今日の長門有希SS

 6/9の続きです。


 ハルヒが部室にコーヒーメーカーを持ってきてから数日が経つ。
 いつもパソコンに向かっていたハルヒが、毎日のように違う豆を買ってきては新たなコーヒーを淹れるようになった以外、俺たちの活動内容はそれほど変わっていない。ボードゲームをする俺と古泉、読書をする長門が飲むものがお茶からコーヒーに変わったことと、仕事の減った朝比奈さんがどことなく手持ちぶさたになったことだ。
「コーヒーが入ったわよ」
 ハルヒがマグカップを俺たちの前に置いていく。
キョン、これはどうよ」
 コーヒーの味に俺たちはそこまで詳しくない。インスタントと豆から淹れたコーヒーが違うことくらいはわかるわかるが――まあ、目の前で豆を挽いているのを見ているから違うように感じているだけかも知れないが、とにかく豆によって味がどう変わるかなどわからない。
「この豆は少し酸味が強い」
 ぼそりと呟いたのが誰か言うまでもないだろう。こういう時に頼りになるのは長門で、細かい味の違いも機械のように正確に判別できる。
「しかし、言うほど酸味は感じないな。よく酸っぱいコーヒーってあるだろ」
「それは挽いた豆が時間経過と共に参加したのが原因で、豆本来の味ではない」
「そうか」
 ハルヒが凝り出した頃から、長門もコーヒー豆について調べるようになっていた。長門が味について話すのを「ふんふん」とメモを取りながらハルヒは聞いている。
「みくるちゃんはどう思う?」
 ハルヒが声をかけると、難しい顔をしてマグカップをのぞき込んでいた朝比奈さんは「ふぇっ」と驚いたように顔を上げる。
「このコーヒーは好みに合わない?」
「いえ、そのぉ……お茶に比べて、コーヒーってあんまり飲まないので、味のことはよくわからなくて……あっ、でも、これが嫌いとかそういうんなくて……」
「ならいいわ」
 そこでハルヒは大きく溜息を吐く。
「でも、コーヒー豆って高いのね。グラム単位で買ってるけど、けっこうな出費よ。インスタントのコーヒーとか紅茶はそうでもないのに」
「あっ、確かにティーバッグは安いんですけど、紅茶も高いのはあるんですよ」
 朝比奈さんは椅子から立ち上がり、スカートをふわふわとなびかせつつ戸棚から黒い缶を取り出してハルヒに示す。
「これがひとつで二千円から三千円くらいだったかな。一杯あたりで計算すると五十円から百円くらいなんですけどぉ、ティーバッグに比べるとやっぱり違います」
「飲み物の値段ってピンキリなのね」
 一杯あたりの値段なんて考えたことはなかったが、今まで俺が部室で飲んだ飲み物の金額を考えるとかなりのものになっているのではないだろうか。
「部費で買えないかしらね」
 ぼそりとハルヒが無茶なことを呟く。
 そもそも俺たちSOS団は学校に認められた部活動ではないので、部費なんて出るはずもない。部費と言えば俺たちが不法占拠している文芸部に支給されているものだが、正式な文芸部部員は長門だけである。
「有希、部費とか余ってない?」
「残っていない」
「そっか。色々と使ったものね」
 主にお前がな。
「そうだ、美味しくできてるんだから売り物になるんじゃない? 自販機の横にテーブルでも置いて、あたしとみくるちゃんでウェイトレスの衣装を着て」
「さすがにそんな目立つ場所で商売をするのは問題だろう。ただでさえSOS団は生徒会にも目を付けられているんだ」
「じゃあ、SOS団に相談に来たら美味しいコーヒーが飲めるって噂を流したらどうかしら。お金にもなるし、相談に来る人も増えるから一石二鳥」
「来客にコーヒー代を要求するなんて前代未聞だな」
キョンはいちいち文句ばかりね」
 はあと溜息を吐く。
「まあいいわ。気を取り直して冷たいものを飲みましょう」
 そう言って、ハルヒは冷蔵庫から飲み物の入ったガラス容器を取り出す。ドアポケットに入るような細長いもので、よく麦茶などを作るのに使われるようなものだ。
「それはなんだ?」
「水出しコーヒーよ。アイス用の豆で作ったから美味しいはず」


