妹の友達がこんなに小悪魔なわけがない(WEB体験版) 第一章

 ある冬の日のことだ。
 俺は寒い空気に身をすくめながら、コンビニのレジ袋を片手に夜道を歩いていた。勉強に疲れ気分転換のために外の空気を吸いたくなって家から出て、立ち寄ったコンビニで手に取った漫画雑誌を読みふけっているうちに思いの外時間が経っていた。
 一応、親にはちょっと出かける旨は伝えてあるが、これほど長くなるとは言っていない。しかし、俺が多少遅くまで出歩いていても、親父やお袋は特に気にしないはずだ。遅い時間に戻って玄関で親父と鉢合わせでもしたら何か言われるかも知れないが、せいぜいその程度だ。帰る時に気付かれなければ、それよりもっと早く戻っていたことにすればいい。
 これが妹の桐乃だったら違うのだろうが、そもそもこんな夜遅くに中学生である一人娘を出歩かせるはずもない。
 ちなみにその妹様は、今日は雑誌の仕事で地方まで行くそうで泊まりになるらしい。厳格な親父もあいつの仕事ぶりに関してはそれなりに認めているので、ちゃんとした理由があれば外泊も認めてくれるようだ。その点俺は、大した理由がなくても簡単に泊まれるけどな。
 などと、両親の俺たち兄妹に対する対応の違いなんかを考えながら歩いていると、
 キィ――
 冷えた空気を伝わって、錆びた金属が軋むような音が耳に届いた。
 なんとなく、背筋をぞくりとさせる嫌な音だった。思わず周囲を見回すと、道の脇にある公園のブランコに、小さな人影が腰掛けていた。
 それは、小学生くらいの、髪の長い子供のようだった。公園の中に照明はあるが、ぼんやりとしたそれはあまり明るくなく、女の子だろうなとは思うもののはっきりと判別はできない。
「おいおい、勘弁してくれよ」
 寒さ以外の理由で、全身の皮膚が粟立つのを自覚した。
 携帯で確認すると、十一時を回っている。こんな時間に、小さな子供が一人で出歩いているはずなどない。
 しかも公園なんて、定番のスポットじゃないか。何のスポットか、なんて言うまでもないだろ。だが、それが正解だったら嫌なので、その単語を考えないように頭から振り払う。
 住宅地の中の何の変哲もない小さな公園。いつもその横を通っていても、名前すら覚えていないそんな公園だ。大型の遊具がいくつか撤去されたせいか、広さの割に何もなく寂しげな印象が強い。
 そう言えば、コンビニを出てから、ここまで誰ともすれ違っていない。もしかすると、この周りに建っている家も、本当は誰も住んでいない無人の建物なのではないか―なんておかしな考えが頭をよぎる。
「何考えてんだか」
 こんなおかしな発想をしてしまったのは、あのゴスロリ少女の影響ではないだろうか。くそ、そんな非現実的なことがあってたまるかっての。あそこにいるのだって、怪しげな存在ではなく、見た目通り単なる子供に違いない。そうに決まっている。
 ……それはそれで問題だよな、こんな時間に。
 さて、こうなると確かめずにはいられない。このまま家に帰ってしまえば、夜の公園で子供らしき何かを見かけたことを忘れられず、モヤモヤとした気分をぬぐうことができなくなる。真っ当な存在かそうでないかはおいといて、だ。
 止まっていた足を再び動かし、公園に向かって歩き出す。
 距離が近くなると、それは思っていたとおり女の子で、お洒落な小学生が着てそうな服を身につけているとわかる。小学校の頃、いつも妙に気合いの入ったブランド物の服ばかり着ていた女の子がいたが、そういった感じだ。
 しかし、すぐに不自然さに気付いた。冬も終わりかけで春は近づいてはいるが、昼も夜もまだ冷え込む。あんな、薄っぺらいパーカーだけで出歩くのは、ちょっと普通じゃない。
 ごくりと喉が鳴る。まさか、本当に幽霊――いや、そんなはずはない。
 更に近づいて、女の子の顔がぼんやりと見えた。ブランコに腰掛け、不機嫌そうにうつむいたツインテールの―
「お前さ、そんな格好で寒くねえの?」
 声をかけると、そいつは初めて俺の存在に気が付いたように、寒そうに体を震わせながらゆっくり顔を上げる。
「さみーに決まってんじゃん」
 そりゃそうだよな。
「あに、ナンパ?」
「ちげーよ。お前、加奈子……来栖加奈子だよな?」
 そう、そこにいたのは桐乃やあやせのクラスメイトのクソガキ、来栖加奈子だった。素で小学生だと思っていたがこれでもれっきとした中学生だ。
「うげっ、なんでおめー加奈子の名前知ってんの? ストーカー?」
「違うっつーの。前に何度か会ったことはあるが、まあお前は俺の顔なんか覚えちゃいないか」
「会ったことがある? うっわ〜、その声のかけ方定番すぎじゃね?」
