている。
 いちごが頭を持ち上げてたことで、それまで隠れていたあおいの股間も目に入った。バスタオルの上で大きくM字に開かれた脚の間は、ぐしょぐしょに濡れて、控えめな恥毛が太股に張り付いているのが蘭にもわかった。
「悪い!」
 慌てて蘭は部屋を飛び出した。
 廊下に出て、ドアを閉めて、蘭は壁にもたれてずるずるとへたり込む。
 二人があんな関係になっていたなんて、蘭は全く気付いていなかった。
 いったい、いつからだろうか。二人はルームメイトで、スターライト学園に来る前から同じ学校だった。最初から、それとも最近になってからだろうか。本当は二人きりで過ごしたかったのではないか。三人で過ごす時間を増やすためのソレイユツアーだが、自分の存在は邪魔になっているのではないだろうか。そもそもなんで教えてくれなかったのだろうか。
 まとまりのない考えが蘭の頭の中をぐちゃぐちゃにかき回す。
 息が苦しい。心臓がドキドキして、肺のあたりが押しつぶされそうだ。
 何にショックを受けているのか、何が苦しいのか、蘭にはわからない。
 ただ、つらい。
 心が痛くて、苦しくて、自分が今どんな顔をしているかもわからなかった。これからどんな顔をして二人の前に立てばいいのか。何もかもがわからない。
 どれくらい経過してからか、かちゃりとドアの開く音が蘭の耳に届いた。
「蘭――」
 いちごの声だ。
 まだ混乱して、どうしていいのかわかっていない。それでも蘭は頭を上げて、声の方向に顔を向ける。
 そこで大きくため息をつく。胸のあたりでもやもやしていた何かが、蘭の中から急激に消えていった。
「これ美味しいね」
 ドアの隙間から見えたいちごは、蘭が買ってきたシュークリームをムシャムシャと食べていた。
「あたしの分まで食べていないよな?」
 そう言うと、蘭は立ち上がって部屋に入った。


 蘭は椅子に、いちごとあおいはベッドに腰掛けて、向かい合っていた。それぞれの手にはシュークリームがあり、無言で、ぱくぱくと食べている。
 箱のまま床に落としてしまったが、特に潰れたものなどはなかったようだ。もしケーキを買っていれば、こうはいかなかったかも知れない。
「って、どんな状況だよ」
 無言のまま、いちごが次のシュークリームに手を伸ばしたところで、蘭が呆れたような声を出す。いちごはそれで一瞬動きが止まったが、やはり箱の中に手を伸ばしてもう一つを取り出すと、口に運んだ。
 蘭とあおいは一つずつで、いちごには三つ買ってきた。よく食べてよく動くいちごは、それくらい食べても問題ないだろうという判断だ。
「変なところを見せちゃってごめんね」
 シュークリームを片手にあっけらかんと言ういちごに、蘭は深刻に考えていたことが馬鹿らしくなってしまう。
「あたしの方こそ悪かったよ。ノックもしないで開けてさ」
 二人が自分に見せられないようなことをしているという状況を、蘭は全く想定していなかった。
 親友で、女同士で、二人のことがかけがえのない存在で、蘭にとってはツアーの滞在先のホテルの部屋は、自分の家のような感覚になっていた。ここに来るのは、前の都市からの移動を挟んで今日が初めてだったのだが、二人が待っているというだけで、スターライトの寮の部屋よりも『自分の帰る場所』という気持ちだった。
「蘭、怒ってない?」
「別に怒っちゃいないけど……どっちかって言うと、ショックだったのかな」
 もたれかかると、背もたれがぎしりと音を立てる。
「アイドルだし、女同士だし、他人に言いづらいのはわかる。でも、親友のあたしには教えて欲しかった……なんて、ワガママかな。二人が付き合ってるって」
「付き合う? なにが?」
 蘭の言葉に、いちごがきょとんとした表情を浮かべる。
「あおい、わたしたち、付き合ってるの?」
「そうだっけ?」
「どうだっけ」
 そんな二人のやりとりをぽかんと口を開けて見ていた蘭だが、大きく頭を振る。
「いやいや、あんなことをしてて、付き合ってないっておかしいだろ?」
 どう考えても見間違いではなかった。今は二人とも服を着ているが、蘭が入ってきた時は全裸で、ちょうど今腰掛けているあのベッドで、お互いの股に顔を埋めて――と、そこで蘭は思い出すのをやめた。これ以上考えると、変な風に意識してしまう。
「まさかあたしの見間違いとか言い出すわけじゃないよな?」
「ううん、してたけど……オナニー」
「オナ――なに?」
「もしかして、蘭、オナニー知らなかった? オナニーっていうのはね」
「いや、言わなくていい。知ってる――てか、ええっ!?」
 話が噛み合わず、蘭はひどく混乱する。
「ちょっと待ってくれ。あたしが帰ってきた時、いちご達はその、二人でしてたよな」
「うん、二人でオナってたよ? ね?」
「だね」
「だね、じゃない。いやいや、セックスだろ?」
