今日の天使吹雪SS

 天使家、リビング――
 朝の早い海晴さんと、綿雪以下の年少組はもう寝室に行ってしまったけど、それでもまだ半分ほどの姉妹が残っている。きょうだいにはそれぞれの部屋があるけど、やらなければいけない宿題でもなければ、こうしてみんなで一緒の時間を過ごす。
 何か特別なことをしているわけでも、そもそも全員で揃って何か一つのことをやっているわけでもない。それでも、こんな風に一緒に過ごすことが『家族』なんだと僕は思う。
「おかわりをどうぞ」
 にこにこと笑顔を浮かべて、ティーポットからカップに紅茶を注いでくれるのは、一つ年上の春風さん。普段と違う服装で、思わずじっと見てしまうと「王子様、春風の格好はおかしくないですか?」と首を傾げてくる。
「似合いますよ」
「きゅん――嬉しいです」
 春風さんはティーポットを持ったままその場で優雅に回る。
「でも、どうしてメイド服を?」
「蛍ちゃんが作ってくれたんです。なんでも、春風の声を聞いていたら急に作りたくなったって」
「声……ですか」
「はい」
 春風さんの、どこか鼻にかかったようなおっとりした声は、確かにメイドに向いているかも知れない――と、なぜか僕も納得してしまう。
「紅茶もいいが、こんなのはどうだ?」
 と、いつの間にかすぐそばにやってきていた霙さんが、テーブルにクリーム色をした小ぶりの缶を置く。
「なんですか、これ」
「チョコレートドリンクだよ。こんな変わり種もいいかと注文してみたんだが――間に合わなくてな」
 もちろんそれは、数日前に嵐のように過ぎていったあの甘い一日。色々あったなあと思い返していると、霙さんは僕の目の前でプルタブに指を引っかけてぷしゅっと飲み口を空けると、薄めの茶色をした液体をグラスに注ぐ。
「数日送れてしまったが、受け取ってくれるな?」
 グラスに注がれてしまったら、それにこんな風に言われてしまったら断ることなんてできない。僕はグラスに口を付けて――
「うっ」
 やや白っぽいからミルクの多いココアのような味だろうなと想像していたので、その濃厚な味に驚いてしまった。飲み物を飲んだはずなのに、固体のチョコを食べたかのような、不思議な感覚があった。
「どうだ、美味いか?」
「……甘いです」
「ふむ――どれどれ」
 霙さんは僕の手からグラスをひったくると、残っていた分を一気に飲み干してしまう。僕が飲んだのはほんの一口だったから、霙さんは一缶分をほとんど一息で飲んでしまったことになる。元々大きな缶ではなかったけど、あんな甘ったるいものを飲んで胸焼けしないのだろうか。
「どうした、私の顔をそんな風にじっと見て。そうか――間接キスを気にしているのだな」
「えっ!?」
 思いもかけない言葉が飛び出して、僕は戸惑ってしまう。
「フフ――何を気にしているんだ、私達はきょうだいだぞ。例えこのグラスに、口を付けた痕跡が一カ所しか見あたらなかったとしても――それは全宇宙の前では塵のような些細なことだ」
 霙さんはグラスを僕の目の前に置いて、ゆっくりとそれを一周させる。
 本当に……一カ所しか見あたらない。思わず僕は、霙さんの口元に視線を送ってしまう。
「ん――? なんだ、これしきの量を飲み干したところで、私は胸焼けなどしないぞ」
 なんて言って、ニヤリと笑みを浮かべる。この人は――僕の心なんて全て見通しているのではないだろうか。
「それとも、飲み足りなかったのか?」
 コン、と空になったのとは別の缶をテーブルに置く。
「まだあったんですか!」
「わざわざ一缶だけ買うなんて、送料がもったいないだろう。それに――」
「あーっ! オニーチャン、なんか美味しそうなの飲んでるー!」
「ほら、な」


 霙さんが買ったのは一本や二本ではなく、なんと全部で十本もあった。
「ま――一人で飲みきるにはちょっと甘すぎるとは聞いていたからな、二人で一本くらいでちょうどいいだろう」
 とのことだけど、小さな子がいることも考えると、二人で一本で計算してもちょっと多すぎるんじゃないかなあと思う。何しろ、甘い物が大好きな立夏ですら「ウワッ、これチョー甘い!」と目を丸くしていたほどだ。
 今いない人のために全部は飲みきらないように……なんて言われたけど、そもそもそんな心配はなさそうで、むしろ残ったらどうするのかと不安になる。
 実際、今リビングにいる最年少組――星花、夕凪、吹雪は、三人で一本の缶を回し飲みしている。
「飲めそう?」
 今、缶に口を付けていたのは吹雪だった。声をかけた僕に気が付くと、缶から口を離して、こちらに顔を向けて口を開けた。
 口の中には、白と茶色が混じり合ったような液体が溜まっている。
 たぷたぷと音が聞こえてきそうなその状態を見ていると、あの甘さが口の中に蘇ってきた。思わず「うぷ」と声を漏らしてしまう。
 口を閉じた吹雪は、リスのように頬を膨らませていたけど、鼻から「んふっ」と息を漏らして頬をしぼませる。
「はぁ――」
 かぱっと口を開くと、先ほどまで口内を満たしていたチョコレートドリンクはもう残っていなかった。
「飲めましたよ」
「別に見せなくてもよかったんだけど……」
「そうですか――」
 吹雪の宝石のような瞳が、僕の顔をじっと見つめてくる。
「今のようにした方が――ちゃんと、飲んだ、ことが明白で――キミとしては、嬉しいのではなかったのですか?」
「いや、それは……」
 その言葉に、僕は思わず言葉を失ってしまう。今のが聞こえていたのは近くにいた星花と夕凪だけだけど、意味はわからなかったようだ。
「ああ――そうですね」
 吹雪は再び缶に口を付けて、チョコレートドリンクを少量口に含むと、僕の手を握って自分の首に持っていく。
 ひんやりと、すべすべした吹雪の肌。今にも折れてしまいそうなほど華奢な首。
「んん――」
 ごくりと喉が鳴る。
「こうした方が――より、キミにもわかりやすいのでしたね」
 確かに今も、僕の手には吹雪の喉を液体が移動していった感触が残っている。
「ふぅ――さすがに飲み過ぎました」
 甘い吐息が、僕の脳を溶かす。
「吹雪ちゃんばっかりずるーい。夕凪もやるーっ!」
 妙な雰囲気になりかけたところで、僕と吹雪のやりとりを見ていた夕凪が割り込んできた。吹雪の手から缶を取って、その中身を少しだけ口に含んでから、僕の手を首に添えさせてから飲み込む。
「はい、次は星花ちゃん!」
「えっ……あ、あの……星花も、飲みます」
 いきなり缶を渡されて戸惑っていた星花だけど、吹雪や夕凪がしたように僕の手を掴んで喉に触れさせてからごくりと飲み込む。
「あの、お兄ちゃん……わかりました?」
「あ、うん……わかったよ」
「これ、思ったより甘くて少し苦しいですね」
「お兄ちゃん、夕凪もちゃんと飲んだよっ?」
「……みんな、よく飲めるね」
 僕は一口飲んでギブアップしたというのに。やっぱり、女の子の方が甘い物は得意なのだろうか。
 そんなことを考えていた僕の耳に吹雪が口を寄せ「キミの――よりは、飲みやすいですよ」と、囁いた。