ゆるまぎ 部活見学2(pixiv)

「よかった、まだホームルームは始まっていないみたいね」
 気が付くと杏子は自分の教室の前まで戻っていた。握られていた手から力が抜け、マミと繋がれていた手が外れる。
「できればホームルームの後にもまた来てくれると嬉しいかな。じゃあね」
 マミは笑顔を見せてから小走りで立ち去る。教室に戻る少し前にチャイムが鳴ったので、担任が来ればすぐにホームルームが始まってしまう。
 廊下を見回すと、遠くの方から担任の教師が近づいてくるのが見えた。慌てて杏子は教室に滑り込み、自分の席に着く。
 走ったせいだろうか。まだ鼓動が激しい。椅子に腰掛けたまま、深呼吸をする。
 すぐに担任が入ってきてホームルームが始まる。連絡事項の確認など、それほど重要ではない話をしている。部活見学の前に終わらせてくれればよかったのに、杏子は溜息をもらす。しかし学校というのは決められた時間通りに進めないといけないので、ただ部活を見学するだけの内容でも授業時間として行っている以上は、そのまま解散とはいかないのだろう。
 担任からの連絡事項が終わり、これでようやく放課後だ。掃除があるので机の上に椅子をのせ、少し持ち上げて教室の後ろに移動させる。
「ねえ、佐倉さん」
 と、隣の席のクラスメイトが机を持ち上げたまま話しかけてきた。いつも同じ学校出身の生徒同士で数人のグループを作っているので、杏子はあまり話したことがない。向こうから話しかけてくるとは珍しい。
「なに?」
「さっきの先輩、どういう関係の人なの?」
 誰のことを言っているのかはすぐにわかる。教室まで案内してくれた、巴マミのことだ。
「ギリギリで一緒に走ってきたから、気になっちゃって」
「綺麗な人だったね」
「ちょっと待って」
 次から次へと矢継ぎ早に話しかけられ、杏子は戸惑う。席は近かったものの、今までほとんど会話をしたことがない相手ばかりだ。
「佐倉さんの知り合いなの?」
 じっと見つめられる。確かに彼女は目を引く容姿だったから、気になるのも無理はない。しかもホームルームが始まるギリギリに二人で戻ってきて、悪目立ちしてしまったらしい。
「あれは見学に行った部の先輩。今日初めて会ったから、別に知り合いじゃないよ」
 杏子がそう答えるが、質問は止まらない。
「でも、教室の前で手を握ってなかった?」
「あ、そうそう。私はたまたま廊下にいたから走ってくるのを見てたけど、ずっと手を繋いでたよね」
「なんか焦って戻ってきたみたいだけど、ちょっと楽しそうに見えた」
「もしかして……付き合ってる、とか?」
「違うって」
 杏子はふうと息を吐く。一つ、妙な質問が混じっていたような気がするのを、敢えて無視する。
「あたしがプリントを忘れて教室の場所がわからなくなったって言ったら、案内してくれただけだよ」
「佐倉さん、どこの見学に行ったの?」
「えっと……茶道部、かな」
茶道部?」
 そこで杏子を囲んでいたクラスメイト達は目を丸くする。
茶道部なんてあったっけ?」
「でも……お茶飲んで、お菓子食べてきたけど」
「えー、いいなー」
「お菓子って、お饅頭とか?」
「いや、クッキーだけど」
「それ……茶道部じゃなくない?」
「……だよね」
 他人から指摘され、杏子は再認識する。クッキーやマフィンはどう考えても茶道とはミスマッチだ。
「それって、ひょっとして茶室でやってる部活のこと?」
 クラスメイトの一人が、鞄からプリントを取り出しながら尋ねてくる。
「そうだけど……」
 杏子が答えるとクラスメイト達は顔を見合わせる。
「そこって先輩が言ってたあれじゃないかな?」
「そうだと思う」
「じゃあ、やっぱりウロブってところ?」
「ウロブ?」
「佐倉さん、そこ茶道部じゃないよ」
 よくわからない単語に首をかしげた杏子に、クラスメイトはプリントを手渡してきた。


