今日の長門有希SS

 全ての授業の後にホームルームがあり、それが終わると俺たちは解放される。しかし今日は教室掃除の当番であり、回転ボウキを使ってホコリを一カ所に集める。
 俺もそうだが、熱心に掃除をしようなどという者はおらず、どことなく弛緩した気持ちで掃除を続ける。邪魔にはなっていないが、教室内で雑談をしている者の存在もやる気を奮い立たせない理由だろう。
 見渡すといくつかのグループが固まっている。男子同士は二人や三人で、谷口と国木田のコンビがそれの顕著な一例だ。男子に比べると女子同士の方が人数が多く、ハルヒや朝倉を中心に数人が談笑しているのが目に入る。
キョン、ダラダラ掃除してんじゃないわよ。いつまで経っても終わらないわよ」
 目があったところでハルヒがそんな声を投げかけてくる。俺一人が獅子奮迅の活躍をしたところで掃除がすぐに終わるわけではない。声がかかるまでと同じペースでホコリを集め、ちりとり担当がそれをかき集める。集まったゴミはじゃんけんをして負けた物が捨てに行くのだが、俺はその役目を免れた。
 さて、これで掃除が終わった。鞄を持って教室を出ようとすると、会話の輪から抜け出たハルヒが俺の後に続いた。
「話が途中だったんじゃないのか」
「続けなきゃいけないような話なんてしてないわよ。それに、あたしが抜けても大して変わらないわ。涼子が抜けたらなんとなく解散しそうだけど」
 わからないでもない。朝倉はクラスの中で男女問わず慕われており、様々な分野でリーダーシップを発揮し物事の中心になっている。ハルヒとは違う意味で。
「古泉くんはもう部室かしら」
 途中、のぞき込んだ教室に古泉の姿はなかった。あいつだってSOS団以外のところに身をおいており、教室にいなければ必ずしも部室に行っているわけではないのだが、ここのところ大きな問題が起きているわけでもないのでバイトではない可能性が高い。となるとハルヒの推測が正しいのだろう。
 そう、ここのところ大したことは起きていない。ハルヒがらみの騒動もそうだし、テストもまだ先の話だ。たるんでいるかと聞かれれば、俺は否定することができない。
 ハルヒとどうでもいい会話を繰り広げているうちに、俺たちは部室に到着していた。ハルヒがノックもせずドアノブに手をかけたので慌てて視線をそらそうとしたが、一瞬見えた部室の中には古泉の姿があり、俺は顔の向きを正面に戻す。
「おや、ご一緒でしたか」
「まあね」
 ずんずんと自分の定位置に向かい、ハルヒはふんぞり返る。そしてそこに朝比奈さんがそっと湯飲みを差し出す。ハルヒはパソコンの電源を入れると、その手を机の上に置かれた湯飲みに添えて口に運ぶ。流れるような一連の流れは、こういったやりとりが何度も繰り返されてきたことを如実に表している。俺だってどれだけこの日々が続いているか思い出せない。
 俺たちにとっては、この部室にいることが当然なのだろう。名目上は文芸部の部室であるが、そんなことはどうだっていい。俺たちSOS団は――
長門はどうしたんだ?」
 椅子に座って、朝比奈さんに差し出された湯飲みを傾けながら、俺は疑問を口にする。俺たちより後に長門が来ることも珍しくはないが、今日はそうではない。窓際にパイプ椅子が置かれていて、その上に分厚いハードカバーが置いてあり、椅子の横には長門の鞄が置いてある。一度はここに来ていた証拠だ。
長門さんなら呼ばれてお隣に行きました。なんか困ったことがあるって」
「あ、そうでしたか」
 お隣がどこを意味しているのか、朝比奈さんに聞き返すまでもない。ゲームで全面戦争をして以来、長門はちょくちょくとコンピ研に顔を出すようになった。正式な部員として所属しているわけではないが、コンピ研に対する貢献度は部長氏をも越えるほどのものになっているのではないだろうか。
「全く、あいつら有希をなんだと思ってんのよ。都合のいい便利キャラじゃないのよ」
 ぷりぷりと頬を膨らませてハルヒがそんなことを言う。
 コンピ研の連中もそうだが、俺たちも何かあると長門に頼ってしまうところがある。ハルヒの言葉は少々耳に痛い。
 その自覚は朝比奈さんや古泉にもあるようで、二人の顔にもどことなく苦笑じみたものが浮かんでいる。もっとも古泉はいつもの営業スマイルは崩していないか、心なしかそれが安っぽく感じられる。
 そんなやりとりをしていると、ドアが開いて長門が姿を現した。無言で部室の中を一瞥してから、窓際のパイプ椅子まで移動し、置いていた本を手に取って座る。
「有希、何をしていたの?」
「プログラムの不具合の修正をしてきた。同じ変数を間違って二度使ってる場所があって、入力された値に対し返ってくる値がおかしくなっていたのが原因だった」
「ふうん、大変だったのね」
 意味がわかっているのだろうか。俺には何となく聞き流したように見えるし、俺も長門が何を言っているのか理解できていない。
「でも、そんなことでいちいち呼びに来なくてもいいじゃない。有希だって本を読んでる途中だったんでしょ?」
「そこまで時間に追われてはいない」
 と、太股の上にのったハードカバーの表紙をそっとなぞりながら長門は答える。
「この本は返却期限までまだ日数がある」
「じゃあ、今日は読まなくても大丈夫ってこと?」
「問題ない」
「よし、わかったわ」
 ぽんと手を叩いて、ハルヒは俺に顔を向ける。
キョン、古泉くん、全員でできるようなボードゲームを急いで探すのよ。今日はみんなで遊ぶわ」
 ハルヒの宣言により俺たちは慌ててボードゲームが収められた箱に駆け寄った。


 後から気が付いたことではあるが、この日は部室だけではなく、マンションに行ってからも長門は本を開くことはなかった。