ハルヒ「キョン! AVを撮るわよ!」

 学生の本分は学業だ。
 誰が言い出したのかはわからないが、よく耳にする言葉である。本分という言葉は義務だとかそういう言葉を示しているわけだが、そもそも『学生』という言葉に学ぶという意味が入っているのだから、当然と言えなくもない。
 だが、人間はそう簡単ではない。学生だから勉強をしろと言われても、はいそうですかと素直に従う奴はそう多くはないだろう。
 将来のことを考えると、学力が高い方が希望する進路に進むことも出来る可能性が高くなるのだし、勉強をしておいた方がいいのは確かだ。それはわかっている。
 だが、自由な時間を過ごしたいと思うのも人間の性だ。出来れば勉強などせず、好きなことをやっていたい。スポーツだったり、ゲームだったり、読書だったり、やりたいことは人それぞれではあるが、何らかの娯楽を満喫する時間も必要だ。世の中には楽しくて勉強をするという物珍しい人間もいるが、まあ、そういう者は思う存分学業に励むといい。少なくとも俺はその部類ではないが。


 さておき、今は放課後であり、待望の自由な時間だ。
 教室を出てからとりとめのない事を考えながら歩いていたが、いつの間にか部室のドアが目の前にあった。ほとんど無意識にやってきたわけだが、こういうのを帰巣本能とでも言うのだろうか。そう考えて少しだけぞっとした。
 考え事を中断してしまえば、今まで考えていたことの内容の半分も頭に残っておらず、全くもって時間を無駄にした感覚は否めないが、目的地まで移動するという最低限のことはできている。これで教室から移動していないのなら目も当てられないところだ。
 さておき、俺はSOS団――もとい文芸部のドアを開く。
キョン! AVを撮るわよ!」
 授業が終わりようやく放課後を満喫できると晴れやかだった気分が一気に吹き飛ばされた。ドアノブを握っていなければ、その場に崩れ落ちていたに違いない。
 満面の笑みを浮かべて、いつぞやの腕章をつけたこの団長様は、今なんと言った? AV? いやいや、そんなはずはない。いくらなんでも聞き間違いだろう。
キョン! AVを撮るわよ!」
 もう一度そう言った。恐るべきことに、俺の聞き間違いではなく、確かにAVと口にしている。
 ハルヒが突拍子もないことを言い出すのはいつものことだ。入学初日の自己紹介を手始めに、おかしなことを言わなかったことがないと言ってもいいほどだ。
 しかし、さすがに今回は度を超している。
 内容が内容だけに、あまり周囲に聞かれたいもんじゃない。手遅れかも知れないが、俺はドアを閉めて部室に入った。ハルヒの奇行はご近所の間でも評判であり、周囲の部室の連中も「また何か喚いているな」と思う程度で、内容までは耳に入っていないと信じたい。切実に俺はそう願う。
「……おかしな物でも食ったのか」
「失礼ね。朝も昼もいつも通りよ」
 ハルヒの言動は常に一般人とは違う。そう考えると、いつも通りの生活をしているということは、いつも通り常軌を逸しているというわけだ。
「たまには違った食生活をするのもいいんじゃないか。同じような食事ばかりでは栄養が偏る。一日二十品目とか言うだろう」
 和食中心の生活をすれば、もう少し穏やかな性格になるのではないか。いや、それよりも精進料理でも食わせた方がいい。百八つある煩悩が二桁くらいにまで目減りしてくれれば僥倖だ。
「三十品目よ」
「そうだったか」
 そんな家庭科の話はどうでもよかった。それより確かめなければならないことがある。
「ところで、念のために聞くが、お前の言う『AV』は何のことだ」
 AVという言葉を聞いて俺は早合点をしていた可能性がある。男子高校生がAVと聞くと、成人向けの性的な映像作品をイメージするが、家電量販店に行けばAV機器なる言葉が使用されている。アルファベット二文字なのだから、あらゆる単語の略称に使用されうる言葉だ。
 だからハルヒも、俺が思ったほどイカれた事を口走ったわけではないという可能性もある。
「アダルトビデオに決まってじゃない」
 俺が思ったほどイカれた事を口走っていた。
 さて、改めて説明するまでもないが、アダルトビデオとは大人向けのものであり、十八才未満は借りたり買ったりすることができない。仮に十八才でも、高校生では駄目らしいので、俺たちが合法的に入手するためには卒業を待たねばならない。
「そんなこと言っても、どうせ持ってんでしょ」
「ノーコメントだ」
 男子高校生で、エロ本やAVなどの成人向け作品を持っていない者は果たしてどれくらいいるだろうか。女に興味のなさそうな国木田あたりならありえなくもないが、世間の大半は谷口のように異性に興味を持っている者である。昨今のデジタル化を考えると、現物を持たずにパソコンやスマホ上のデータしか所持していない者もいるかも知れないが。