「そう、紅茶研究部よ。言ってなかった?」
 杏子が茶室に着いて問いただすと、マミはあっけらかんと答えた。ちなみに他の部員はまだ来ていないようで、杏子とマミの二人だけだ。
「聞いてません」
「そうだったかしら。でも、見学の人って普通はプリントを見て来るものだから、わざわざ言わなくてもいいかと思ってた」
 言われてみるとその通りだ。杏子のように当てずっぽうで歩き回っていた方が少数派だろう。
「それに、クッキーを食べて紅茶を飲む茶道部ってないと思うけど」
 そのあたりは杏子も違和感を持っていて、ずっとつっこみたかったことでもある。茶道なら飲むのは紅茶ではなく抹茶ではないか、と。マミがあまりにも当然のように紅茶を出してきたので、杏子は何も言えなかった。
「佐倉さんは、茶道部に入りたかったの?」
「別に、そういうわけじゃないんですけど……」
 そもそも杏子はどこの部活に入るつもりもなく、ただ時間を潰していただけで、茶室までたどり着いたのは偶然に近い。あの時に甘い匂いを感じていなかったら、足を運ぶことはなかっただろう。
 だから、この茶室を使っている部活が茶道部であってもなくても杏子にはどうでもいいことのはずなのだが、茶道部だと思いこんでいたせいで騙されたような気がしてしまったわけだ。
「ところで、さっきのマフィンがもう焼けてるんだけど、食べる?」
「あ、食べます」
 杏子の答えに満足したように、マミは「今からお茶の用意をするわね」と微笑む。


 マフィンはチョコレートチップが埋め込まれたタイプのものだった。甘さが控えめの生地に、甘くてほのかに苦みのあるチョコレートチップは、いいアクセントになっている。
 先ほどまでの釈然としていなかった気持ちは、杏子の中からすっかり消えていた。
「あ、そうだ」
 半分ほど食べたところで、クラスメイトに言われた言葉を思い出す。
「ちょっと小耳に挟んだんですけど、えっと……ウロブ? それって何なんですか?」
「――」
 優雅に紅茶を飲んでいたマミの動きが止まった。
「マミ……さん?」
「それ、誰から聞いたのかしら?」
「クラスメイト……ですけど」
「そっか」
 マミはわずかに顔を伏せ、困ったような笑みを浮かべる。
「あの、クラスメイトも知らないみたいなんですけど、どういう意味なんですか?」
「佐倉さんはまだ中学に入ったばかりだから知らないと思うけど、部活動って小学校のクラブ活動と違って、毎年大きめの大会があるの。中体連とか、中文連とか、まあ聞いたことはないよね?」
「あ、はい」
「中体連は体育会系の大会で、中文連は文化系の大会ね。高校になると高体連とか言うらしいんだけど……とにかく、学校同士で競う大会があるわけ。ほら、高校野球とか毎年テレビでやってるじゃない? 野球だけじゃなくて、他の部活でもああいう感じで毎年やってるの」
 そこでマミは紅茶に口を付けて、一呼吸。
「この紅茶研究部って、正直、マイナーな部活なの。一応、全国で探せば同じような部活は何校かにあるみたいなんだけど、このあたりだと見滝原にしかないのよ。だから、研究発表とかをする場もなくて、活動内容はこの部室でただお茶を飲んでるだけ……なんて思われちゃってるのね」
 でもね、とマミは続ける。
「自分たちだけで紅茶を楽しんでいるっていう部分も確かにあるけど、たまに職員室の先生に紅茶を持って行ったりもするのよ。他の生徒にはそういう活動は見えないし、わたしたちもわざわざ自分から言って回ることでもないから言わないけど、ひどいと思わない?」
「は、はあ……」
 日頃から不満が溜まっていたのだろうか、まくし立てるようなマミの口調に杏子は少し引いてしまう。
「とにかくね、何にもしてないって思われている部活だから、虚ろな部活で『虚部ウロブ』って呼ばれることもあるの。そっか、もう一年生にもそう呼ばれちゃってるんだ。ちょっとショックだな」
 はあぁぁ、とマミは深く息を吐いた。それからカップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がる。
「お代わりはいかが? そうだ、さっきのクッキーもまだあるけど食べる?」
「いただきます」


