今日の長門有希SS

 SOS団に所属していると、妙な事件にばかり巻き込まれる。ハルヒの能力が引き起こす超常現象もそうだが、ハルヒの性格が引き起こす超常ではないもののそれなりに騒がしい日常。ともかく、高校に入ってからの俺は、それまでに比べて物事に対して驚くことが少なくなった。普通の奴なら驚くべきことが目の前で繰り広げられていても、慣れてしまえば日常の中の一コマでしかない。そうなってしまうと、俺自身も普通じゃなくなってしまったのではないかと少々うんざりしてしまう。
 ガガガガッ!
 そろそろ部室に辿り着こうという時だった。ドリルで何かを砕くような、はたまたビー玉を掃除機吸い込むようなやかましい音が俺の耳に届いてきた。
 発信源は考えるまでもない。俺の目の前に見える扉の向こう、すなわちSOS団の――いや、文芸部の部室の中に相異ないだろう。
 位置的には隣にあるコンピ研から聞こえてきたということもありえないとは言えないが、これまでの経験を踏まえるとその可能性はほとんどゼロと言ってもいい。万が一、今の聞こえるこの音がコンピ研から聞こえているとすれば、使われているパソコンに甚大なトラブルが生じているか、中にハルヒがいるかのどちらかだ。
 文芸部のドアに近づいて行くと、やはり音の発信源はここだとわかる。ドアの前まで来てしまえばさすがに聞こえてくる方向もわかる。
 軽くノックをしてみたが、返事がないところをみるとガガガガという騒音によってかき消されているらしい。もしくは中に誰もいないのかも知れないが、無人の部室でこの怪音が発生しているとすれば、ちょっと尋常ではない事態が起きていることになる。
 ドアを開けてみると、真っ先に視界に入ってきたのはハルヒだ。長テーブルの上に置かれたミキサーとポットを組み合わせたような機械をいじっていて、音はそこから聞こえている。他の全員揃っていたようで、無関心そうに本を読む長門を除く二人は椅子に座ってハルヒに視線を向けている。
 ちなみに朝比奈さんは既にメイド姿になっており、着替え中に出くわしてしまうようなトラブルに見舞われることはなかった。いつもはSOS団専属のウェイトレスのように動き回る朝比奈さんが、パイプ椅子で神妙に座っている様子は、なんとなくお誕生日会の時の小学生を思い起こさせる。
 音のせいか、ハルヒはドアが開いたことも俺が入ったことも気付いていないらしい。得意げな表情で機械を操作するハルヒの横顔を見ていると、香ばしい匂いに鼻孔を刺激される。
「コーヒー?」
「来てるならちゃんと来たって言いなさいよ」
 ぱちんとスイッチを止めて、ハルヒがこちらに顔を向ける。
「ちゃんとノックもしてからドアを開けたんだけどな」
「聞こえなきゃノックしても意味ないわよ。ひょっとして、聞こえないくらい小さな音でノックをして、わざとみくるちゃんが着替えているのを覗いて『俺はノックをしたから無罪だ』とか言うつもりだったんじゃないでしょうね」
「そんなつもりはない」
 そもそも、あんな音の中で着替えていたはずもない。
「どうしたんだ、それ」
「もらったのよ。なんか親戚がビンゴで当てたけど、使わないから要らないってうちにまわってきたの」
 それがハルヒの手によってSOS団にもたらされたわけか。
「で、それはコーヒーメーカーか?」
「そうよ。あんたの事だからポットとか間抜けな勘違いするかと思ったけど、ちゃんとわかったのね」
 まあ見た目だけならそう勘違いしたかも知れないが、さっきの音と部室に充満する香りでなんとなく予想はできた。
「豆をセットしたら美味しいコーヒーを淹れてくれる優れものよ」
 よくわからないが、コーヒーメーカーというのはそういうものなのではないだろうか。いや、豆まで挽ける機能があるのは高級品なのかも知れないが、俺個人で購入したことも購入を検討したこともないのでわかるはずもない。