 さておき、購入することを禁止されているようなものを、撮影していいはずがあるだろうか。
「あんたは馬鹿ね。パッケージには買っちゃいけないって書いてるかも知れないけど、作っちゃいけないなんて書いてないでしょ」
「馬鹿はお前だ」
 自分でこぼしたコーヒーで火傷をしたとか、泥棒が上った屋根に穴が開いて落ちて怪我をしたのは屋根が古かったのが悪いなんて理由で訴訟を起こすどこかの国ならいざ知らず、日本ではそんな常識外れの人間を考慮した注意書きは書かれていない。だから、AVのパッケージに「18才未満はAVを作ってはいけない」などと書かれているはずがない。
 こういった話でよく引き合いに出される「猫を乾かそうとして電子レンジに入れた」という逸話だが、これについては実際にはそのような訴訟は起きておらず、常識外れの訴訟を起こす人間を揶揄する都市伝説だ。
「でも、小学生の女優とかいるじゃない。男湯に入っちゃうとか」
「あれはそう見えるだけで、法に触れない年齢の女優を使っている」
 実際に小学生の妹がいるのでわかるが、そういった映像作品に登場する女優の体型は明らかに小学生のものではない。いや、別に日常的に妹の裸を見ているわけではない。服を着た状態でも、小柄な成人と、子供の判別はできる。
 テレビ番組でもそうだが、AVも作られた映像作品であり、そこには虚構が含まれる。例えば痴漢モノであれば、実際に公共の交通機関で撮影するのではなく、貸し切ったバスや電車や、それらしく見えるセットで撮影される。バス自体は本物を使っていても、実際には動いていない環境で撮影しているものもあり、そういうものは窓の外が不自然に真っ白だったりすることもある。
 中には実際に公共の場で撮影しているものもあるようだが、通報されるリスクも大きいので、よほど予算がなくてスタジオを借りられないのでなければ、やらないだろう。
 ちなみに水着AVでお馴染みである「プール」のセットがあるのだが、別にAV専門の場所ではないので、仮面ライダーなどの子供向けドラマで使用されることがあり、不意にこのロケーションが登場する「例のプールだ!」とネットが騒然とすることがある。
「それはそうと、素人が撮影したAVなんてどうするつもりだ」
 そう問いかけた俺に、心底呆れたようにハルヒはため息をつく。
「あんたは本当に常識がないわね。同人AVを知らないの?」
「同人AV? なんだそりゃ」
「同人誌くらい知ってるでしょ? あんな感じで、素人が撮影したAVを売買する場があるのよ」
 と言うとハルヒは定位置になっている団長席に移動し、起動してあったパソコンでブラウザを立ち上げ、グーグルで「同人AV」という言葉を検索する。
 検索結果は百万を超え、それなりに市民権を得ている言葉であることはわかった。
 ハルヒはその検索結果の中にある「コスプレAVダウンロード 商業アダルト」と書かれたアドレスをクリックし「十八才以上である」という趣旨のボタンを押してサイトに入場する。
 開かれたサイトにはどうみても成人向け画像が並んでいるが、ハルヒは手慣れた手つきで画面上部にある「コスプレ成人向けハード」というタブをクリックし、画面を切り替えていく。
「ほらね」
「何がほらねだ」
 画面には、ずらりとサンプルらしき画像に、タイトルや値段などの情報が添えられて並んでいる。まあ、AVが販売されているのだと言うのは一目瞭然だ。価格は千円前後が多く、アニメ系のコスプレをしている画像が目立つ。
「これ、全部素人が作って売ってんのよ」
「なんだと」
「ま、商業のAVに出ている女優もいるし、どこまで素人がやってんのかはわからないんだけど。でもほら、同人誌だってプロの漫画家が描いてる場合もあるじゃない。あんな感じよ」
「あんな感じ、と言われても俺にはよくわからないんだけどな」
 とはいえ、プロではなく素人がやっていると聞くと、なにやら複雑な気分になる。
「ちょっと見せてくれ」
 ハルヒと交代でパソコンの前に座り、マウスを操作する。
 サムネイルの画像をクリックするとそれぞれのAVの紹介ページとなるようで、これは一般的な通販サイトと同じような仕様だ。いくつかのページを切り替えると、サンプルの画像があったり、場合によっては動画のサンプルがあったりと、商業ならばこのあたりは統一されているはずなので、やはりこれはプロではない者が作っているというのが納得できる。制作者が「サークル」と表記されているのも、商業ではなく同人であるということを感じさせる。
