東郷美森「満開の後遺症でおちんちんが生えてしまいました」

 朝、目覚めるたび、東郷美森は絶望感に包まれる。
 股の間に違和感がある。バーテックスとの戦いの際に満開した後遺症で生えてしまった異物は、朝になるたびに存在を主張する。
 自分の体が変化して、美森はそれがどういうものなのか徹底的に調べた。医学的な文献や、ネットの情報。保健体育、生物の教科書など。手に入れられる限りの知識を集めた。
 これは俗に『朝勃ち』と呼ばれるものだ。性的興奮や刺激を受けなくても、寝るたびに勝手にこうなってしまう。生理的な現象である。
 美森はこの状態のものにひどく嫌悪感を持っていた。平常時はぶよぶよとした肌色の芋虫のような物体だが、どこか愛嬌はある。しかし、固く肥大した状態になると、妙にツヤのある赤黒い先端部分が包皮から飛び出し、全体が大きく上に反り返る。血管が浮き出て、ビクビクとする肉塊は、醜悪としか表現しようがない。
 不快感を覚えるのは見た目だけではない。普段は別のことに集中していれば存在を忘れられるのに、この状態では異物感が強く、何をしていても常に存在を意識させられてしまう。こんなものが体についていることを、一秒でも忘れていたいというのに。
 ベッド脇を一瞥する。下肢の機能を失っている美森のベッドの横には車椅子があり、いつもそれを押してくれる人物の顔が思い出される。
 結城友奈。隣の家に住む、同い年の朗らかな親友。初めて会った時、車椅子に乗る美森に哀れみや奇異の目を向けることなく、自然に接してくれた優しい少女。
 彼女もバーテックスと戦う使命を帯びた、勇者の一人だ。勇者ということを抜きにしても、彼女の気高い心の有り様は、美森にとって尊敬に値する。
 遠くから呼び鈴の音が聞こえてきて、美森はため息をついた。掛け布団を外すと嫌でも視界に入る下腹部から目を背け、のろのろと車椅子の上に移動する。
 車椅子に座った事で、足の間に挟まった固い異物を太股に感じ嘔吐感を覚える美森だが、腕に力を入れ車輪を回す。
「東郷さん、おはよう」
 玄関の外から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「今日は体調、どうかな? 大丈夫だったら一緒に学校に行かない?」
「ごめんね友奈ちゃん。今日も体調が優れなくて」
「そっか。じゃあ、元気になったら一緒に行こうね」
 そんなやりとりをして、あっさりと立ち去ってしまう。
 下腹部に異物はあるが体調は問題ない。単なる仮病だ。彼女もきっとわかっていて、この茶番に付き合ってくれている。
「ごめんなさい友奈ちゃん」
 誰もいない玄関の向こうに、美森はもう一度だけそう言った。


 部屋に戻り、再びベッドに横になる。
 あの日から美森は学校には一度も行っていない。全てがどうでもよくなり、一日の大半を、自分の部屋で無為に過ごしている。
 外に出たのは、たった一度きりだ。
 今の美森の状態を一言で表現するのなら、いわゆる引きこもりである。家族にも何も言われないが、自由というほど気楽なものではなく、ただ重苦しい虚無感の中で時間をすり減らしている。
 恐らく友奈に全てを委ねているのだろう、勇者部の他の面々も無理に登校を勧めてくるようなことはない。かと言って心配されていないわけではないのは、長いつきあいでわかっている。もし学校に行けば、何事もなかったように迎えてくれる光景が、実際には見てもいないのに目に浮かぶ。
 しかし、美森はそうする気にはなれなかった。
 こんな醜悪なものを足の間にぶら下げて友奈の前に姿を見せるのが、どうしても耐えられない。
 仮にこんなものが付いていると知っても、彼女は何も変わらずに接してくれるだろう。それどころか――
「っ」
 美森は慌てて自分の脳裏に浮かびかけた考えを振り払う。
 彼女の笑顔、一緒に温泉に入った時に見た素肌、抱きしめられた時の体の感触、彼女の匂い、声。結城友奈という存在について考えるだけで、股間に生えた異物は大きくそそり立って固さを増す。
 美森の心は異物に蝕まれていた。かけがえのない親友を、性の対象として見るようになってしまった。
 彼女を滅茶苦茶にしたい。
 その欲望が日に日に増しているのを、美森は感じている。彼女の顔を見たら、理性で抑えられるかどうかわからない。
 友達思いの優しい彼女は、美森が頼めばどんなお願いでも聞いてくれるだろう。だからこそ、駄目なのだ。気高く純真な友奈を、欲望を満たすために、汚して、堕としてしまう。