「ここがヒーターになってるから、温かい状態で保存しておけるらしいわ」
 コーヒーメーカーにはガラス製のサーバーがセットされており、どうやらその下が鉄板のようになっているらしい。水やお湯は俺が来る前にセットされていたのか、そのサーバーにコーヒーが少しずつ溜まっていく。
 インスタントならお湯で溶くだけだが、豆を使うコーヒーはお湯でゆっくりと抽出しなければならない。さすがにこういう機械を使っても、その部分は手動でやるのと変わらないのだろう。
 この機械自体の仕組みとしては、ミルで挽いたコーヒー豆をフィルターにセットして上からお湯を注ぐという作業を機械が肩代わりしているものなのだろう。それらが完全に全自動で行われるのは素直に感心する。
 サーバーに溜まっていくコーヒーを眺めているハルヒは、まるでトランペットを欲しがる少年のようだ。まあ、機械的なギミックに惹かれる心境は俺にも理解できなくもないが。
「しかし、ビンゴの景品ねえ」
 呟いて顔を向けると、古泉はにこやかな営業スマイルをわずかに左右に動かす。特に何か画策していたわけではないらしく、今回は本当にハルヒが説明した通りなのだろう。
 もっとも、古泉たちにどんな思惑があればハルヒの手元にコーヒーメーカーがやってくるのか、俺にはさっぱり理解できないし、そんな思惑は発生しないのだろう。
「さあできたわ! みくるちゃん、人数分のカップをお願いね」
「あ、はい」
 すっと立ち上がった朝比奈さんは、てきぱきとした動作でコーヒーカップをテーブルに並べていく。そういえば、今日は朝比奈さんのお茶をいただいていない。遅く来た俺だけでなく、テーブルに湯飲みやカップがなかったところを見ると、ハルヒのコーヒーが出来上がるのを待っていたらしい。
キョン、毒味役はあんたよ」
「真っ当な豆なんだろうな」
「当たり前じゃない。昨日、ちゃんとコーヒー豆の専門店みたいなところで買ってきたんだから。新鮮フレッシュよ」
 海外から輸送されたり焙煎されたりする豆に鮮度が関係あるのかわからないが、少なくともフレッシュという表現はおかしい。しかし、買ったばかりの豆だというのなら問題もないだろう。
 まずは香り。インスタントや自販機のコーヒーとはさすがに格が違う。味の方はというと、いつも不思議探索前に行く喫茶店に比べてしまうとやっぱり劣るのだろうが、それほどコーヒーに詳しいわけじゃないし、まあ美味いんじゃないかというようには思える。
「どうよ」
「まあ普通にいいんじゃないか」
 ハルヒが淹れたコーヒーという部分で多少身構えたところはあったが、考えてみればハルヒは材料をセットしてボタンを押しただけだ。
「美味しいって思うならもっとそれっぽい感じで喜びなさいよ。奥さんの父親が買ってきた全自動卵割り機で割られた卵を食べた亭主みたいな感じで」
 どんな喜び方を要求するんだお前は。
「ま、あんたが美味いってんならいいわ。洗剤の味とかしないでしょ?」
「待て、お前これ使う前に一度は洗ったんだろうな」
「当たり前よ。まあ慣れない機械だったし、ちゃんとすすげてるか気になっただけ」
 ハルヒが妙なことを言ったせいで、本当に洗剤が混じっているんじゃないかという気になってしまう。全く感じないから大丈夫だとは思うが。
「どっちかっていうと安い豆だったんだけど、悪くないみたいね。とりあえず大丈夫みたいだし、みんなも飲みましょう」
 俺が本当に毒味だったらしく、それで他の面々も飲み始める。最初に準備していたのは五人前だったようで、一人一杯飲んでなくなってしまったが、飲み終わるとハルヒはまた豆をセットして作り始めた。
 活動が終わるまで俺たちは一人あたり三杯から四杯程度のコーヒーを飲むことになった。


 ちなみにその日の夜、長門が家電のパンフレットを見ていたが、それはまた別の話。