わたしの不真面目なセンパイ 2−1

わたしの不真面目なセンパイ 1−1
わたしの不真面目なセンパイ 1−2



「やっちゃった……」
 梓は教室で頭を抱え、昨日のことを思い出していた。いくら唯の追試を合格させるためとはいえ、楽しみにしていたお菓子の時間を奪って勉強を強要してしまった。
 あれだけやれば、さすがに合格できるはずだ。今日はともかく、明日からはいつもの時間に部室に来てくれる。
 勉強に協力したのは、唯のためというのはもちろん、梓自身のエゴもある。練習して上手くなって欲しいのも、唯のためではなく自分自身のため。それを理解しているので、より一層自己嫌悪してしまう。
「梓ちゃんおはよう。どうしたの?」
「あ、憂……」
 話しかけてきた憂を直視できず、梓は思わず視線をそらしてしまう。
「あのさ、憂」
「うん?」
「唯先輩、怒ってなかった? 昨日ちょっと厳しくしちゃったんだけど」
「ふふ、心配しなくていいよ。お姉ちゃん、全然怒ってなかったし。プリン食べてた時のお姉ちゃん、幸せそうだったなあ」
「はあ」
 机に突っ伏してしまう。
「私の気も知らないで」
 あれから一日、唯に嫌われたのではないかと後悔していた。心配していたのが全くの無駄だったと思うと、全身から力が抜けてしまう。
「わかってるよ、梓ちゃんがお姉ちゃんのためを思ってやってくれたって。むしろ、嬉しかったんじゃないかな」
「そんなんじゃないよ……」
 梓は口の中で小さく呟く。
 唯は抜けているところがあるが、純粋な先輩だ。憂が気休めを言っているのではなく、本当にそう思っているのだろう。それがひどく申し訳ない。
「あ、そうだ。これ」
 そう言って、憂が梓の机に見覚えのある箱を置く。
「はい、昨日のプリン。梓ちゃん食べてなかったんだよね?」
「そうだけど……別に持ってこないで二人で食べちゃってもよかったのに」
「お姉ちゃんから一口もらったから十分だよ。梓ちゃんにも食べて欲しいんだって。美味しいよ」
「ありがとう」
 箱に手を触れると、ひんやりと冷たい。
「あ、保冷剤を入れてきたから、お昼くらいまでは大丈夫だよ」
 本当に憂はできた子だ。唯にもそれが何割かあればいいと思うが、しっかりした唯というのも違和感があるので、このままでバランスが取れているのかも知れない。
「なになに? ケーキ?」
 登校してきた純が机に置かれた箱を持ち上げると、勝手に開けて中を見る。
「あ、プリンじゃん? 美味しそう。食べていい?」
「私のよ」
「ケチー」
「あーもう、わかったわよ。ちょっと上げるからお昼まで我慢して」
「楽しみにしてるよー」
 自分の席に向かう純を見送り、梓は溜息を吐いた。


 放課後、梓は部室で机を囲んでいた。
 唯は小テストを受けているので、この場にいるのは三人の先輩と、顧問のさわ子だ。
「唯ちゃんも困ったものねえ」
 ショートケーキにフォークを刺して、切った部分を口に運ぶ。今日は六個にカットされた一ホールのケーキで、大きさもほぼ均等なので選ぶ余地はなかった。
「私達も暇じゃないのよ、授業の他にやることはいっぱいあるんだから。まあ生徒の方も補習を受けたくないとは思うけど、ほんとは先生だってやりたくないんだからね」
「そのわりには、よく来ますよね」
「なによ、顧問が部活に顔を出すのは当然でしょ? 梓ちゃんは来て欲しくないの?」
「いえ、そういうわけじゃないです」
 しかし、顧問とは言ってもさわ子が部員達に指導することはほとんどない。在学中に当時の軽音部に所属してギターを弾いていた彼女は梓や澪より高い技術を持っているものの、やっていた音楽性があまりにもかけ離れている。
 だから、部室にいる間にやることと言えば、一緒にお茶を飲んでケーキを食べ、仕事の愚痴を話しているくらいだ。ここでストレスを吐き出しているせいか、軽音部以外ではおしとやかな先生という外面をなんとか保てている。
「とにかく、たかが小テストって思うかも知れないけど、追試をする方も大変なの。わざわざ別のパターンを作らないといけないし、今日は他のクラスも集めて補習をしてるんだっけ? そういうの、使う教室の確保もしなきゃいけないし、本当に大変なの。だから、せめて音楽は追試とか受けないように! 特に実技の日は休まないでちょうだい。いいわね!」
「は、はあ」
 結局はさわ子自身の愚痴になっていた。梓はケーキをフォークでつつきながら、話を聞き流す。他のメンバーも辟易としているのか口数が少ない。おかげで部室に来てからずっとさわ子の独演会状態だった。
「お待たせー」
 ドアが開いて唯が入ってきた。長椅子にカバンを置き、机の方に歩いてくる。
「唯先輩、どうでした?」
「あーずーにゃーんっ」
「きゃっ」
 後ろから椅子ごと抱きしめられ、梓は体をすくめてしまう。
「何ですかいきなり!」
「へへー、満点でしたー」
 しっとりとした、マシュマロのように柔らかい頬を梓にこすりつけてくる。ぽかぽかとした体温は、唯自身の心のぬくもりのように感じられる。梓にもその熱が伝達してくるようだ。
「当然です。昨日あれだけ勉強したんですから」
 唯はいつも極端だ。飲み込みが早いので、勉強もギターもやればやっただけ身に付けてしまう。最初からやってくれれば、こんなにやきもきさせられることはなかったのに。
あずにゃんが勉強を見ててくれたおかげだよー。ちゅー」
「調子に乗らないでください!」
 頬ではなく唇を押し付けられそうになって、梓は慌てて顔を背ける。引きはがそうとするものの、椅子に座っているせいでなかなか逃げられない。
「や、だめです!」
 時折、頬や首に鼻が接触するたびに背筋がぞくりとする。逃げなければいけないのに思わず体が硬直してしまう。
あずにゃんはいい匂いだねー」
「ひっ、かがないでください!」
 首筋に鼻息がかかって、奇妙な感覚が背中を駆け抜ける。くすぐったいような不思議な感じだ。
「若いっていいわねー」
「誰か唯先輩を止めてください!」