 加奈子はそう言って、心底俺をバカにしたような顔をする。
 どうやらまだナンパ野郎だと思われているようだ。以前、あやせの依頼で変装してマネージャーの真似事をしたが、きっとそんな必要もなかったんだろうな。
「そんなんじゃねえよ。お前、桐乃の友達だろ? 俺はその兄貴だ」
「桐乃の兄貴? あ〜、思い出した、その地味な課長顔」
 ほっとけ。本人目の前にして言うとか本当に失礼なクソガキだな。
「寒いならさっさと家に帰れよ。もう十一時だぞ」
「ガキ扱いすんじゃねーよ。つーか、遅い時間に出歩いてんのはおめーも一緒じゃね?」
「俺は買い物に出ただけだし、これから帰るところだ」
 手に持っていたコンビニ袋を見せてやる。
「なに入ってんの?」
「肉まんだよ」
「フツーさ、そういうのって買ったらすぐ食わね?」
「まあな」
「あんで?」
「それほど食いたいわけじゃなかったんだ」
 夕飯もしっかり食ったし、別に夜食って気分でもなかったのだが、なんとなく立ち読みで長居したのがいたたまれず買っただけだ。手が冷たかったからカイロ代わりに買ったようなところもある。
「なにそれ、もったいねー」
「うっせ、いいからお前もとっとと帰れよ」
「……帰れるなら帰ってるし」
「何かあったのか?」
「チッ……うっぜ」
 俺の質問にまともに答えず、さっさとどっかに行けと言わんばかりにそっぽを向く。
 大した付き合いがあるわけじゃないが、こいつが普段より沈んでいるように見えて、妙に気になった。生意気なのは相変わらずだが。
「悪いな、親父が警察やってるせいか、こういうのほっとけねえんだよ。お前、まだ中学生だろ? 補導されんぞ」
「チクんの?」
「別にそんなつもりはねえよ。ただ、気になっただけだ」
 そう言うと、加奈子ははぁと苛立たしげに息を吐く。
「つーか、なんなの? おめーに関係なくね? 妹の友達ってだけじゃん。しゃべったこともねーし、馴れ馴れしくされるとキメーんですケド」
 言われてみればそうだ。メルルの関係でこいつの世話を焼いたことがあるせいか、一方的になんとなく他人ではないような印象を抱いていたが、桐乃の兄としてはほとんど接点がない。こいつもそう思っているのだろうし、実際、ここまで踏み込むのはちょっとやりすぎだった。
「立ち入って悪かったよ。じゃあな」
「あ……」
 体を回して公園から出ていこうとしたが、小さな呟きが聞こえて振り返る。普段からめんどくせえ妹に付き合ってるせいかね、普通なら聞き逃しそうな声を拾っちまうなんて。
「なんだよ」
「……」
 しかし、加奈子はそのままうつむいて押し黙ってしまう。
「言っとくけど、黙ってちゃわかんねえからな」
「うう……」
 視線の先を追ってみると、俺の手元に向かっていた。ひょっとして、欲しいのか?
「肉まん、いるか? 寒いんだろ?」
「い、いらないならもらってやんヨ」
 そう言うが早いか、加奈子は俺の手から強奪するかのようにコンビニ袋をひったくる。
「チッ……なんだよ、冷めてんじゃん」
 悪態をつきながらも、加奈子は袋から取り出した肉まんをガツガツと貪り始める。女の子食い方じゃねえよ、ドン引きするわ。スラム街のガキかお前は。
「は〜、食った食った。飲み物ねーの?」
「どこまで欲張りなんだよ」
 呆れつつも、チラチラと捨てられた犬のように顔を見てくるこいつをなんだかほっとけない。いつものクソ生意気な態度と少し違うせいだろうか。
 ここまで来たら乗りかかった船だ。やれやれと溜息を吐いてから、近くにあった自販機でホットコーヒーを買ってきてやった。
「甘いのでよかったんだろ?」
「ガキ扱いすんじゃねーっつーの」
 そう言いながらも、チョイス自体には文句を言わない。
「あつっ、あつっ」
「落ち着け。舌火傷すんぞ」
 自販機のホットって、たまに異常に熱いのがあるよな。かじかんだ手で触って、正直かなり熱かった。そんなのをグビグビと飲んでやがる。
 やっぱり、妙だよな。
「で、本当にどうしたわけ? 俺はお前にとっては友達の兄貴ってだけだから、言いたくなければ無理に言う必要もねえけどよ」
 察しの悪い俺でも、今のこいつが普通じゃないってのはわかる。
「……」
 空になった缶を両手で抱えるように持ったまま、加奈子は押し黙っている。餌付けしてやったとは言え、さすがにそこまでは懐かないか。
「まあいいや。よくわかんねーけど、もう遅いし気を付けろよ」
 そう言って、今度こそ帰ろうとしたが、俺は再び呼び止められることになった。加奈子は声を出していたわけじゃないが――
 ぐう。
 と、腹の音が聞こえたからだ。