今日の長門有希SS

 俺たちの通う高校は駅からちょっと離れた高台にある。ホームルームの終わる時間がクラスによって異なり、部活などがあるせいで帰宅時間がまちまちになる夕方とは違って、登校する時間は皆同じ。朝練などで早く学校に行っている奴らもいるが、全体から考えると割合的にはそれほど多くない。
 だから、登校時間にはぞろぞろと学生たちが坂を登っていく。その様子を俯瞰すると、まるで餌に向かう蟻の集団のようだ。俺たちの高校はブレザーだが、もし仮に学生服ならより蟻っぽかっただろう。
 なんてことを考えながら歩いていると、正面からこちらに向かってくる人物がいた。それは俺の知っている人物で、人混みをかき分けるように狭い歩道を逆走している。
「どうしたんだハルヒ
「説明は後よ!」
 てっきり俺に用事があるのかと思ったが、ハルヒは俺の横を素通りしてそのまま坂を駆け下りていく。一体どうしたんだ。人と同じことが嫌だからと言って、そんな風に逆走することはないだろう。
 事情はよくわからないが、ハルヒの背中は既に小さくなっていて、追いかけても追いつくことはできないだろう。そもそも追いかける必要もない。転がる石のように駆け下りるハルヒを見ていると、よく転ばないものだと感心する。
 あっと言う間にハルヒが見えなくなったので、俺は正面に向き直って歩き出す。ハルヒがおかしなことをするのは俺たちの高校では既に常識のようなものなので、周りの奴らも気にした風はない。気にならないことはないが、後で説明すると言っていたのでその時に聞けばいい。
 しかし、ああして通学路を逆走していたわけだが、学校に来るつもりはあるのだろうか? 勉学はともかくSOS団の活動には熱心なハルヒなので、最低でも放課後までには来るだろう。
 気を取り直して歩き出すと、先の方に見慣れた人物が二つ並んでいた。ショートカットの小柄な背中と、すらっとして後頭部で髪を留めた後ろ姿が並んでいるとまず間違いようがない。そもそも俺が長門を見間違えるはずなどない。
「よう」
「あ、おはよう」
「おはよう」
 小走りで駆け上がって声をかけると二人が振り返った。言うまでもなく長門と朝倉だ。
「途中で一緒になるのは珍しいね」
「ああ」
 行き先が同じなので奇遇というわけではないが、どちらも同じ方向に歩き続けているので合流しない日のほうが多い。
「珍しいと言えば、さっきそこでハルヒとすれ違ったな。お前らもすれ違ったのか?」
「わたしたちは涼宮ハルヒとはすれ違っていない」
「へえ、そうか」
 俺がハルヒと遭遇した場所から長門や朝倉と合流するまでそれほど距離はなかった。ハルヒはその間にいて、突然逆走を始めたというのだろうか。
「一体、なんだったんだあいつ」
「あ、それなら知ってるよ。忘れ物だって」
「なんで知ってるんだ? すれ違ってないんだろ?」
「わたしたちはすれ違っていない。なぜなら――」
「ちょっと待ってくれ。考える」
「そう」
 ハルヒが登校中に突然家に向かったことの理由は判明したが、ここで新たな謎が生まれた。二人はハルヒとはすれ違っていないというのに、帰った理由を知っていた。朝倉はこんなことで嘘を吐くような性格ではないし、仮に嘘だったとしても長門が訂正するはずだ。
「推理漫画ならここで週が変わっていてもおかしくない」
 長門が妙なことを言い出す。確かに麻酔針を駆使する小学生探偵なら週をまたぐか、扉が開いたり閉まったりしてCMに入っているに違いない。
 さておき、ハルヒが家に戻った理由が本当かどうかはもうどうでもいい。それよりも気になる謎は、なぜハルヒに会ってもいない二人が事情を知っていたのか――
「待てよ、ハルヒと会ってないって言ったか?」
「すれ違っていないとは言った。会っていないとは言っていない」
「ひょっとして、ちょっと前まで三人だったのか?」
「そう」
 一緒にいた状態からハルヒだけ帰ったなら、確かにすれ違ったわけではない。すれ違っていなくても、直前まで一緒にいたわけだ。
 騙された。いや、長門も朝倉も別に騙す意図などなかったのだろう。俺が早とちりをして勘違いしただけだ。
「朝から妙なところで頭を使ってしまったな」
「わたしは説明しようとした」
「いや、悪かった。ところハルヒは何を忘れたって?」
「宿題をやったノートだって。キョンくんはちゃんと持ってきた?」
「……あ」
 ノートは忘れていないが、宿題があったことそのものを忘れていた。