 満開の後遺症は元には戻らない。だから美森は、自分には二度と彼女に前に姿を見せる資格がないと、そう思っていた。


 支給されたスマートフォンの警報が鳴る。
 勇者にはバーテックスを撃退する使命が課せられ、バーテックスが攻めてくるたびに戦いに駆り出される。
 あれから何度か侵攻を受けたが、美森は戦いには参加していない。神樹が作り出した結界である樹海に巻き込まれても、何もしないでただ戦いが終わるのを待った。スマートフォンでは勇者同士それぞれの位置が把握できるので、他の面々も美森がどこにいるかわかっているはずだが、接触してくることはなかった。
 そのうち、樹海に転移させられることもなく、ただ時間の止まった現実世界に残ることも増えた。精霊達は戦いに参加させたかったようだが、美森は完全に無視を決め込んだ。
 自分の部屋に引きこもり、バーテックスとの戦いを拒絶する。
 もはや、東郷美森は勇者ではなかった。


 呼び鈴の音で目を覚ます。
 家から出なくなった美森の生活は、昼夜の区別がなくなっている。寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。獣のような生き方になっていた。
 それでも、この瞬間だけは「朝だ」と実感できる。彼女が迎えに来てくれるこの時が。
 美森は重い体を無理矢理に動かし、ベッドから車椅子の上に移る。腕の力だけで体を持ち上げて車椅子に座り、足を引っ張って移動させる。
 体を前のめりにしたせいで腹部に異物が触れ眉をひそめるが、美森はその感触を振り切るように車椅子を動かす。
 不摂生な生活をしているせいか、腕に力が入らない。普段より重く感じる車輪を回し、時間をかけて玄関に到着する。
「東郷さん、おはよう」
 部屋を出てしばらく時間が経ったので既にいなくなっている可能性も考えたが、玄関の外からは普段と変わらない声が聞こえてくる。
 その声を耳にして、体の芯に熱が入ったような感覚を美森は感じた。
「今日は体調、どうかな? 大丈夫だったら一緒に学校に行かない?」
「ごめんなさい友奈ちゃん」
 嘘をついて。勇者の使命を押しつけて。
 親友相手に欲情してしまって。
「本当に、ごめんなさい」
 美森の体に生えた異物は、まるで金属になったかのように固く、膨張していた。
「東郷さん?」
「今日も学校には行けないの。友奈ちゃん、もう――」
 来なくてもいい。そう言いかけて、美森は言葉を切る。
「もう、友奈ちゃんは学校に行かないと。遅刻してしまうかも」
 彼女に会う資格はないのに、この扉ごしの逢瀬だけは失いたくないと、美森はそう思ってしまった。
「そっか。じゃあ、また明日ね」
 若干の落胆が感じられる声。外にいる友奈が、ゆっくりとした足取りで、扉から遠ざかっていく。
「ごめんなさい」
 車椅子の上に座り、遠ざかっていく足音を聞く。
 そこで、美森が違和感を覚えるのと、外からガタガタと大きな物音が聞こえたのは同時だった。
「友奈ちゃん!」
 思わず飛び上がりそうになり、美森は前のめりに車椅子から落ちる。とっさに顔を打たないようにかばった腕に痛みが走る。
 どこか傷めたかも知れないが、そんなのは今の美森にはどうでもいいことだった。両手で這うようにして、腕の力だけで体を起こして玄関の扉を開け、玄関の外にいる親友の姿を見る。
「そんな――」
 そうして美森は崩れ落ちる。
 玄関のすぐ外で転倒していた友奈は、頭と腕に包帯を巻いている。
 そして彼女の腕には、肘のあたりで固定された金属の杖が取り付けられていた。
 わかっていたはずだ。美森が欠ければ戦力は落ちる。戦力が落ちれば、バーテックスとの戦いが困難になる。困難になれば――誰かが無茶をしなければいけなくなる。
 そういう時、率先して自分の身を犠牲にするのが誰か、考えるまでもない。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
「東郷さんも辛かったんだよね。謝らなくてもいいよ。むしろ、私の方が謝らないといけないんだから」
「そんな! 友奈ちゃんに悪いところなんて、あるはずが」
「ごめんね。もう、東郷さんの車椅子、押せなくなっちゃった」
 そう苦笑いを浮かべる友奈に、美森はただ、泣き崩れた。


「本当は、東郷さんが出てきてくれなくて、ずっとほっとしていたのかも知れない」
 ひとしきり泣いて落ち着いた美森は、友奈と共に自室に戻った。