 個別の商品を開くと、画面の右側にその制作者の別の商品が表示され、こちらも数が多かったり少なかったりと統一感はない。商品がナンバリングされているサークルがあり、最新の商品が九十で、番号が全て繋がっているかはわからないが、他の商品の数を見る限り相当な量を作っているようだ。
「そこは相当有名なサークルよ。昔から作ってるし、内容も正統派って感じだから、同人AVがどんなものかって説明する時にはうってつけね。商業のAVとしてメーカーからも出しているから、まあ、半分プロみたいなもんだと思うけど」
「正統派?」
「企画モノってあるじゃない? あんな感じで、特定の性癖に向けた同人AVもあるわけよ。商業と違って、そういう作品の方が売れてる場合もあるし」
 そう言うとハルヒは、横からマウスをひったくって操作する。
「ここは催眠術に特化したAVを出しているサークルね」
 なんだそれはと見てみると、商品ラインナップを見る限り、確かに催眠術系の同人AVばかり制作しているようだ。こちらも先ほどのサークルのように作品がナンバリングされており、四十を超えている。
「ま、ここも同人AVを紹介するならはずせないサークルね。数はさっきのサークルの半分程度だけど、代表的なサークルだし、ここを見ればちょっと変わった作品でも売れてるってことがわかるでしょ」
「まあな」
 こういう特別な性癖に向けたものは、万が一友人や家族に見られると気まずくなることもあるので、ダウンロード販売で売り上げがよくなるというのはAVに限らない。ゲームやCG集などでも、ダウンロードサイトのランキング上位にちょっと一般人が理解しがたい性癖の作品が含まれるというのはよくあることだ。
 いや、別にそのようなサイトをよく見るのではなく、他のサイトの宣伝で飛んだ先がダウンロード販売サイトであり、なんとなくその流れでランキングを見ることがあるだろう。そういうことだ。
「この脇おにぎりってのはどういうことだ」
「さすがにそれは理解できないわ」
 世の中には俺の見たことのない性癖が存在する。それだけの話ということだ。
 まあ、脇おにぎりほどではないが、全身着ぐるみでマネキンのような顔をつけたAVが存在したり、本当に様々な世界がある。
「ちょっと待て、これは男同士じゃないか」
「あたしもよくわかんないけど、動画投稿サイトでも女装ってジャンルがあるのよ。どうもそっちから来てるみたいね」
 これもあまり深くは踏み込まないほうがいい世界らしい。
 色々と見ていると、本当に様々なジャンルがある。先ほどの着ぐるみ作品でも、ただ普通のプレイをしているのかと思いきや、サランラップやビニール袋を使ってグルグル巻きにするようなものがある。そのサークルの作品を見ていると、拘束された上で海水浴場で見かけるようなビニール製のシャチの中に閉じこめられるなどの作品もあり、何重にも特殊性が重なり合わさっていて見ているだけで混乱しそうだ。
「ん?」
 それは特におかしなところのない作品だった。商品のサムネイルも当たり障りがなく、同人AVに詳しいわけではないのだが、子の短時間で得た知識でも「ごく普通」と言えるような作品だ。
 それを、たまたまクリックした時に違和感を覚えて手が止まる。そのサークルの出している作品はそれほど多くなかったので、一つ一つ確認してから、その中の一つをダウンロードする。
「何よ、そのサークルが気に入ったの?」
 ハルヒの質問には答えず、俺はそのサンプル動画をクリックして再生し、すぐに停止した。
「ちょっとキョン、どうしたのよ」
 俺の様子がただらなかったのか、ハルヒは不思議な顔で俺を見ている。
 さて、どうしたものか。こいつのことだから、しばらくすれば真実に気が付く可能性が高い。だから俺が言わなくても、結果は同じだ。
「谷口だ」
「は?」
「男優が谷口なんだ」
「あんた何言ってんの?」
 と、ハルヒは俺からマウスを奪い取るようにしてサンプルの動画を流し「本当だ」と呟く。
 女優相手にアダルトグッズを使用したり、まあとにかくAVらしい行為を行う男優が、谷口なのだ。
 調べてみると、コスプレAV界では名の知れた存在であり「ゴロー」という名前で活動しているのがわかった。
 こんなところで知り合いを見つけるとばつが悪い。まるで家族で外食をしている時に、学校の友人に出くわして気まずくなるような、そういった気分だ。
「帰るか」
「そうね」
 それから俺たちは、今日の出来事がなかったように、AVのことは一切口に出さずに帰宅した。


 この日以来、ハルヒが「AVを撮るわよ!」などと言い出すことは、一度もなかった。