 寄るところがあるとハルヒが一足先に帰り、朝比奈さんも部室を出ていくと、残るのは俺と長門と古泉だ。そもそも俺と古泉がゲームをしているのは時間つぶし的なものであり、長門は部室以外でも本を読むことができる。今やってる勝負が終わったら終わりだな、と口に出さなくても古泉もわかっているだろう。
「少々、気がかりなことがあるのですが」
 そんな折に、口を開いたのは古泉だ。
ハルヒのことか?」
「ええまあ」
「確かに妙なことに凝り出してはいるよな。今のところ充実してるようだが」
 問題は、ハマっているのが金のかかる趣味だってことか。しかしハルヒは様々な豆を自分で買って試したいようなので、古泉が『親戚』などから大量の豆をもらって余っているのを持ってきたなんてのは通用しないだろう。
「でも、考えすぎじゃないのか? ハルヒだって金がなくなったら諦めるだろ」
「ですが、気になることもあるのです」
「なんだ?」
「朝比奈さん、様子がおかしくありませんか?」
「そういえば……」
 改めて思い出してみると、ハルヒにコーヒーの味を聞かれた時のやりとりもどことなくはっきりとしなかったし、ハルヒが紅茶は安いと言い出した時に珍しく反論していたようだった。普段の朝比奈さんだったらあんな反応をしただろうか。
「涼宮さんがコーヒーに凝っていることが、朝比奈さんにとって何か懸念事項なのかも知れません」
「朝比奈さんにって……まさか、未来に悪影響が?」
「そうかも知れません」
 言いながら、古泉は水出しコーヒーのコップを傾ける。
「これだけのコーヒーなら、お金を取って振る舞うという話も、ひょっとすると成功するかも知れません。一般的な喫茶店は家賃や人件費があるのでどうしても原価に比べて高くなりますが、自販機の横や部室を使うなら限りなく安くできます。涼宮さんは聡明なお方です。もし本気でお金を取って売るつもりになれば、それなりに利益が出るようになるはずです」
「まさか……」
 しかし、絶対にないと言えるだろうか。今までハルヒと付き合ってきてあいつが常識とは遠い存在だとわかっている。
長門はどう思う」
 そこで俺は長門に話を振ってみた。読書をしながらも話を聞いていたのだろう、長門は本を閉じて太股の上に置きながら「あり得る」と答える。
「どういうことだ」
涼宮ハルヒが商売としてコーヒーを売るようになれば、この学校だけには留まらず、いずれ世の中に打って出る。仮に喫茶店を作りたいと思えば、協力者はいくらでもいる」
 長門の視線が、ちらりと古泉に向けられる。確かに古泉と愉快な仲間たちは、ハルヒがそれで満足するなら潰れた喫茶店の店舗を買い上げてハルヒに与えることもありうるだろう。鶴屋さんだってそうだ。
「そうなったら、どうなる」
「SOS団で運営することになると、接客の点でもそれなりの質が期待できる。特に朝比奈みくるは看板娘として申し分ない」
 俺としては、無口なウェイトレスってのもマニア的な人気が期待できると思うが、口を挟まないでおく。
「そして、涼宮ハルヒは一つの喫茶店程度では満足しない。個人経営の喫茶店からチェーン系のカフェにシフトするのも時間の問題。そこでも彼女は成功を収めるだろう」
「成功って……具体的には?」
スターバックスエクセルシオールシアトルズベスト……」
「その三つのチェーンがどうした?」
「今名前を出した三つのチェーンを傘下に入れて『SOSグループ』としてカフェ業界に君臨することになる」
「しかし、それは――」
 と、俺が口を挟もうとしたところで、がちゃりとドアが開いた。
「あれぇ、みなさんどうしたんですか?」
 不思議そうに俺たちを見回すのは朝比奈さんだ。重苦しい空気に違和感があったのだろう。
「朝比奈さんの方こそ、どうしたんですか? 帰ったはずですよね」
「いえ、部活が終わった鶴屋さんと話しに行ってただけで、荷物は置いていたんですよ」
「ところで、聞きたいことがあるんですが……ハルヒがコーヒーにハマっていることは、朝比奈さんにとってよくないことなんですか?」
「えっ」
 その顔は驚愕に見開かれる。
「どうして、それを?」
 その反応で、俺たちは今まで話していたことが正しかったのだろうと判断する。
「やっぱりそうでしたか。いずれカフェ業界をSOSグループが……」
「カフェ? SOSグループ?」
 ぽかんと口を開ける。
「違うんですか? ハルヒがコーヒーを売るようになれば、小さな喫茶店から始まり、いずれは巨大なグループ企業に成長して、それは未来と齟齬を生じさせるとか」
「え、えっと、その……あたしはその、涼宮さんがコーヒーを淹れるようになってから、やることがなくなっちゃってちょっと張り合いがないなぁって思っていたんですけど……巨大グループとか、なんの話でしょうか?」
「おい長門
 顔を向けると、長門は本を開いて何事もなかったかのように読書を再開した。