 派手に転倒した友奈だが、大きな怪我はなかったらしい。小さな擦り傷などは、美森がきちんと救急箱の薬品で手当している。泥のついた包帯は真新しいものに交換した。
「なんでかな、東郷さんには、情けない私を見せたくなかったんだ」
 彼女の座る椅子の横には、杖が立てかけられている。
 頭や腕に包帯が巻かれ、片方の目は、焦点が合っていない。
 それらは、美森が戦いを放棄した結果だ。友菜が失ったもの、美森の罪そのものを、端的に示している。
「だからね、東郷さんが姿を見せてくれなかった気持ち、今なら私にもわかるよ」
 彼女の失ったものは、味覚、片目の視力、片足の機能。
 いくつかの機能を失って、身体中に傷を負って、それでも気丈に振る舞う友奈の姿を、美森は眩しく感じた。
「友奈ちゃんに比べれば、私なんて」
「そんなことない」
 友奈は大きく首を振る。
「ごめんね東郷さん、私、もう知ってるの。ちょっと無理を言って、大赦の人から教えてもらったんだ」
「……そうなの」
 美森が最初から失っていたものは、両足の機能、記憶。
 新たに失ったのは、片方の聴力、それともう一つ――
 美森はそっとスカートをめくりあげる。下着を持ち上げるそれに、友奈の視線を感じる。
「満開の後遺症でおちんちんが生えてしまいました」
 固く大きく膨張し、ビクビクと痙攣する男性器。
 これが生えた時から、美森は薄々わかっていた。そしてそれを確認するために、大赦の病院で精密検査を受けた。
 最初ははぐらかされそうになったが、多少手荒な方法で脅し、現状を正確に把握することができた。
 満開の後遺症は、必ず何かの機能を奪っていく。
「私が失ったのは」
 子宮。卵巣。女性器。
「お腹に赤ちゃんを宿し、育み、産むための、全て」
 美森の体からは、子供を作るための機能、そのために必要な全てが失われていた。
 この醜悪なものは、なくなったそれらの代用として、ついてしまったのだろう。
 女としての機能を失った喪失感と、親友に対し性衝動を抱いてしまう罪悪感。それらが美森をずっと苦しめ続けていた。
「東郷さん!」
 友奈が椅子から飛び上がり、ふらつきながらも美森にしがみつき、強く抱きしめてくる。
「辛かったよね。一人でずっと、悩んでいたんだよね」
 美森の頬にぽたりとしずくが落ちる。
「だ、駄目!」
 密着すると、友奈の肉体が感じられる。髪の匂い。幼さを残した柔らかい体。細い手足。体温。息づかい。
 その全てが、美森を蝕む。
「お願い、離れて」
 親友に対する愛情。友愛、尊敬、感謝、それらの感情が、おぞましい衝動に上書きされてしまう。
 ただ、目の前にいる無防備な雌を犯したい、と。
「私が私で、なくなってしまう」
 情けなくて涙がこぼれる。友奈を引き離さなければいけないのに、押し退けようとする腕に力が入らない。美森の振る舞いは、事情を知らなければ、ただじゃれているようにしか見えないだろう。
 離れなければいけないと頭では理解しているのに、美森の体が友奈を求めて、離そうとしないのだ。
「私、友奈ちゃんを、いやらしい目で見てる。私、汚いの。だから、友奈ちゃんまで、汚れてしまう」
「東郷さんは汚くなんてないよ」
「でも――」
「勇者部五箇条、ひとぉーつ!」
「ゆ、友奈ちゃん?」
 突然声をあげる友奈に、美森は体をすくめてしまう。
「なせば大抵なんとかなる!」
「なんとか、って」
 世の中には、どうにもならないことだってあるのだ。美森の体からは女性としての機能が欠落し、もう二度と戻ってくることはない。
「なんとかなるよ。東郷さんができないことは、代わりに私がやる。もし東郷さんが誰かと結婚して、赤ちゃんが欲しくなったら、私が作る」
「それは」
 美森は絶句する。
「歩けない私のために車椅子を押してくれていたのとは、訳が違います」
「東郷さんが選んだ人なら、大丈夫だよ」
 友奈の目はどこまでもまっすぐで、その言葉に偽りはない。美森にはそれがわかる。
 自己犠牲なんて言葉では片付けられない。困っている人を助けるのが勇者だとしても、それはあまりにも献身的すぎる。
自分には、彼女にそんなことをしてもらう資格なんて、もうないのに。
「どうして……」
「ん?」
「どうして友奈ちゃんは、そんなに優しいの? 友奈ちゃんは強くて、誰にでも優しくて、困っている人のためなら自分の犠牲も厭わなくて」
 まさに、勇者という存在そのものだ。
「東郷さん、ごめん。先に謝っておくけど、私これから、最低なこと言うよ」
 美森に回された友奈の腕が、きゅっと絞まる。