「セックス?」
 いちごが不思議そうに首を傾げる。
「何言ってるの、蘭? セックスって、男の人と女の人が子供を作るためにする、あれだよね?」
「ああ」
「じゃあ違うよ。わたし達、女の子同士だもん。あれ、もしかしてあおい、男の子だった?」
「違うよ。いちごも違うよね?」
「うん。じゃあ大丈夫、オナニーだよ」
「なっ――」
 二人のやりとりに蘭は言葉を失う。
「どうしたの、蘭? 鳩が鉄砲食らったみたいな顔しちゃって」
「豆鉄砲。鉄砲じゃ死んじゃうでしょ」
「あ、そうか。死んじゃうのは可愛そうだね」
「だね」
「なあ、二人とも、それマジで言ってるのか?」
「鳩の話?」
「じゃない。その、女同士だから、オナニーだって」
「え、うん」
「あおいもか?」
「そうだけど……さては蘭、本当はオナニーって知らないとか?」
「知ってる。むしろ知らないのは、あんたらの方だ」
 そこで蘭はアイカツフォンルックを取り出し、ウィキペディアや子供向けに性教育について書かれていたホームページを探し、二人に説明する。
 どうやら二人の通っていた小学校では、きちんとした性教育が行われておらず、かなりあやふやにしか理解していなかったらしい。さすがに月経の仕組みや生理用品の使い方などはわかっていたが、具体的な性行為についての説明が少なかったのと、マスターベーションについての説明が一切されていなかったせいで、二人は『子供を作るための行為がセックスで、それ以外は全てオナニーである』と解釈をしていたとのことだ。
 スターライト学園では、アイドル達を性的な目で見る大人達に対処するため、そういうことは自衛のために早いうちからきちんと教えられている。初等部から通っている蘭の場合は、初等部の間に何度か、中等部に入ってからも最初の頃にかなり詳しく授業があった。
 二人は秋からの編入で、その授業を受けていなかった、ということだ。
「はー」
「そうだったんだ……」
 二人にとっては衝撃だったらしく、ベッドに倒れてうなったりため息をついたりしている。
 その反応は、とても演技ではできないことだ。最初は二人が誤魔化して突拍子もない嘘を言っているのかと思った蘭だったが、女優として活躍しているあおいはともかく、いちごには無理だ。よっぽど以前からこういう状況を想定していたのなら可能かも知れないが、あの短い間にそこまで口裏を合わせるのは、不可能だろう。
「にしても、普通、どこかで知るだろ……」
 ため息をつきたいのは蘭のほうだった。間違った知識を『常識』として思いこんでいる二人を相手に、きちんと理解させるのは、かなり骨の折れる仕事だった。しゃべりすぎたのか、酸欠になったように胸のあたりがわずかに苦しい。
 考えてみると、蘭は二人と恋愛の話をした記憶が、ほとんどなかった。
 出会ってすぐの頃、確かおとめが誰かに恋をしているとかそんな勘違いがあって、恋愛について話したこともあるような記憶があるが、それくらいだ。
 だからそういった話をする機会は今までなかったし、きっと、そんなことを考えている暇もないほど、三人ともアイドル活動に集中していたということだ。
 かくいう蘭自身、性教育で学んだ正しい知識はあるが、性について一般的な女子高生が知っているようなことはほとんどわからないだろう。アダルトビデオだって見たことはない。
 女の性器が、あんな風に濡れるのを、蘭は初めて目の当たりにしてしまったのだ。
「とにかく」
 思い出しかけたことを追い出すように、蘭は首を横に振る。
「今後はもう、二人でセックスするのは禁止な」
「えぇーっ、ムラムラしたらどうすればいいの?」
「自分でなんとかしろ」
「無理だよー。だって、自分じゃおまんこ舐められないし」
「舐めっ――」
「いちご、舐められるの好きだもんね。舌を入れたら、きゅーって締め付けてくるし」
「あおいはおっぱいだよね」
「そうそう、いちごに乳首を噛まれるとゾクゾクしちゃう」
「あおいはほんと、ママだよねー」
「やめろ!」
「どうしたの、蘭? 真っ赤になっちゃって」
「駄目だ、我慢しろ!」
「でも、あおいにおまんこ舐めてもらわないとイケないんだよ? もし舌が届いたとしても、自分のおまんこはなんか気持ち悪いし。あおいのを舐めるのは好きなんだけど」
「わたしも自分の胸は届かないしなー」
「そういう話も、やめろ!」
 蘭は荒い息を吐く。
 二人が裸で抱き合っていた光景が、部屋に充満していた汗と体液の匂いが、ぴちゃぴちゃというイヤらしい音が。
 必死に追い出していた記憶が、蘭の頭に押し寄せてくる。視界がチカチカする。まともに呼吸ができなくなる。
「なんであおいとオナ――エッチしちゃ駄目なの? 子供ができる心配もないよ?」
「そういうのは、倫理に、反する」
「気持ちいいのは、いけないこと?」
