今日の長門有希SS

 涼宮ハルヒを形容する言葉には様々なバリエーションがある。いい表現をするならば、活発だとかリーダーシップがあるなどと言えばいい。教師が内申書に書くのはこういった聞こえのいい言葉だろう。
 実際には、やかましくて都合も考えずに俺たちを振り回すはた迷惑な奴で、ちょこまかと動き回る様は火の点いたネズミ花火のようだ。長い時間黙っていることができない病を患っているかのように、授業中など静かにしなければいけない状況でなければいつも口を開いている。
「……」
 しかしある休日の昼、例の如く成果のない不思議探索の前半を終えてファミレスで料理を待っている間、ハルヒは腕を組んで押し黙っていた。食っている最中にはさすがに口を会話ではなく食事のために使用するハルヒだが、料理が来る前に静かにしているのは珍しい。
 ハルヒの様子が普段と違う時は大抵何かの前触れではあるが、今回はそうではないことを俺たちは知っている。周囲を見ると、古泉や朝比奈さんもどことなく居心地の悪そうな顔をしている。長門はいつも通りだ。
 やがて、俺たちのテーブルに料理が運ばれてきた。黙々と半分ほど食ったところで、隣の席にいた女性の二人組が伝票を持って席を立った。
「はあ」
 ようやくそこで人心地ついたようにハルヒが溜息を吐く。俺たちが会話もなく料理を待っていたのは先ほどまでいた二人組の話が耳に入っていたからだ。
 別に聞こうとして聞いていたわけではないが、飲食店では周囲の会話が耳に入ってくるのはよくあることで、今回もそうだった。
 その内容だが、何やら既婚の男性と別の女性が不倫をして子供ができてしまい、男性の方が反対しているのに女性の方は産みたがっているとか、俺たち高校生にはまだ早いがもうちょっと上の世代になればたまにある話なんだろうなという話だった。
 ちなみに隣にいた二人組が当事者なのではなく、どうやら二人の共通の友人がその件に関わっているらしい。当事者ではないが黙って見過ごすほどの間柄ではないらしく、どうしたものかと深刻な感じで話をしていたわけだ。
 いや、そこまで俺たちが事情を理解しているのなら聞こうとして聞いていたのだろうと思われそうだが、そうするつもりがなくても耳に入ってきたのだから仕方がない。
「ああいうの、さすがにちょっとどうかと思うわけよ」
 いつも周囲の迷惑など考えないハルヒだが、被害を受ける側になってようやくそれを理解したようだ。食事中に聞くにはちょっと重い話題だった。
「たぶん、産むってことを軽く考えてるんじゃないかしら」
「そっちかよ」
 ハルヒはその話をしていた二人組ではなく、話に出てきた人についてどうかと思ったらしい。
「まあ、好きな人の子供を産んで育てたいって気持ちはわかるけどさ。あたしだって女だし。ただ、ちゃんと育てられないと生まれた子供も不幸になるじゃない? そこまで考えてないんじゃないかしら」
 まあハルヒの言わんとしていることはわからんでもないが、話に出てきた人も見知らぬ女子高生にこんなことを言われているなんて思っちゃいないだろうな。
「例えば、みくるちゃんが古泉くんと結婚しているとするじゃない」
「ふえぇ! け、結婚!?」
「いや、たとえ話よ。……てか、この時点でそこまでびっくりされると先の話を続けづらいじゃない」
「無理に朝比奈さんで例えなくてもいいだろう。と言うか近い人間をあてはめるな」
 先ほどまで聞こえていた話に朝比奈さんと古泉を、古泉が余所で女を作ったとかそういう話になるわけだし。
「それじゃあ……谷口と国木田が結婚してるとするじゃない? で、コンピ研の部長が不倫して妊娠しちゃうわけよ」
「ちょっと待て、異次元過ぎて理解できん」
「みんながそれなりに知ってて、なおかつこういうたとえ話に使っても大丈夫などうでもいい奴を選んだらこうなったのよ」
 まあ、俺たちの共通の知人である女性と言えば、鶴屋さんや朝倉や喜緑さん、学校の外に目を向けると森さんなんかがいるわけだが、そのあたりを登場させるのはさすがのハルヒもちょっとどうかと思うようだ。
「まあ部長氏が女なのはわかったが、他の二人の性別はどうなってんだ」
「みんな男でしょ」
「ナメクジじゃあるまいし」
「え、どういう意味?」
 怪訝そうに首をひねられる。こういうところで不思議そうにされると困る。ボケたわけではないが、例え話を説明させられることほど苦痛なものはない。
「ナメクジは雌雄同体。性別の区別はなく、二体いれば繁殖することができる」
 と、そこで口を開いたのは長門だ。ストローの入っていた紙をくしゃくしゃに縮めたものにストローでぽとぽとと水滴を落として伸ばしながら俺の言ったことを解説する。
「なるほどね。てっきりキョンは、あの三人がナメクジ並の存在価値だって言ってるのかと思ったわ」
「そんな失礼な認識をしているのはお前くらいだ」
「いくらなんでもそこまで思ってないってば。ま、食事中にあんまり気持ちのいい話じゃないし、この辺で終わりにするわよ」
「そうだな」
「ご飯食べてる時に谷口のアホ面とか思い出したくないわ」
「やっぱり失礼だなお前は」


「例えばの話」
 昼食が終わり、午後のパトロール
「わたしとあなたが結婚していたとする」
 図書館に向かって歩いている途中、長門が思いだしたように口を開く。
「そして、あなたが浮気をする」
「お前以外とどうにかなるはずがないだろ」
 俺は長門と交際しており、それで十分に満たされている。まあ長門の目をかいくぐって浮気をするのが物理的にも不可能だとは思うが、そうでなかったとしても魔が差すはずはない。
「……」
 長門は少し考えるように俺から視線を外し、空を見上げる。
「では、浮気の相手がわたし」
「その場合、結婚相手はどうなるんだ」
「それもわたし」
「どういうことだ」
 先ほどのハルヒの話も突拍子もなかったが、これはこれでひどいと言わざるを得ない。長門が増えてしまっている。
「その状況で、わたしが妊娠したとする。あなたはどうする?」
「すまん、長門が二人いると仮定された時点で条件を飲み込めていないんだが」
「困る」
「何がだ」
「例えの中でもあなたを他の女性とくっつけるのがためらわれる」
「……そうか」
 長門がをわずかに伏せて本当に困ったようにしているのを見ると、少しだけ嬉しく感じられる。まあ、そもそもそういった話に俺を出さなければいいと思わなくもないが。
「まあ、結婚とか浮気とかそういうのはおいといて、お前と俺の子供なら歓迎だ」
「……あ」
 長門は俺の手をぎゅっと握りしめ、顔を見上げてくる。
「あなたの言葉を聞いて排卵した」
「そうかい」