「東郷さんの体が男の子になったって知って、私、少しだけ嬉しいって思っちゃったんだ」
「え――?」
「ずっと友達だって、親友だって思っていたのに、おかしいよね。東郷さんが男の子なら、恋人になれる……なんて、考えたの」
「そんな」
「だから私、東郷さんの思ってるほど、綺麗じゃないよ。東郷さんの代わりに赤ちゃんを作ってもいいって言ったけど、本当は、知らない男の人となんて嫌。東郷さんだから、東郷さんの赤ちゃんだから、産んでもいいって……ううん、産みたいの」
 友奈の言葉を聞き、美森は深い霧から抜け出したような気持ちになる。
「それでは、私の気持ちも?」
 男性器が生えてから抱いていた欲望。
「私は友奈ちゃんを相手に、淫らなことをしたい、滅茶苦茶に犯してしまいたいと、ずっと考えていた」
 緊張のせいか、抱き締めてくる友奈の体に力が入ったのを、美森は感じる。
「でもそれは、ただ『女性』相手に性欲を満たしたいのではなくて、相手が友奈ちゃんだから、そう感じていたのかも。体が変化してしまったから、友奈ちゃんを異性として意識して、男の子が好きな女の子に抱くような感情を、募らせていたのかも知れない」
 美森は思い返すが、友奈以外の女性を相手に、そのような欲望を抱いてはいない。試しに勇者部の他のメンバーを思い出しても、そのような衝動は湧いてこない。
「私はたぶん、友奈ちゃんに恋をしている」
 そう言葉にして、美森は自分の心を蝕んでいたどす黒い欲望が、本当はそれほど罪深いものではなかったのではないか、と思えるようになっていた。
「じゃあ……両思いだね」
 美森の体に回されていた腕から力が抜けて、友奈がわずかに体を離す。
「友奈ちゃん?」
 お互いの気持ちが通じ合って、少しでも離れたくない。そんな気持ちになる美森だが、その額に友奈の額が押しつけられた。
 その顔は、はにかんでいる。
「駄目だよ東郷さん、あのままじゃ、近すぎてできないもん」
「近いって――」
 美森は目を見開く。
 すっと横に顔を傾けた友奈は、目を閉じていて、その唇は、美森の唇と重なり合っていた。
「ん――」
 目を閉じると、美森のすぐ目の前にあった顔が見えなくなった。
 こうなると、唇の感覚だけが意識される。
 唇と唇だけを重ねる軽いキス。それだけなのに、深く繋がったような気持ちになれる。
「東郷さん……」
 手を握られ、恋人同士のように指を絡められる。美森もそれにあわせて、友奈の手を握り返す。
 唇、手。友奈に触れた部分から温かいものが流れ込んできて、自分の中にわだかまっていたものが洗い流されていく。美森はそう感じていた。
 もっと、もっと深く繋がりたい。美森は唇の隙間からわずかに舌を出す。
 舌の先にぷにぷにとしたものが触れると、友奈の体がびくんと震えた。握ってくる指にも力が入り、唇が強ばって固くなったのが美森にも感じられる。
 しかしそれも一瞬のこと。友奈の体から力が抜けて、唇に隙間ができると、美森の口内に吐息が流れ込んできた。
 おっかなびっくり、舌をのばす。
 唇に触れながら、隙間を通し、歯に触れる。美森が握り合った手に力を込めると、歯と歯の隙間が大きく開かれて、舌の先にしっとりとした温かい空気を感じる。
 更に美森は、奥へと差し入れる。
 そこに、表面がざらりとした、柔らかい塊があった。
 美森がその表面を舌先でなぞると、まるでスイッチになっているように、友奈の体がびくんと痙攣する。
 くすぐったそうに縮こまるそれを追いかけて、美森は友奈の口の中を動き回る。
 ぴちゃぴちゃと、二人の口の間から、淫靡な音が漏れる。それを耳にして、美森はとんでもないことをしていると、実感する。
 いきなりはまずかっただろうか。
 美森はゆっくりと舌を引き抜いて、友奈から体を離す。唾液が混じり合った唾液が糸を引き、二人の間でとぎれ、わずかに美森のあごを濡らした。
「友奈ちゃん?」
 呆けたような友奈に、美森は少しだけ不安感を覚える。不快ではなかっただろうか。それとも、下手ではなかっただろうか。
「味が……」
「味?」
「東郷さんの味がわからないのが、ちょっとだけ、もったいなかったかなぁって」
 こうなる前にキスしたかった、そう笑う友奈に、美森はひどく赤面した。


 現実は過酷だ。
 お互いの気持ちを確かめ合っても、世界は何も変わっていない。本当に子供を作れるような年まで、自分たちが生き延びられると、美森には思えない。
 それでも、約束を胸に抱いて戦う。再び勇者として立ち上がろうと、美森はそう決意していた。