「付き合ってもないのに、セックスするのは、いけないことだ」
 頭がぼうっとして、二人の言葉に何を答えているのか、蘭自身もよくわからなくなっていた。
「蘭はしたことあるの?」
「ある……けど、怖くて、すぐやめた」
 初等部だった頃、蘭は性教育のあとで、マスターベーションを試したことがある。しかし、ゾクゾクとわき上がってくる未知の感覚が恐ろしくなって、すぐやめてしまった。
「じゃあ、わからないよね? ゾクゾクして、心が満たされて、すっごく気持ちいいんだよ?」
「私は胸がきゅーってなって、ふわふわして、どこかに飛んでいっちゃうみたいな感じ」
「もうやめてくれ!」
 目を固く閉じて、頭を抱える。
「女同士でセックスをするのが駄目なの?」
「蘭、もしかして、私たちが気持ち悪い?」
「違う!」
 頭を抱えたまま、髪を振り乱して否定する。
 知らなかったとはいえ、女同士でセックスをしていた二人を、蘭は気持ち悪いなんて少しも思わなかった。
「でも、なんか、ヤなんだよ! 二人がわけわかんない話してるのが!」
 そう、つまりはそれだ。
 親友だと思っているいちごとあおいが、自分のわからないことを話しているのが、なんとなく嫌だった。恋愛とか嫉妬とかではなく、これはきっと、疎外感だ。
 こんな気持ちになったのは、きっと、二人でソレイユを作ると聞いた時以来のことだ。
「じゃあ、蘭にも教えてあげようか?」
「蘭も気持ちよくなったら、私たちが我慢できないっていう感覚、わかるかもね」
 二人の声が蘭の耳元で囁かれる。いつの間にか蘭の体は、二人に抱きしめられていた。
「ねえ蘭、どうする?」
「蘭?」
「……頼む」


「本当にこれで、よかったのかな」
 裸のままベッドに横になり、いちごは呟く。
「でも、これしかないって、決めたよね」
 疲れ切って眠る蘭の髪を手櫛で整えながら、あおいが答える。
 ベッドはそれほど小さいわけではないが、さすがに三人だと狭く、二人は間に蘭を挟んで密着していた。
 蘭に説明した話は、途中までは本当だった。スターライト学園に入ってそれほど経たないうちに、二人はオナニーの延長として二人でエッチをするようになっていた。
 嘘を付いたのは、途中でそれがオナニーではないと気付いていた、ということだ。とはいえ、中三になっていちごがアメリカから戻ってきた後なので、普通に比べれば相当遅いのだが。
 実際、いちごはあおいとは付き合ってはいない。最初から親友同士だったし、今もそうだ。知らずにセックスをしていたと気付いた時はさすがに話し合いをすることになったが、結局、それまでの関係を変えないことにした。
 もしどちらかに恋人ができれば状況が違ったかも知れないが、そうはならなかった。二人はアイドル活動に一生懸命で、恋愛をする暇なんてない。
 蘭とも一緒にやりたいと思うようになったのは、いつ頃からだろう。そう考えるようになってからだいぶ時間が過ぎていて、もう思い出せない。
 そのための準備の一つが、ソレイユの全国ツアーだった。この状況に話を持って行くには『蘭が事故で目撃してしまう』というシチュエーションが一番成功率が高そうだったのだ。蘭の仕事が珍しく早く終わったのを、キラキラッターの情報であおいが把握して、決行に移したのが今日だ。
 あとは蘭の性格を考えて、二人がまだ勘違いしているという嘘をつけば、蘭が説明する流れになるのは見えていた。
 とはいえ、半分くらいは賭けだった。もし蘭に「見なかったことにする」と言われてしまえば、それまでだった。
「ほんとに、うまくいってよかった」
 今の状況は、前々からの準備と、幸運が重なったおかげだ。
 いちごは、あおいも蘭も、どちらも好きだった。半ば強引な展開ではあったのものの「やめなくてもいい」「これからは三人でもしよう」という言葉を、蘭の口から引き出すことができた。
 ソレイユの活動をずっと続ける、というよりも、ただ「三人でずっと過ごしたい」という、ワガママだった。
「蘭、泣いてたね」
 綺麗な蘭の顔に、涙の後が残っている。いちごはそれを指でなぞって、ため息をつく。
「怒るかな」
「そりゃ怒るよ」
「だよねー」
「でも、最後は許してくれると思う」
「うん……」
 蘭の性格は、いちごもよくわかっている。厳しい性格だが、結局のところ、二人には甘いのだ。
「ごめんね、蘭」
 いちごは蘭の目元にキスをする。
「お説教は明日聞くから、もう、眠い……」
「私もさすがに疲れちゃった」
「じゃあ、今日はこのまま三人で寝ようか」
「だね」
 いちごは蘭の体を抱きしめた。もぞもぞとあおいの動く音がして、いちごのお腹のあたりに触れる。あおいも同じ事をしているようだ。
「暑い……」
 蘭の寝言を聞き、ふふっと笑いながらいちごはそっと目を閉じた。