「マミさんお待たせ。また先生ののろけ話が長引いちゃって」
 二杯目の紅茶を飲み始めて少し経った頃、ドアが開いて新たな少女が現れた。髪を両サイドでくくった大人しそうな少女。
「あれ、誰か来てるんですか?」
 その後ろからもう一人現れる。こちらはショートカットで、ちょっとボーイッシュなタイプだ。
 この紅茶研究部は、三年生は一人で二年生が何人かいるとマミから聞いている。その二年生だろうと杏子はすぐに理解した。
「こちらは一年生の佐倉杏子さん。みんなが教室に戻った後に見学に来てくれたのよ」
「そうなんだ。わたしは二年の鹿目まどか。杏子ちゃん、よろしくね」
 先に入ってきた大人しそうな方が、自己紹介しながらテーブルの前に座る。
 もう一人の方は、杏子の顔を見ながら考え込むように押し黙っている。
 先に自己紹介したまどかが「どうしたの、さやかちゃん?」と聞いても、適当な相づちを打つだけだ。
「今日は暁美さんは来ないのかしら?」
「ほむらちゃんはちょっと用事があって来れないんだって」
 マミとまどかがそんなやりとりをしてもさやかと呼ばれた少女は上の空。
 杏子の方は、彼女に見覚えはない。さやかという名前にも聞き覚えはない。
「それで、杏子ちゃん。この部活に入ってくれるつもりなのかな?」
「えっと……」
 まどかに尋ねられ、杏子は口ごもる。最初にここに来たのはたまたまで、今いるのも実は茶道部ではなかったと知ったのでマミに一言言ってやりたくなったからだ。別に入部しに来たわけではない。
 ただ、杏子はなんとなくマミの人柄を好ましく思っており、お菓子を飲んで紅茶を飲むだけというゆるい活動内容にも興味をひかれている。
 しかし、それでは入部をするにはちょっと動機が弱い。とりあえず今回のところは保留にして、改めて考えてから決めようと口にしようとしたところで「あぁーっ!」今まで押し黙っていたさやかが杏子を指さして叫んだ。
「思い出した! あんた、去年クッキー全部持ってった奴だ!」
 急にそんなことを言われても杏子に心当たりはない。そもそも、去年は小学生だったので、この紅茶研究部との接点はなかったはずだ。
「何の話?」
「とぼけるなって! 文化祭の展示であたしらがやってた喫茶コーナーに置いてあったクッキーだよ!」
「あ――」
 文化祭と言われ、杏子は思い出す。確かに去年の秋頃、たまたまやっていた見滝原中学の文化祭に立ち寄った。そこで『ご自由にどうぞ』と言うようなことが書かれたクッキーを、お土産に持って帰った記憶がある。
「あれは、持って帰っていいって書いてあったから……」
「いや、そうだったかも知れないけどさ、普通全部は持ってかないじゃん。あんたに持って行かれたおかげで、あれから急いで新しいのを作らなきゃならなくて大変だったんだぞ」
「主に作ってたのはマミさんだよね」
 と、まどかが横から突っ込む。
「でも、あたしもまどかも大変だったじゃない。ほら、接客とか……とにかく!」
 だん! と音を立ててさやかは机を叩く。
「マミさん、あたしはこいつを入部させるのは反対ですから! どうせお菓子にしか興味がないんでしょ! そんな奴を入部させたら駄目ですよ!」
「はっ!? なんであんたにそこまで言われなきゃならないんだよ! 入るも入らないもあたしの勝手だろ!」
 そこで杏子は立ち上がり、マミの方に顔を向ける。
「マミさん、あたしこの部に入る!」
「そう」
 それまで何も言わず、優雅に紅茶を飲みながら見守っていたマミは、カップから口を離して杏子とさやかににこやかな笑みを向け「お茶の席で大声を出すのはマナー違反よ?」と言った。
 その笑みに底知れないものを感じ、杏子とさやかは素直に「ごめんなさい」と謝るのだった。


 ともかく、こうして杏子は紅茶研究部の一員となり、主にさやかといがみ合いながらも活動していくことになるのだが、それは別の話。